第15話 ニニエル高地の戦い・五

「この猿野郎! よくも!」


 ホイスが激昂とともに小銃の引き金を引く。弾丸は数チャーンの至近距離で雄のマンティコアの眉間を撃ち抜いて、リヒトを毒針で刺したマンティコアはどさりと紫色の血と桃色の脳の一部を吹き出しながら倒れた。


「この野郎! 畜生がぁ!」


 それにヨハンが追撃とばかりに心臓にもう一発の銃弾を撃ち込み、さらに絶叫を伴って銃剣を突き刺す。

 ホイスはまだ銃口から白煙を吐く小銃を片手に持ったまま、倒れ込んだリヒトに駆け寄った。


「大丈夫か、おい、リヒト! リヒト=ヴァッサー!」


 そう叫ぶホイスの腕の中でリヒトの身体が揺れる。ホイスの言葉に対して返事は無く、言葉を発しようとして結局言葉にならないうめき声が微かに漏れるくらいだった。

 背中には分厚い羊毛の軍服を毒針が抉った穴が空き、濃く毒々しい紫色に変色しつつある皮膚が覗く。

 ホイスの腕の中でリヒトの呼吸は荒く、微かになってゆく。顔色は蒼白に、唇も乾いて血色が無くなってゆき、体温も徐々に奪われているのが軍服越しでもホイスは感じ取れた。

 マンティコアの毒は強力だ。刺されたのがたった一瞬、流し込まれた毒の量が少なくても、一時間半もあれば人は命を落としてしまう。

 リヒトは血清か高度な解毒治癒魔法を打たなければ、もって一時間半の命だ。


「畜生、どうすれば……」

 

 そしてホイスは知っていた。今、リヒトの命を繋げるほど高度な解毒治癒魔法を使える魔導師は居ないこと。このニニエル高地には血清も足りていないことを。

 大隊に軍医はおらず、第一軍の連隊付きの軍医と救護兵の持ってきていた血清は第一軍の兵に優先的に使われる。第一軍の兵の治療が終わりリヒトの番が回ってきたときには血清もリヒトの命も切れているだろう。

 華々しい戦果を上げられる分、後ろ楯が浮き足立っている。愚連隊同然の機動力を生かした部隊の辛いところだ。


「リヒト!」


 叫び声と共に上空からひゅう、と風を切って舞い降りる影。

 アルマ=ファイト上等兵。その顔を見て、ホイスは自分を救ってくれた感謝の気持ちと、彼女の場違いさに少しばかりの怒りを覚える。


「アルマ! お前が降りてくる必要はねえよ!」


「ある!」


 そう強弁するアルマは今にも泣き出しそうな顔をしていた。


「わたしがリヒトをノイトックの本陣まで運ぶ! わたしが飛んだら一時間で本陣まで付くはずだから!」


 確かにアルマの翼なら高低差や悪路を無視してリヒトをノイトックの本陣まで運べるだろう。人鳥の翼は一日八十カムチャーンは飛ぶ事だってできる。その半分以下、しかも高低差がある距離なら容易いはずだ。

 だが、その前には問題が立ちはだかる。ホイスはそれを口にした。


「馬鹿野郎! そんなの戦線放棄だぞ!」


 アルマは今この戦線を支えている。特に人鳥ハーピー兵は伝令の重責を兼ねているのだ。それが一人欠けるとなると部隊としても大問題となる。

 対してリヒトはスラティ預かりでミュッケ少佐の従兵という以外は普通の歩兵だ。彼一人のためにアルマを割く采配は、許さないだろう。

 

「でもそうしないとリヒトが死んじゃう!」


「もう大勢死んでるんだよ! リヒトだけ特別にするな! お前の惚れた腫れたで命を特別扱いできる場合じゃ無いんだよ」


 アルマに返すホイスの叫びは悲痛だ。

 第一軍だけでなく、第一〇九大隊でももう数人見知った顔がマンティコアの攻勢に倒れて命を失っている。今更リヒトだけを特別扱いなんて出来ないのだ。


「いい加減にしろ! ここをどこだと思ってんだ!」


 大型マンティコアの脳天を擲弾筒槍グレナディーランスで両断すると共に、ギルマンの絶叫が二人の言い争いを遮った。


「ギルマン准尉! しかし!」


「いいか、ファイト上等兵! お前には本陣から血清をありったけ持ってくるようにシュリーフ中佐から言い預かったと言って血清を持ってこい! その行きにヴァッサー二等兵を後送しろ! ホイス一等兵とクノーケ一等兵! お前らは俺の援護だ!」


 息切れしながらも声を張り上げるギルマンの指揮は簡潔だった。


「でも、シュリーフ中佐はそんな命令を出してない……」


 アルマの言葉をギルマンは遮る。


「あの人なら後で追認する! そうじゃなければミュッケ少佐が追認するはずだ! とにかくギャーギャー言ってる暇があるなら行ってこい! 血清が必要なのはもうヴァッサー二等兵だけではないんだぞ!」


 そうだ。

 マンティコアの毒に倒れている兵は大勢居る。第一軍の用意した血清もそのうち無くなるかもしれない。

 だからギルマンの指揮はある意味間違っていないのかもしれない。リヒトを、それ以外の兵を助けるためにも。


「……ギルマン准尉、ありがとうございます!」


 アルマはホイスの腕の中から解かれたリヒトの肩を、鉤爪でがしりと掴む。飛行中に絶対に振り落とさぬようにしっかりと羊毛の軍服に食い込ませて固定し、羽ばたいた。

 リヒトの身体の震えと、歯の根がガチガチと鳴る音が聞こえる。

 マンティコアの毒に襲われた者は耐えがたい寒気に襲われ、体力を奪われながら死んでいくと言う。


「そんなこと、させるもんか」


 アルマはより大きく羽ばたく。肩から翼に繋がる筋肉を思い切り上下させ、土埃を巻き上げて、より高い空へと舞い上がる。


 マンティコアたちは、毒が効いてだらんと力が抜けた猿もどきをぶら下げて飛ぼうとする鳥もどきを、格好の獲物とばかりに各々で飛びかかったり、獣魔法ベズ・ヘクスを浴びせようとする。

 だが、それは遮られた。


「うぉおおらあああああああ!!」

 

 銀色の不格好なモノを身につけた豚鬼オークの絶叫と共に、彼らに向かって鋼の刃が空中を薙ぎ払うように振るわれる。鳥もどきに飛びかかろうとしたマンティコアたちは揃って無防備な状態で胴を、くびを、鋼の刃に両断され、紫色の血が、桃色の内臓が辺りに飛び散る。

 獣魔法を浴びせようとしたマンティコアたちは飛びかかった仲間よりは利口で、残酷な最期を迎えることは無かったが、それでも待ち受ける運命は同じだった。

 ばぁん! ばぁん! と彼らももはや聞き慣れた、連続する銃声と黒色火薬の燃える匂いの後、鳥もどきに獣魔法を浴びせるべく上を向いた顎から激痛を覚えて、数瞬の後マンティコアたちの意識は途切れた。

 ホイスとヨハンの放った弾丸が、無防備に顎を上げていたマンティコアの脳髄を無慈悲に吹き飛ばしたのだ。

 返り血を浴びた豚鬼オーク――ギルマンはそれを拭うこともせず、ホイスとヨハンも槓杆ボルトを引き次の銃弾を込めると、リヒトを鉤爪で抱えたまま高地を離れて飛び行くアルマを見送った。

 彼女が帰ってくるとき、彼女は数十人の命を救うだけの血清を持ってきてくれているはずだ。それまでにこの馬鹿騒ぎを終えなければいけない。

 左翼では山砲が吠え、どこかの群れのボスらしい四チャーンはある大きなマンティコアの頭が無くなる。

 歩兵隊の斉射で脚を止められていた所を、ジャイムがお得意の砲越しの直接照準で頭を吹き飛ばしたのだ。

 マンティコアの厄介な攻撃に兵が倒れていったが、形成はトプカプ州軍側に傾きつつあった。


「雑魚は俺たちで片付ける。あとは将の首だ」

 ギルマンがふう、と一息つく。

 

「うちと向こうの大将の一騎打ちですね」

 ホイスが軽口を飛ばす。それにギルマンは無言で頷く。


「うちの大将たちは山猿なんかに遅れは取らん」


 


 風は強い向かい風になっている。飛ぶだけなら最高の風だが、秋の冷たい風は身体を冷やしてくる。

 アルマの身体は空気を含んだ分厚い羽根の層に守られていたから風を大したことと感じなかったが、その爪の下で歯の根を鳴らし、縮こまろうとするリヒトには命を縮めてしまう冷たさとなってしまうのではないかと、アルマは悪い想像をしてしまった。

 後ろを振り向くと、ニニエル高地は白煙に包まれ、グロシュニイ山脈の山肌は降った雪か何かが陽光を反射する。アルマはまだあそこで戦っているギルマンやホイス、そしてメルセデスやテオドールに申し訳ないと思いながらも、もっと速く前へ進むべく風を切る。

 


「リヒト。キミはわたしが絶対助ける」

 リヒトを元気づけるように、アルマは彼に語りかける。

「わたしさ、確かに惚れっぽくてさ。すぐ誰かのこと好きになっては飽きてを繰り返して。もともとやかましいし、一〇九のお騒がせ娘なんて呼ばれてるんだ――でも、キミは別」


 アルマはリヒトの腕を覗き込む。まだ変色は腕の先まで達していないのを確認すると、ぎゅっと、肩を掴む鉤爪の力を強くする。

 紫色の変色が指先や首元まで達してしまったら、もう助からない。

 だがまだその段階では無い。間に合うかもしれない。

 昨日登ってきた山道が勢いよく流れてゆく。機関車や飛行艦に比べれば遅いが、人鳥の飛行速度は馬と変わらない。特に上から下へ滑空しているときは。


「わたし、キミのことは本気で好きになったんだよ。翼でぎゅってするときとか、いっつもどきどきして、胸の奥ぎゅーってなってさ。『あー、この人ならずーっと一緒に居たい。翼でいっぱいぎゅっとしてあげたい』って思ってる」


 岩肌が徐々に消えて森が深くなる。ノイトックの平原の手前の森にまで辿り着いたのだろう。だからと言ってタイムリミットまで気は抜けない。

 

「だから、絶対助けるね。助けて、また翼で包んであげる」


 視界が開け、ノイトック平原が目に入る。

 土魔法と土嚢どのうで作り上げた陣地と備え付けられた巨大な一五サンチャーン口径級のカノン砲やもっと大きな口径の寸胴の臼砲、そして洋酒色の軍服の兵たちと大量の天幕。

 間違いなく本陣だ。アルマは救護所を示す白い天幕を目がけて急降下する。


 

「重症者移送と伝令!」


 アルマは声を思いっきり張り上げ、翼で空を撃って、本陣の救護テントへと舞い降りるのだった。


 突然現れたアルマにぽかんとしている軍医らしき男に食い付かん勢いで、アルマは鉤爪から離したリヒトの身体を抱きかかえて顔を寄せる。

 

「この子、マンティコアの毒が回ってるんです! すぐ血清を打ってください! それにニニエル高地に届ける血清もありったけください! 第一〇九混成大隊のシュリーフ中佐の命令です!」


 軍医はアルマの言葉にようやく弾かれるようにして、近くに居た従兵にリヒトを救護所に運ぶよう命じると、血清を持ってくるようにと伝える。

 アルマは恐らくすぐに血清を届けるために戻らなければいけない。彼の回復まで付いていることは出来ない。

 にわかに慌ただしくなった救護所の近くで、ほぞを噛む気持ちで、アルマはニニエル高地へ持ち帰るべき血清が手元に届くのを待つのだった。

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