第17話 ニニエル高地の戦い・七

 第二幕で最初に鬨を上げて仕掛けたのは、番とその腹の子を無残に殺され、怒り狂う『巨人ゴリアテ』であった。

 一チャーン半はある巨大な手のひらを自分の周囲を小賢しく駆け回る小さな者に向かって振り下ろし、毒針を持つ硬質の尾を振り回し、辺りを薙ぐ。

 手のひらが空を切り、尾が後方を薙ぐたびにごぉう、ごぉう、と列車が隧道トンネルに入るときのような風の音が周囲に鳴り響く。

 

 ぎょぉぉぉぉぉぅぅぅぅっっ!!


 足下に横たわる番の無残な死体が眼に入り、再び『巨人』はグロシュニィ山脈の天頂にまで届かんばかりのすさまじい雄叫びを上げる。


 テオドールは数刻前にかけた防音魔法の効き目が切れていなければと思うほどに、耳鳴りのする耳とガンガンと波打つ頭を押さえたくなったが、目の前で耳がしなりと寝ているメルセデスの頭を見ていると、彼女に比べればマシだと思って歯を食いしばり、頭を振るう。

 このくらいの頭痛なら士官学校時代にかかった魔素中毒で散々味わっている。そう言い聞かせて、手綱をもった左手を左に向かってくん、と引く。

 耳が良い分大きな音に弱く、さっきの雄叫びをもろに聞いてしまったメルセデスは今、きっと走っているだけで精一杯のはずだ。速度を落とさないでいるだけでも恐らく必死なはず。

 だから自分が文字通り手綱を握って、彼女を導くしかない。テオドールは左に進路を変えるメルセデスの手綱を捌いて、五チャーン半の身の丈のマンティコアに接近する。


 距離は三十チャーン。突撃の距離には少し短いが、メルセデスの小さな体躯ならスピードを稼ぐのに十分だろう。


 右の上空から振り下ろされる巨大な拳に対して、テオドール手綱を右に向けて引き、かん! と両脚のあぶみで馬体を覆う鎧の胴を蹴る。

 メルセデスはまだくらくらする頭でもはっきりとその指示通りに右方向に進路を変えて増速してゆき、『巨人』の拳をすり抜ける。

 

「メル、構えて!」

 手綱が再び左に振られると同時に、テオドールは声を上げる。

 続く砲声と銃声、そしてさっきの雄叫びでじんじんと痛んでいたメルセデスの耳は、しかしテオドールの張り上げた声だけは聞き逃さなかった。


「――はいっ!」


 メルセデスは騎兵槍ランスを構える。鋭く尖った切っ先から円錐状に膨らんだ重槍を低く水平にして、十分に乗ったスピードで駆け抜ける。


「ベアル・タルテ! 我が杖より出よ『業火ゴス・フランメ』!」


 テオドールが『アッシャー・ヘイロー』を上段に構えて、足止めのための中位炎魔法を放つ。

マンティコアの膂力ならばきっとメルセデスの突進も跳躍で逃げ切ることも出来る。だからこそ、テオドールはマンティコア目がけて火球を放った。

 火球は狙い通りに『巨人』の胸元に着弾し、灰色の針のような毛皮に火が点く。

 火球の熱や衝撃自体はマンティコアの強靱な皮膚には通用せず『巨人』に大したダメージは入らないだろう。

 しかし己の毛、しかも胸元に火が点けば――


 ぎょおぉぉぅ! と『巨人』が吠えながら異国の猿の類型がそうするように、不快そうに平手でばんばんと毛皮を叩き、火を消そうとする。

 じわじわと継続して皮膚をあぶる熱、そして毛の燃える匂い。その耐えがたい不快感に気を取られてしまった『巨人』は、走ってくる小さな鹿もどきから注意を逸らしてしまう。


「ベアル・タルテ。『耳蓋オーヘンシュッツァー』」

 テオドールが『アッシャー・ヘイロー』を上段に構えたまま、自分とメルセデスの耳に、防音魔法をかける。

 これから起こるであろうことを予見して、これ以上メルセデスを苦しめないためにも。

 メルセデスの耳がぴくん、と動く。ありがとう。と告げているかのように。

 そして彼女の騎兵槍を持つ手に、ぐ、と力が入る。


「はあああああああああああっっ!!」

 

 胸の体毛を燃やす不快な火を叩き消した『巨人』は雌の猿もどきが発する高い絶叫を聞き、そして次の瞬間、『巨人』はまた山いっぱいに響き渡らん声を上げる。

 だがそれは先程の勇ましい鬨の声ではなく、悲痛すぎる悲鳴だと理解できていたのは、グロシュニイ山脈を下に、或いは上に駆けるマンティコアだけだった。

 悲鳴の主の右脚の後ろは、騎兵槍と剣型の騎杖きじょうの同時攻撃によって硬い皮膚も強靱な肉も、その下のけんもろとも無残に食い破られ、騎兵槍の開けた巨大な穴からはだくだくと血が漏れている。

『巨人』はどさりと地に伏した。

 

 一撃を見舞った後、メルセデスは振り下ろされかけた尾を避け、巨大マンティコアから離れた場所で一度脚を止める。防音魔法のおかげで今度はメルセデスも『巨人』の絶叫に平気な顔をしていた。


「……どうだろう」

 馬上からテオドールが言う。

 

「腱を潰せましたから、もう跳躍や山を登ることは無理でしょう」

 ですが。と言葉を続けて、メルセデスはすんと鼻を鳴らす。

「比較的皮膚や肉の薄い腱の部分を切るだけでも全力を費やしましたから、槍による突撃だけでは恐らく急所を貫いて倒すのは力不足でしょう」


「そうなると本当にどうやって倒したらいいんだ」

 テオドールが悪態をつく。

 テオドールの剣はともかく、メルセデスの騎兵突撃は体格以外は中央軍の精鋭の人馬騎兵にも劣らない。

 それが通じないとなると比較的小口径で、破片で攻撃する榴弾主体の山砲や迫撃砲の類ではまともなダメージを与えることは出来ない。

 おそらく物理的な攻撃なら戦闘飛行艦の徹甲弾でも使わないと、この『巨人』の息の根は止められそうにもない。

 艦砲の威力に敵うだろう自分の『ヘイロー・ダウン』も、『アッシャー・ヘイロー』が巨大マンティコアの強固な頭蓋や肩の骨、そして分厚い筋肉に遮られ、途中で止められる可能性の方が高い。

 肉が薄く衝撃を伝えやすい銀竜のくびと違って、巨大マンティコアの身体は靭性の塊のような弾力を帯びた鎧だ。


「テオ」

 あれこれと思考を巡らせるテオドールの耳に、メルセデスの声が響く。

「難しく考えないで、二人の長所を生かせば良いんです」


「二人の長所……?」

 鸚鵡おうむ返すテオドールに、メルセデスは「はい」と勇壮な笑みを浮かべる。黒曜石色の瞳には強い光が点っていた。

 

「本当の夫婦の戦いというものを見せつけてやれば良いのです。私の突撃とテオの魔法。どっちも組み合わせれば最強ということ、示してやりましょう――貴方の魔法を、私の騎兵槍ランスにください」


 そこまで言われて、テオドールはやっとメルセデスの言いたいことを理解した。

 いつかの騎乗訓練の時に、『ヘイロー・ダウン』のような技が自分も欲しいと強請ねだったメルセデスに、提案してみた作戦。あれを試すときが来た訳だ。

 そして再び鐙で鎧の腹をかん! と蹴り、外周を回り始める。

 

 巨大マンティコアは苦しそうに息を切らし、だくだくと脚の後ろの傷からの血で土を塗らしながらも、再びニニエル高地の地面に立つ。

 その状態で硬質な尾を振り回し、外周を回るメルセデスを刺し殺すか、叩き殺すかしようとし、ぎょう! と叫んでから獣魔法ベズ・ヘックスを撒き散らすも、その全てをメルセデスは素早い脚さばきや跳躍で難なく避ける。


「メル、君も相当に疲れ知らずだね」

 

「知ってますか? 馬というのは小さい方が持久力があるのですよ」


「君のはそれで通じないと思うけど」


 鎧を着込んでテオドールを乗せ、重い騎兵槍と手甲を持ち、さっきから全力疾走や跳躍を繰り返していながら、大してばてもせずに戦える彼女が、テオドールはほとほと恐ろしくなっていた。


 そして距離を十分に――おおよそ四十チャーン――取ると、メルセデスは蹄鉄が削れん勢いで思いっきり後脚を蹴り上げ、駆け出した。

 真っ正面に『巨人』の姿が迫ってくる。

 その馬上で、テオドールは『アッシャー・ヘイロー』のハンドルを二連続で引く。残り二発の魔素管が軽い音を立てて破裂し、それに続いてちぃん、と装管クリップの飛ぶ音が続く。

 再び襲う精神痛の中で、テオドールは痛みに負けじと想像力を巡らせながら叫ぶ。

 

「ベアル・タルテ! 爆ぜ我が敵を蹴散らせ! 『業爆炎ゴズ・エクスプラ』!」


 そう叫ぶも、何も起きない。しかしテオドールはもう一声絶叫する。


「ベアル・タルテ! 爆ぜ我が敵を蹴散らせ! 『業爆炎ゴズ・エクスプラ』!」


 上ずった声の詠唱に反して、また何も起きない。

『ヘイロー・ダウン』を放つ時のように、テオドールが想像力で魔法を制御しているからだ。

 メルセデスの駆ける速度は止まらない。騎兵槍を上向きに構え、地面を蹴り上げて土埃を巻き上げる。


『巨人』もまた勢いをつけて迫ってくる鹿もどきに今まで感じたこともないほどの憤怒を覚えながら、それを叩き潰そうと拳を握って振り下ろそうとし、また硬質の尾を脚の間から潜らせて、突き刺そうとする。

 

 どうん! と言う音の後にその硬質の尾の先が吹き飛ばされたのは、一瞬の出来事だった。

『巨人』の眼は白い煙を吐く筒と、更に小さな猿もどきが生意気な表情で自分を見上げているのが映り、尾の先を吹き飛ばしたのはこいつだと思い知った。

 更にばばばばばんっっ!! とあちこちの猿もどきの持つ棒から白煙があがり、自分の足下目がけてチクチクと刺すような痛みを覚える。先程抉られた傷に刺さったものもあり、痛みに喘ぐ『巨人』が振り下ろした拳は鹿もどきとは明後日の方向に振るわれた。


「はあっっ!!」


 残り数チャーンでメルセデスは前脚と後脚を撥条ばねにして、勢いを殺さぬままに跳び上がる。

 上向きに刺さった槍の切っ先が『巨人』の胸元を抉る。

 しかし皮膚を突き破るだけでその下の靭性の高い筋肉までも貫けない。

 だが、それでいい。

 メルセデスが勝ち誇った笑みを浮かべて、口を開く。

 

「『シュテルン・ヴェルファー星を打ち上げる者』ッッ!」


 その言葉を引き金にメルセデスの騎兵槍から、テオドールが込めた二発分の圧縮された爆裂魔法が騎兵槍の形に添って一点集中で迸る。

 艦砲か要塞砲の射撃の如き、恐ろしい爆発音がニニエル高地に響き渡った。

 一発で平均的なマンティコアを四肢をもぎとり吹き飛ばすだけの範囲魔法、その二発分の爆炎と爆圧が一方向に収束されて吹き出すのだ。その一点集中の火力の前には靭性の高い筋肉も強固な骨も関係ない。

戦艦の二八サンチャーン口径の主砲の爆煙と爆圧をゼロ距離で直接叩き込まれるようなものなのだから。

『巨人』と呼ばれた身の丈五チャーンの巨大マンティコアの胸から背中へと一瞬で巨大な穴が空き、爆炎が背中から吹き出る。

 心臓も肺も一瞬で吹き飛び、跡形もなく消滅する。

『巨人』の意識は、鹿もどきの勝ち誇った笑顔と爆発音とともに、痛みひとつなく一瞬で真っ黒に途切れて消滅し、番であった雌のマンティコアのように苦しむことはなかった。


 

「『巨人ゴリアテ』、『魔女ヘクセン』! 双方討ち取った!」


 息を切らしたメルセデスが、マンティコアに変わって鬨の声を上げる。

 先の悲鳴を聞いて、そして倒れた『巨人』と『魔女』を目の当たりにして、残ったマンティコア達もそそくさとニニエル高地からグロシュニイの山の奥へと逃げて行く。

 ジャイム准尉たち砲兵隊の山砲と迫撃砲、歩兵隊の小銃が逃げて行くマンティコアのうち数頭を仕留めたが、力自慢のボス夫婦を仕留められ、遂に命の危険を覚えて全速で逃げ出したマンティコアたちを全て仕留めることは出来なかった。


 砲声も銃声も止み、火薬の匂いと血生臭さと、後方のテントから響く負傷兵の声以外は開戦前の静けさを取り戻したニニエル高地に、何処からともなく勝利に湧く声が上がる。

 第一軍も、一〇九大隊も無く、わあわあと歓喜の声がニニエル高地を覆い尽くした。

 そのうち遠くで遠雷のような音が聞こえ始める。

 遂に本隊の重砲が吠えはじめたのだ。テオドールはノイトックの方向を振り返ると、上空では哨戒飛行艦や人鳥ハーピー兵とおぼしき影が飛び交っている。

 

「伝令! 伝令です!」


 羽根が空を打つ音と共に聞き慣れた声がテオドールとメルセデスの耳にも入る。

 見上げると、アルマが網に包まれた大きな雑嚢を鉤爪で掴みながら降り立ってきた。


「シュリーフ中佐の命により、本陣より一〇九大隊の負傷者向けの血清と獣魔法ベズ・ヘックス膏薬こうやくを確保して参りました! 治療に使って下さい!」


 いつの間にそんな命令を出したんだ? と言う顔でテオドールがメルセデスを見つめるが、メルセデスは「いいのです。多分出していましたから」とうそぶいて答える。


 医療兵達がアルマの雑嚢から血清と膏薬を天幕に運び、次々と倒れた戦友を運び出す姿が見られる。別の天幕ではゲルダが魔素通信の魔鍵まけん回転機砲ガトリングの如く忙しなく打ちまくっていた。


 戦は終わったが、後方の戦はまだ続いている。

 これが完全に終わるのは、もう少しかかるだろう。

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