第18話 戦いの後に

 今年のトプカプ州のマンティコア被害は南のエンシュレッソ郡にて防衛戦が破られ被害を出したが、それ以外の多くの地域では被害は大きくなく、特に大きな群れを観測したノイトック地域では群れのボスをことごとく討伐し、殆どのマンティコアを追いやったという快挙を得た。

 防戦の将ザイサーの面目躍如めんもくやくじょ、そして若く小さなシュリーフの令嬢とその夫の活躍は州軍の報告から新聞に載り、トプカプ中に広まった。

 そして州軍がマンティコアから作物を守り切ったおかげでトプカプでは例年以上に多くの収穫が行え、やや小玉な作物が多かったものの、豊作の実りの作物が汽車やトプカプ川を行く汽船に乗せられ、帝国全土へと運ばれていくのだった。

 その収穫の季節を、テオドールはメルセデスの馬上から眺めていた。


「やはり見てると壮観ですね。金色の海が刈られていく」


 馬の牽く刈取機コンバインで金色の麦の海が徐々に消えていくのを見ながら、いつかの汽車の中で感動できなかった光景に今感動を覚えていた。


「感動していただいたならトプカプを治める家の領主として嬉しい限りです」


 果実と、野菜と、麦。それらを載せた馬車や蒸気牽引機トラクターに牽かれた荷車にメルセデスと共に街道を進んで行く度にすれ違う。

 スラティでは見られない風景に、今自分がトプカプにいるのだと言うことを改めて感じ取っている。

 そしてすれ違う人々に自分達の正体がわかる度に大袈裟に頭を下げられたり、歓喜の声を上げられたり、中には馬を止めて握手を求められたりと、完全に自分達が時の人となっていることに二人は苦笑したのだった。


「これじゃあしばらくオヴェリフルの市街には入れないですね」


「そうだね。この英雄扱いが収まるまで……」


「いいえ、この私の夫と直接新聞に書かれたわけですから。私といるからにはこの騒動が収まっても、テオはずっと特別扱いです」


 メルセデスが誇らしげにふんすと鼻を鳴らす。

 当のテオドールは逆に、これからのことを考えて少し心配になってきた。

 軍服を着てなければただの青年で通ったスラティ時代が懐かしい。彼はそう思いながら軍司令部への道をぽくぽくとまた小走りでゆくメルセデスの背に揺られるのだった。



 司令室に入ると、ザイサー司令が樽のような腹を揺らして二人を出迎えてくれる。

 ボタンがはち切れそうな軍服に身を包んだ彼の、しかしその顔は新聞のスケッチ画同様の頑然たる武人の顔だった。


「新聞は大勝利と書き立てているが、実際この度のマンティコアとの戦いは犠牲者も少なくは無い。シュリーフ中佐、君の部隊にも少なくない犠牲が出ただろう」


「はい」


 メルセデスは硬い声で返す。


「兵と下士官十八名、士官一名がニニエル高地に倒れました。伝令兵が機転を利かせ血清と膏薬を持ってこなければ、更に多くの兵の命が失われていたと思います」


 ザイサーは小さく、しかし鋭い目でメルセデスとテオドールを見据える。

 

「兵を失う辛さは兵に近ければ近いほど大きい。だからこそ、その勝利の代償に感慨を覚える……そうだろう」


 はい、と答えたのはメルセデスだけではなく、テオドールもだった。

 魔物討伐とはいえ戦いで犠牲が出ないことなどない。

 戦いが終わった後、リヒトがマンティコアに刺され死にかけ、人鳥の伝令兵――アルマが彼を抱えて本陣まで運んだのだと聞いて、テオドールは先の勝利の余韻も吹き飛ぶほどに気がかりになっていた。

 そしてそれはアルマや、リヒトと親しい兵士も同様で、彼の心配をしていた。

 それだけでも心苦しかったが、簡易の柩車きゅうしゃ麻筵あさむしろで包んだ兵の遺体を乗せる自部隊の兵や第一軍の兵を見ていると、とても誇れる気分になどなれなかった。

 誇れるようになったのは、あの黄金の海を刈り取り、作物を載せた馬車やはしけとすれ違う風景を見て、自分や犠牲者達の守ったものを自覚した時だった。

 

「だからこそ、これにかかった重みを忘れないで欲しい。シュリーフ中佐、前へ」


 とん、と赤絨毯敷きの床にメルセデスの蹄の音が響く。

 ザイサーは机の上から小さな小箱を取り、中身をメルセデスに見せた。

 騎士鉄丁字勲章きしてつていじくんしょう

 このミッテルラントにて、多大なる武勲を上げた者に贈られる勲章だ。


「首元を失礼する」


 ザイサーの大きな手が小箱の中からそれを取ると、メルセデスのリボンタイの上から騎士鉄丁字勲章のリボンをかけた。

 メルセデスがまた蹄を鳴らし、一歩下がる。


「重いかね」


「はい、とても」


 メルセデスは、ふう、と息をひとつ吐く。


「その重みに耐えることも、君が君の目指すものを追うことに必要なものだ。実直に高みを、英雄を目指すためには、君のもとで倒れた者の重みを忘れないことも重要だ」


 防戦の将・ザイサーは自らの柏葉剣付騎士鉄丁字章に触れる。

 英雄の証であり、その地位へと登るために失われた命の重みの証でもあるだろうそれが、テオドールには彼を縛る鎖にも見えた。

 叙勲じょくんに似つかわしくない厳かな空気が辺りを包むが、むしろこちらの方が相応しいと思ったのはテオドールだけでは無いだろう。


「シュリーフ中佐、君達の部隊には近く任務が下るだろう」


 ザイサーが猛禽じみた眼を細める。


「決定的な証拠は無いが、今回のマンティコア襲撃には不可解な点が多い。何故異常大型個体が今年多く発生したのか、などだ。……それにミュッケ少佐、君の従兵からもひとつ、興味深い証言が出たのだ」


「興味深い証言、ですか?」


「彼を治療した医者から私に報告が上がったのだが、君は本人に直接聞いてみてくれ」


 ザイサーの意味深な言葉にテオドールは違和感を覚えながらも、メルセデスと共に司令室を辞する。


「どうしますか? テオ」


 メルセデスの顔が覗き込む。騎士鉄丁字章を掲げた彼女は、大きな黒曜石色の瞳を細めて、武人らしい顔つきになっていた。


「司令の言う通りに、直接聞いてみる」

 

 ザイサーの言うようにリヒトに直接聞いてみる他無い。



 リヒトのいる州軍病院は司令部から少し行ったところにある。

 命だけは救われたものの、血清を打った時期が少し遅かったためまだ一月は手足のしびれが残るというリヒトは、他のマンティコア毒の患者達と同じように州軍病院に移されていた。

 隊舎に戻るメルセデスと別れ、テオドールは一人で病院に趣き、リヒトの居る病室を訪れると、彼の周りにはアルマとゲルダ、それに彼と仲の良いホイスとクノーケという兵士がベッドを囲んでいた。


「ああ、ミュッケ少佐。どうもご無沙汰しております」

 黄色い羽毛に包まれた病院着姿のリヒトが、ぎこちなく手を上げて答える。


「随分退屈して居なさそうだな、リヒト」


「はい。みんなすぐお見舞いに来るもんですから……」


「みんなお前を心配してるんだよ。生死の境を彷徨ってたってこと忘れるなよ」


「わかってるよ」とリヒトがホイスの軽口に返す。


「……ところで、ザイサー司令から聞いたんだが。今回のことで何か知っているらしいな」


 早速本題を切り出したテオドールに、リヒトが頷く。

 周囲も顔を緩めていたリヒトが急に真剣そうな面持ちとなったのを見て、何なのかとリヒトに注視する。

 

「マンティコアに刺されて、アルマに運ばれている間に、僕はアルマに励まされてる声と一緒に、妙な声を聞いたんです……アルマの声よりずっとはっきりと」


 こほん、と咳を払って、リヒトが口にする。

 

「――クレスタノイン着陸管制。L66、進路そのまま高度下げ。L66了解、高度下げ、もやい用意――こんな言葉です」


「リヒトが聞いたのは近い距離からの無線魔信ましんだと思うんです」

 ゲルダが眼鏡を直しながら補足する。

「リヒトは少し魔法が使えますから。大気中の魔素が極端に薄くなったとき、魔法使いの素養がある人が魔素を取り込む要領で無線魔信を受信することがたまにあるんです。それにリヒトの歯、上下に竜銀の詰め物もしてありましたから。歯を噛みしめていると余計に無線魔信を拾いやすくなります」


「マンティコアと我々の魔法合戦で薄くなっていた魔素のところに、魔信を発したためにリヒトがそれを拾ったと言うわけ、か」


「はい」ゲルダが頷く。「そして内容は恐らく飛行艦の着陸指示。クレスタⅨと言う係留場に、艦番号L66が着艦しようとした――恐らく番号からして、中央軍の戦闘飛行艦かと思います」


 ゲルダの読みは正しい、とテオドールは感心する。

 そう思うのも、テオドールはその艦をよく知っているからだ。


「……L66はR2級飛行戦艦。艦名は『ラプラスの悪魔ラプラッシャー・デーモン』だ」

 テオドールは冷たい声でゲルダに返した。

 

 ゲルダとリヒトは艦の名前まで口にされて、はっとした様子になる。通信兵の彼女は飛行艦にも多少通じているらしく、艦名まで出されたことでどの艦かわかったようだ。

 対するリヒトは飛行艦には詳しくないが、『ラプラスの悪魔』の艦名は忘れるわけが無いだろう。なにせ艦の座乗者が、自分の住む土地の領主なのだから。


「クルト=ミュッケ中将の座乗艦……!」

 リヒトが信じられないという声を上げた。

 

「ミュッケって……少佐の!」


 やっと状況が掴めたらしいアルマが続いて声を上げる。ホイスとクノーケも顔を合わせ、リヒトとテオドールを見た。


「……父上、トプカプで何をしているんだ」

 テオドールは口元に親指を持っていきそうになり、ぎりぎりでそれに気がついて、引っ込める。士官学校時代の爪を噛む悪癖が出そうになっている自分に、テオドールは動揺が自分を包んでいるのを思い知るのだった。


 メルに何を語るべきか。

 母やエリスはこのことをどこまで知っているのか。

 テオドールは混乱が止まらなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る