第6話 女達の決闘・下

「ベアル・シュピラ! 汝我が敵、静謐なる凍てつく廟に眠れ! 『氷棺エイゼン・ザルグ』!」

 

 エリスの大杖の魔法ダイナモが大型魔素管を吐き出すと同時に、氷柱を躱したメルセデスを中心に魔法陣が展開され、地面の十六方から巨大な氷の杭がメルセデスを取り囲むように突き出してきた。

 これを待っていた、と言わんばかりの破顔のまま、エリスは突き出した杖で氷の杭を維持する。


「まずい」

 テオドールが口走る。

『氷棺』は氷属性の中位上級魔法。一六の方向から円を描くように現れた大きな氷の杭が、中心の敵を突き刺したおすというものだ。杭を躱そうにも逃げ場は無く、杭は氷柱や茨と違って質量的に砕くことなどできない。

 それどころか徹底的にスピードが乗ったままでは杭とメルセデスは確実に衝突し、その衝撃と反動で弾かれ、貫かれる。

『不殺』の魔法がかかっていても致命傷は免れないはずだ。

 テオドールはもう見ていられない、と思わず下を向き、目を瞑る。

「テオドール様、目を開いて下さい」

 そう落ち着き払って言ったのはイレーネだ。

「我が主人。そして幾ら唐突とは言え、貴方の伴侶となるであろうお方の戦い。正視してもらはなくては困ります」

 イレーネの落ち着きぶりは、メルセデスがこの危機を回避できると言いたげなものだった。

 しかしそうは言いましても――そう口走る前に、事態は新たに動く。


「……いくら鍛えたところでやっぱり突撃しか能の無い亜人デミのお嬢様には、魔導師の戦い方の幅にはついていけな――」


「てやぁっ!」


 杭がメルセデスに突き刺さらんとしたまさにその直前、メルセデスは身体を前にのめらせ、騎槍と手甲を後ろに逸らして、だんっ! と脚甲と馬着に包まれた後脚で強く地面を蹴り上げる。

 メルセデスの身体は脚を撥条にして、高く、高く飛び上がった。

 彼女の小さな身体を宙へと舞い上がらせた力強い跳躍は、氷の切っ先を軽々と飛び越える。

 そして折りたたまれた前脚が伸ばされると氷の杭を掴み、再びエリスの方へと全速力で駆け出す。


「……っだから、貴方は本当に何でそんなにデタラメなんですの! 甲冑を着たまま氷の杭を飛び越えるなど!」


「星を掴むためなら私は何一つ諦めはしない! それだけです!」


「星を掴むとか憧れるとか! 自分の身の程を知るという言葉を知らないんですの、貴方は!」

 エリスが『プラチナム・ヘイロー』の魔法ダイナモの引き金を再び引く。

「ベアル・シュピラ! 来たれ『氷槍エイゼンシュピーア』、地より出でよ『氷杭エイゼンハーフン』!」

 メルセデスの進路を塞ぐように、エリスの方向から氷柱が飛び、地からメルセデスを捉えるように氷の杭が現れる。

 

「知っていますとも!」

 左手の手甲を前に突き出し、右手の騎槍を後ろに引き、突撃体勢に移るメルセデス。

「知ったからこそ星を掴もうと手を伸ばし続けるのです!」

 そして彼女を捉えようとした氷の杭を蹴り飛ばした土をかけて後ろに置き去りにし、氷柱を手甲の角度を変えて受け流す。

 二人の相対距離は恐らく三〇チャーン。メルセデスの膂力りょりょくをもってするならあと十秒で詰められる距離だろう。


「身の程を知っているからこそ、星に手を伸ばす……」

 テオドールはその言葉を思わず口走っていた。

「……あの人は底抜けに前向きなのですね、イレーネさん」

「はい、それはもう。嫌になるほどに」

 苦笑するイレーネに、テオドールは「だからあの人はあんな風に強いんだ」と同じく苦笑で返す。

 テオドールは身の程を知ったとき、その現実を受け入れられずに逃げ出した。

 そしてマインツ叔父に言われてやっと逃げることをやめて、自分の身の程を受け入れて、身の程にあった強さを目指した。その結果、魔導科のくせに戦場を駆け回り騎杖を振り回して戦う半端な魔導師が生まれた。

 テオドールはそんな自分を認めながらも、身の程を知っているからこそ自分は半端物と何もかもを諦め、恥じていた。


 だけどあの女性は違う。

 身の程を知っていてなお逃げず、諦めず、憧れの星を掴もうとずっと手を伸ばし続けた。

 きっと諦めることも逃げる方法も知っていた。

 それでも諦めることが出来なくて、憧れの星へと愚直に手を伸ばし続けた。

 だからこそエリスを相手にあそこまで正攻法で圧して戦えるのだ。

 つくづくテオドールとは正反対で、だからこそ憧れられるのが分不相応に思えてきた。

「テオドール様、あまり自分を悲観なされるとお嬢様に叱られますよ」

 イレーネの指摘に、テオドールはまた苦笑いで返すしかなかった。


 メルセデスとエリスの距離はもう十チャーンも無い。

 人馬の膂力、特に目の前に迫る小さな人馬が持つ桁外れのそれを前に、エリスが攻撃に転じる呪文を唱えるのも、距離差を覆すのも、再び距離を取るのももはや不可能だ。

 その上エリスは短時間で連続で魔法ダイナモを使ったことと、その短い間も間髪入れずに氷柱を顕現させるための魔素を取り込んでは放出していたのもあり、恐らく精神痛が思考を蝕むほどに神経に障っているに違いない。

 事実エリスの整った顔は怒りだけではそうはならないほどに歪みきっている。

 テオドールのように魔力の閾が低く、魔法ダイナモの精神痛に半ば慣れてる人間でも精神痛が続けば思考に雑音が混ざる。高位魔法の大量の魔素を補う大型管を三本も数分のうちに使い、更にそれ以外にも魔素を体内に出し入れし続けたのだから、今のエリスの思考の雑音は半端なものではないだろう。


「この、一撃でっ!」

 メルセデスは精神痛を堪えたまま大杖を突き出したエリスに、致命の一撃を与えんと騎槍を手にした右腕を前に思い切り突き出す。


 その突進力を伴った一撃は、しかし『空を切った』だけだった。


 メルセデスの槍が飛び込む数瞬前、エリスは短く起動文を口にして、身体を上空へと逃したのだった。


 自分を捉えられず空振りに終わったメルセデスに、エリスは上空から無様に空ぶったまま止まれない人馬の令嬢に精神痛で歪んだ嗜虐の笑みを浮かべて、『プラチナム・ヘイロー』のハンドルへと手を伸ばす。


「これでお終いですわ」


「これで終いだ」


 その言葉は重なるようにミュッケ兄妹の口から発せられた。

 片方はこれからの勝利宣言として。

 片方は呆れの混じった勝利の行方を占う言葉として。


「態勢を立て直そうと空に逃げた者はその時点で負ける」

 魔導師の俗話の中でも一番有名なもので、一部の例外を除けば空中へと逃げた者は良い的でしかない。実際多くの魔導師や魔族が空に逃げて負けてきた。

 恐らくエリスは空中から攻勢に転じるつもりなのだろう。

 それこそが負けへの最短経路なのに、今のエリスはそれに気づいていない。精神痛と怒りで頭が冷静さを失っているのだ。

 エリスは突撃の届かない高さで、メルセデスを狙うように杖先を向ける。

 そして『プラチナム・ヘイロー』の魔法ダイナモから再び魔素管が吐き出された。


「ベアル・シュピラ! 氷の刃よ注ぎ! 我が敵を貫き通せ! 『氷瀑布エイゼン・ヴァッサー』!」


 悪態を吠えるかのような上級氷攻撃魔法の詠唱がエンツェンヴィル城の空に谺して、空ぶった勢いのまま方向転換するメルセデスを狙うように突きつけられた『プラチナム・ヘイロー』の杖先から、青色に輝く魔法陣が展開される。


「さっせ……ません!」


 エリスの方向を捉えたメルセデスは絶叫と共に前脚を畳み、後脚を大きく地面に踏み込ませる。先程氷の杭を飛び越えたときのように――いや、あの角張った筋肉質な後脚を限界まで縮め、撥条ばねにして、それ以上に高く跳ぶ。


「な――」


 魔法陣から氷の刃が飛ぶより早く、エリスが次の言葉を継ぐより早く、突き出された騎槍が、エリスの身体を穿った。


 そしてメルセデスが前脚から着地するのと、気を失ったエリスが音を立てて芝の上に墜落するのは、ほぼ同時だった。


 

「勝者、メルセデス=フォン=シュリーフ!」

 テオドールはふぅ、と息を漏らしてからそう宣言する。

「妹君の方は私にお任せを。テオドール様はメルセデス様を迎えてあげて下さいませ」

 イレーネの言に頷いて従い、テオドールは軽やかなひづめの音を響かせて駆け寄るメルセデスに手を振る。


「勝ちました、テオドール様。見ていてくれましたか」


 すっかり頬が上気し、額にかかった栗色の髪が汗でぺたりと張り付いている姿と、ほの甘酸っぱい汗の匂いはテオドールをどきりとさせ、遅れて心底嬉しそうに瞼を細めるメルセデスの姿に、彼は言葉を失いかけた。

 だが、テオドールは律儀に――それが彼の流儀であるように――口にする。


「途中、何度も見てられないと目を瞑りました」

 テオドールは、ですが、と切り出す。

「貴女は妹の魔法を全て真正面から受け止めて破った。愚直に星を掴もうと手を伸ばし続け、その伸ばした手で危機を打ち破っていった貴女が私には眩しすぎました」

「……そんなこと言われては、照れてしまいます。私はただ諦めが悪いだけの女なのに」

 そして、こほん、と咳払いをしてから、テオドールは灰の瞳で、彼女の黒曜石色の瞳を真っ直ぐに見つめる。

「僕は星に手が届かないことを知って逃げた卑怯者です。大魔導師という星に手が届かない事を知って自分の道を行くと言いながらも、結局未練がましく星を振り返り、手が届かない疚しさに自分を卑下し続けた。ですが、僕にも新しい星が見つかりました」

 険しい表情で、頬を赤く染めたテオドールが言う。

「メルセデス=フォン=シュリーフ侯爵令嬢。私で良いのならば、テオドール=フォン=ミュッケは貴女の夫となることを――貴女を星として手を伸ばすことを、ここに宣言致します」

 対するメルセデスも、騎槍と手甲で手を覆えず、顔を真っ赤に染めたままこくこくと頷き、「……はい」と短く答える。


「……これでは夫婦ではなく学生の恋愛ですね。メルセデス様は色恋に免疫がなさ過ぎなのに、見栄を張るから」

 完全に伸びた若き中央軍少佐の身体を抱きかかえながら、二人の様子を見ていたイレーネは二人の様子を遠巻きに眺めながらそう呟いた。

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