第14話 二二エル高地の戦い・四
「怯むな! 撃ち続け、戦うんだ!」
白煙と火薬臭と血生臭さでむせ返りそうな空気の中で、ギルマンの喉を枯らした声が小銃を構えたリヒトの耳にも届く。
「マンティコアも至近からライフルを撃ちこめば片がつく! 複数で対処して攻撃の隙を与えるな!」
「もう弾倉に弾がありません!」
「それなら銃剣を使え!」
そんな無茶な、と誰かが悲鳴をあげる。
リヒトも同様に悲鳴を上げたかった。黒色火薬小銃の管状弾倉は
塹壕や物陰で装填できる状況ならともかく、平地でマンティコアと数チャーンの距離でやり合ってる最中に弾が切れても、対処できそうにない。
破れかぶれで銃の先端に付いた銃剣を使おうにも、マンティコア相手では完全に膂力の違いで一気に距離を詰められて、こっちが殴られるか、あのドス黒い獣魔法を浴びせられ、重傷を負うだけだ。
「リヒト! こっちに来い!」
ホイスがリヒトの軍服の襟首をひっつかんで引き寄せる。
彼の銃ももう弾切れで用を為さないらしく、銃把を昔の
彼の隣にはまた弾切れの小銃を手持ち無沙汰に持っている純人の陽に焼けた肌の兵士が一人。
ホイスはリヒトともう一人の兵士に向かって言う。
「あの猿どもは番じゃなけりゃ組んで戦うことをしねえ。三人組んで一匹を相手すれば、単発射撃と銃剣でも猿どもに一泡吹かせられるはずだ。さっき一軍の連中がやったみたいにな」
さっき、と言うのは本隊が降りてくる前、狩り番のマンティコアを仕留めた銃剣の
「大丈夫かよオーベル。俺ァ嫌だぞ。銃剣ぶっ刺すつもりがマンティコアにぶっ刺されて死にましたなんてのは」
「大丈夫だっての。見てみろ、連中てんでバラバラだ」
ホイスの言葉にもう一人の兵士も、リヒトも、辺りを見回す。
確かに、マンティコアは高地を埋め尽くすほど居るものの、二匹以上で戦っているものは殆ど居ない。一匹か、それでなければ雄と雌同士で手近なトプカプ兵に襲いかかっている。
「どうせ逃げて幾らも弾込めててもその間にあの猿共に飛びかかられて終わるんだ。それなら一発込めてこっちから打って出た方がまだマシだ」
そんなこと、とリヒトは言いかけたが、視界の端にあるものが映って言葉が引っ込む。
アルマだった。上空から器用に脚の爪を使って小型の
脚の弾帯に残っている
いつか見たアルマの脚についた変色した傷をリヒトは思い出し、そして、気づけば勝手に口が開いていた。
「やりましょう、ホイスさん」
ホイスがにやりと口角を吊り上げた。
「やる気になってくれて嬉しいぜ、リヒト。やっぱ女の前では良いカッコしたいもんな」
「はい」
もう慌てて偽る余裕もない。リヒトは頷いて弾薬
「ああもう、破れかぶれだ!」
もう一人の兵士もホイスとリヒトを影に銃弾を一発だけ込めて、小銃を持つ。
ホイスは慣れた手つきでがちゃりと槓桿を引き、弾を込めた。
彼だけは単発銃の扱いに慣れているらしく、装填にも隙がない。
「ようし、まずはギルマン准尉が相手してるデカブツの横でウロチョロしてる雌を狙うぞ」
ホイスの銃剣で指したのは、十五チャーンほど先でギルマン達重装兵の周りを走り回り、緋色の膨らんだ乳房を揺らしては、どす黒い獣魔法を吐き出す雌だった。
マンティコアは雌の方が魔素適正が高く、獣魔法に長けてるために、実は下手な雄よりタチが悪い。と言うのはノイトックに向かう汽車の中でゲルダが教えてくれたことだ。
ホイスの狙いも多分そこだろう。
誰に言われるでもなくリヒトは脇と腰で反動を相殺する構えを取って、小銃の照星を走り回る雌のマンティコアの身体に向けた。
「リヒト! ヨハン! 撃つぞ!」
ホイスの叫びの後、ばん! ばん! ばん! と鼓膜に響く銃声と、上半身全体を揺るがす反動がリヒトを襲う。
火薬の匂いと白煙が漂い、乱戦の中で砲銃声と悲鳴の坩堝になっているニニエル高地に、またひとつ、ぎぇっ! と汚い声が加わる。
近距離で撃たれた三発の小銃弾は見事に雌のマンティコアの肉を穿ち、マンティコアは仰け反り、倒れた。
「行くぞぉぉっ!」
排莢もしないままにホイスの号令に、リヒトと、ヨハンと呼ばれた兵士が駆け出す。
誰とも無く放たれた小銃の援護射撃が疾走する三人に襲いかかろうとするマンティコアを遠ざけた。
リヒトは感謝の言葉を述べたかったが、そんな状況では無い。
高地の火薬の滓と血を吸った地面を駆け抜け、そして仰け反ったまま痙攣するマンティコアに近寄ると、ホイスは勢いに任せてそのまま緋色の乳房の露出した胸部に銃剣を突き刺す。
リヒトとヨハンも同様に、興奮のまま銃剣をその胸に突き立てた。
二度、三度、抜いては突き刺しを繰り返しているうちに雌のマンティコアは痙攣を止め、ぐたりと紫色の血を吐いて横たわる。
絶命したマンティコアに罪悪感を覚える間もなく、ホイスがそうするようにリヒトはまた
「よし次だ! 一匹だけの奴を集中的に狙うぞ!」
ホイスが次の目標を、銃剣で応戦する第一軍の兵に襲いかかろうとする一匹の雄に定める。
リヒトもそれに頷いて、銃眼を再び覗いた。
だが、そうそう上手く行くこともない。
ホイスもリヒトも焦りと興奮のあまり、マンティコアの間合いに入っていることを忘れているのだ。
そして、それを嫌でも思い出させる声が、上空から響き渡った。
「オーベル! ヨハン! リヒト! 危ない!」
アルマの鬼気迫る絶叫に気づいた時には、もう遅かった。
背中に突き刺す激痛と共に、そこから全身に寒気が巡るような感覚がリヒトを襲う。
全身に氷水を流し込まれたような突然の寒気。脚の力が、手の力が抜けて、歯の根が鳴る。
マンティコアの毒針に刺されたんだ。と考えが巡った時には、もうリヒトの視界と聴覚は薄ぼんやりと幕がかかったようになっていた。
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