第6話 女達の決闘・上
エンツェンヴィル城の館の裏の庭はなるほど確かに、闘技場としては最適な作りになっていた。
刈り揃えられた草原の中に小高い丘や窪地が見え、数百年前のものだろう古い城塞の名残の石積みがぽつぽつと点在し、帝都の練兵場より余程実戦的な戦いが出来そうな場所だ。
テオドールは黒髪を掻きながら、十チャーンほど距離を取って並び立つ二人の女を交互に見比べる。
エリスは魔素管の長い管倉をぶら下げた竜銀の大杖『
完全に火が点いた
だが対するメルセデスも負けていない。
馬体に纏った竜銀の鎧と左腕の体格に比して巨大な灰銀鋼の手甲が煌めきを放ち、腕慣らしにか、これ見よがしに円錐形をした鋼の
大きな瞳の奥で燃えている怒りはエリスに比べれば静かだが、温度はそれ以上……さながら火のついた
黄燐マッチに骸炭。その両方が自分の処遇を掛けてぶつかり合うのだ。
自分は何も行動を起こしていないはずなのに、どうしてこうなった。とテオドールは頭を抱えて叫びたかった。
「諦めて下さい、テオドール様。この決闘は貴方が原因でしょうが、貴方の手を離れています」
イレーネがテオドールに慰めとも忠告ともつかない言葉をかける。
その優しさが今は嬉しくなかった。
「それではテオドール=フォン=ミュッケとイレーネ=マイヤーがその見届人となる事で、ここにエリス=フォン=ミュッケとメルセデス=フォン=シュリーフの決闘を執り行う……」
声を張り上げて形式的な決闘の見届人の台詞を口にして、はぁ、と二人に聞こえぬように溜息を吐いたあと、テオドールは仕来りの通り、二人に向かって問い掛けの言葉を継ぐ。
内容はわかりきってはいるが、口にしなければ始まらない。
「双方は何を掛けるか!」
「ミュッケ伯息テオドールとの婚姻の証明と、トプカプ州軍への出向許可の取り付けを!」
「中央軍事裁判へのメルセデス=シュリーフ州軍中佐の上官抗命罪での出廷を!」
お互い要求がよりエスカレートしているのと、自分の出向許可まで求められているのが気になったが、何も口にしないことにした。
どうせそれを口にしても二人の燻っている炎を吹きあがらせるだけだ。
テオドールは「よし」と頷くと、手元の『アッシャー・ヘイロー』を握り、お互いに瞼を細めて向き合っている二人に向ける。
「ベアル・タルテ。これは厳正なる決闘にして殺し合いにあらず。持てる全ての力を振るい給え――『
距離を取って向き合う二人を、テオドールの薄青い魔法光が包む。
テオドールはそれを確認すると、『アッシャー・ヘイロー』を地面に突き立てた。
土がざくっ、と音を立てる。それが始まりの合図。
「ベアル・シュピラ! 凍てつきし茨よ、我が敵の縛めとなれ! 『
先に仕掛けたのはエリスだった。アッシャー・ヘイローが地に着いた瞬間、魔法ダイナモの引き金を引き、上級の捕縛魔法を詠唱する。
恐らくエリスのイメージの通りに、メルセデスの立つ位置を中心に半径三チャーンほどに青色をした魔法陣が展開され、そこから青白い氷で出来た鋭い棘を持つばらばらの太さの茨が一斉にずるりと伸び、甲冑に包まれたメルセデスの脚を、馬体を捉える。
「あっ、ぐっ……」
茨を振り払おうと騎槍を振るうメルセデスだが、茨はその腕をも捉えてしまう。
あっという間にメルセデスの小さな身体は茨に覆われて身動きが取れず、きつく縛りついて鎧ごと彼女を締め上げ始める。
相手の動きを阻害する魔法の多い氷系魔法を得意とするエリス=ミュッケは、相手の機動力を削ぐのに長けた魔導師だ。メルセデスのような機動力を最大の武器とし、魔法を防ぐ術を持たない相手は彼女の良いカモだ。
現にエリスが立てた功績の多くが機動力に勝る相手のそれを魔法で封じる戦法で勝ち取ったものなのを、テオドールは嫌というほど聞かされた。
メルセデスも他の魔導師なら機動力を生かせただろうが、妹はカードの相性が悪すぎた。
テオドールは申し訳なさそうにメルセデスに目をやる。
「もうこれで手も足も出ませんわね。ああ、呆気ない」
エリスはわざとらしく残念そうに振る舞いながら、大杖をかざす。空気中の魔素が彼女の周囲に集まってゆくのがテオドールには肌で感じ取れた。
「ベアル・シュピラ。汝我が敵、
「はああぁぁっ!」
エリスが止めとばかりに唱えていた上級呪文の詠唱が、ばぎぃん! と甲高い破裂音と、高いが気迫の籠もった絶叫に遮られる。
白鋼の騎槍の一閃と身体を大きく動かしたことで、メルセデスをきつく締め上げた氷の茨は掛け声の絶叫と破裂音の後、その全てが細切れの氷塊と化し、細い茨は破片となって遠くまで散って、テオドールの頬にも当たる。
そして隙を逃さず、メルセデスは後脚で凍った芝を一度蹴ると、思い切り駆け出した。
「な……」
エリスは目を見開き、詠唱を止めてしまう。
だがいつまでも驚いてられない。
すぐさま迫る人馬目がけて「ベアル・シュピラ! 来たれ『
「なんてデタラメですの! あの氷の茨は並みの鉄以上の強度を持っていますのに!」
「締め上げたことが間違いでしたね。強度があってもそれを支える
「茨を砕く衝撃を発せられると言うだけでデタラメが過ぎると! 言っているのです!」
迫る大きな氷柱を次々
「……私は小さな半端物ですから。だからこそ誰より憧れたのです! 我が父オスカーに、我が弟フランツ、それに戦記の英雄達――
「そんなの……そんなことで! ただ家族や戦記の英雄に憧れて鍛錬しただけで、氷の茨をも砕く力が出せるようになったと!? ますますデタラメが過ぎますわ!」
「わたしはただ精進しただけのつもりだったのですが、父上やフランツからは『お前はやり過ぎだ』と何度も言われました。人一倍精進したつもりが、周りが見えずにその何倍も精進していたらしくて!」
メルセデスの脚駆けが一段と速くなる。
「エリス様は才能がお有りであるが故に、そのように思えるお方がいなかったのでしょう。残念ですね」
「ああもう! 何もかもがデタラメすぎて腹が立つ!」
エリスは悪態をつきつつも距離を取りつつ、更に氷柱を作る。
それを躱してゆくが、一本の氷柱がメルセデスの進路上へと真っ直ぐに飛んでくる。
「こんなもの!」
メルセデスは左腕の灰銀鋼の巨大な手甲を、身体を庇うように前に突き出す。灰銀鋼の手甲にぶつかった氷柱は硝子のコップを落としたような派手な音を立てて砕ける。
エリスは魔法を唱えながらも駆け、メルセデスとの距離を取るものの、それは徐々に縮まる。
人馬の突貫力と速度に対して、魔導師は初手を間違えば移動補助系の魔法を使ってもリカバリーが効かない。特に中央軍の魔導師に多い機動力ではなく魔法の力で圧すタイプは懐に入り込まれたらもうおしまいだ。
だが、とテオドールは一見メルセデスに圧されているように見える二人の趨勢を睨む。
エリスがそこで終わるような女なら柏葉鉄丁字章など得られなかったはずだ。
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