第2話 オヴェリフルにて・下

 最初に自分が半端物とテオドールが思い知ったのは、幼年魔導学院の最高学年だった。


 卒業前の春学期、皆が待ち望んだ上級魔法の実施訓練。魔導学院で学ぶ高位魔導師の卵にとって待ちに待った瞬間。彼も勿論その一人だった。


 テオドールは学生用の杖でなく、初めて本物の魔導師用の長くて重い大杖を持たせてもらい、自身の魔法の起動文と事前に習った通りの高位魔法の呪文を口内で唱え、自分の体中に魔素を取り入れ、放つ魔法の像を練り上げる――その過程はそれまで習ってきた魔法と同じ。

 ただ身体に取り入れ得る魔素の量と、口にする呪文の持つ長さとその呪文を唱える負担、そして杖が今までの授業のそれよりもずっと重い。それだけのはずだった。


 そう、途中まではテオドールも負担すら期待に感じて、心地よさすら覚えていた。



 だがいざ呪文の終盤に差し掛かろうとした時。テオドールは全身の内臓が、血管が、暴れ回ってぐちゃぐちゃにかき回される感覚に襲われた。


 悲鳴を上げられない。嘔吐すら出来ない。膜が張ったように気道も食道も塞がれたような感覚があり、全身の血管へ異物を流し込まれたようにざわざわと心臓から体中へ嫌な異物感と冷たさが巡る。


 死んでしまう。先ほどまでの心地よい負担など一気に吹き飛んで、そんな考えで頭が支配され、やがてそれすらも白いもやがかかって消し飛んでしまった。


 時間にしてたった数瞬、しかし数分間はそんな苦痛に襲われたと感じながら、テオドールは声も上げずに口からも鼻からも血を吐いて、杖を手放しその場に倒れ込んだ。


 テオドールは学院の病室で目覚めて、あの恐ろしい苦痛と血を吐いて倒れた原因が、彼の身体が許容できる魔素のしきいと教授に聞かされた。


 魔法は大気中、或いは凝縮され封入された魔素を、呪文を唱える術者の身体の中で変換して、それを増幅する魔杖を通じて発現する。

 そして術者の身体で受け止められる魔素の量――同時に使える魔法の等級の高さの閾は個人の体質によって異なる。


 それこそ使用する魔素の圧倒的に低い日常魔法――シャツのシミを抜く魔法や本棚の高い場所にある本を取る魔法、温い水を冷やす魔法程度なら、魔法を使う素質さえあれば大抵の人間は習得できる。


 だが攻撃魔法や防護魔法、予知魔法の類となると、上位のものになればなるほど術者の身体が受け止める魔素の量は増えてゆく。

 そして閾を超える――器が許容できない量の水が注がれると、器から内から弾け飛ぶように、体中に余剰魔素が逆流して、臓器や血管などの体内を魔素が駆け巡って身体が機能不全を起こす「ノックバック」現象が起きる。


 テオドールの場合は学院で学ぶ中位魔法の中でも上位の物までは耐えられたが、そのすぐ上の下級高位魔法には耐えられる閾値を持っておらず、ノックバックに至ったと言うのだ。


 もしテオドールがただの魔導師を目指す少年ならば「そこまでか」と自身の閾とノックバックを受け入れ、諦められたかもしれない。



 だがしかし、テオドール=フォン=ミュッケはそれを受け入れるなど出来なかった。

 イヴァミーズ領主であると共に、帝国を代表する魔導科軍人の名家たるミュッケ伯爵家。

「人族の魔王」と呼ばれる大魔導師・レンハルス皇帝家が治めるレンハルス=ミッテルラント帝国において、魔導師の名家は他のどの兵科の名家よりその地位は重い。

 その軍人魔導師の名家の長子が、高位魔術が使えないなど、あってはならない。


 事情を知ってから父は失望の混じった、次子である妹のエリスは嘲りと侮蔑の混じった視線をそれぞれテオドールに向けるようになった。


 幼年魔導学院に入学したばかりの末の妹のエミーリアは

「テオ兄様は何をそんなに悲しがっているの? エリスお姉様はなんで急にテオお兄様を嫌いになったの? 兄様の魔法が突然使えなくなってしまった訳でもないし、兄様は立派な魔導師のはずなのに」

 と不思議そうに問いかけていたが、それにテオドールは答えることも出来ずに失意のまま魔導学院を卒業した。


 中位魔法までは発動の多少難しい魔法でも満足に使えたのと、地頭の良さで、なんとか士官学校の魔導科には中程の順位で入学できた。



 そして士官学校にいる間も体内に取り込める魔素の閾の低さを上げる方法を探した。


 閾の低さを解決する方法など未だ治療法はない。と魔導医には言われ続けた。


 だが、魔法には体系的な学問である魔導学以外に民俗伝承の類の言説がある。

 普通の魔導師なら迷信と切り捨てるような言説だが、テオドールはそれにしがみ付いた。


 血の量を増やせば閾が上がると聞いて肝臓料理を狂ったように食した。


 魔素を常に体内に取り込むと身体が馴れて閾が上がると迷信じみた伝承の本に書いてあるのを読んで、魔素結晶を砂糖玉で包んだ丸薬を飲み続けた。


 その他にも怪しげな言説も片っ端から試して、怪しげな薬を調合しては飲んだ。


 だが、魔素丸薬の治療は閾を上げるどころか逆に重度の魔素の蓄積中毒を起こし、テオドールはある日突然鼻血を吹いて倒れ昏睡したのだった。



 中毒症状で休学中のテオドールを誘い出したのがマインツ叔父だった。


 マインツ叔父は長子である父の三番目の弟で、見た目も父とかなり似てはいるが、口髭をほんの少し残す神経性の父とは正反対に、硬い髭を山羊のように伸ばしている常に剛気で細かいことを気にしない男だ。


 体内魔素の閾の低さからすっぱりと魔導科を諦め、騎兵科の道を選んだマインツ叔父は実兄の父からは信頼されていたがミュッケ家では異端の存在だ。

 

 エリスは勿論、まだいつか自分は高位魔導師にならなければと信じていたその頃のテオドールも、マインツ叔父は「変わり者の落伍者」だと思っていた。



 だが、連れ出された練兵場でテオドールが目にしたマインツ叔父は、彼のそんな偏見を一瞬で打ち破った。


 黒鹿毛馬に跨がり特注の槍型の騎杖きじょうをかざし、中位魔法や補助魔法と槍術を合わせて計算高く、しかしとても豪快な戦い方で、騎兵将校や人馬騎兵、擲弾筒槍グレナディーランスを持った猪人ザウマンの重歩兵下士官を翻弄するその姿は、病み上がりのテオドールの目に嫌でも焼き付いた。


 巨大な大杖を掲げて敵陣に高位攻撃魔法を次々と撃ち込み、魔素の盾を打ち上げる、父のような高級魔導士官のスマートで静かだが派手な戦い方とはかけ離れていた。

 魔導師の一族のするものとは思えない、泥まみれで汗まみれの、槍と槍を叩きつけながら魔法を放つ。そんな脳裏から離れないほど衝撃的な戦い。


 そんな戦いを見せた後、マインツ叔父は興奮の冷めやらないテオドールに言葉をかけた。


「人には各々の適した戦い方がある。テオ、お前さんは魔素の閾が低いが、その分頭が回るし腕っ節もある。砂糖玉なぞ舐めて魔素の閾を上げようとせずに、己に適した戦い方を見つけろ」


 マインツ叔父の言葉は恐ろしく無責任だと魔素中毒と心病みを同時に抱えていたテオドールは思ったが、それでも心のもう半分では、マインツ叔父の言葉は心強く響いていた。


 高位魔法を撃ち、高位魔法で防ぐ。

 周りの学友がそんな戦いを繰り広げる中で中位魔法しか使えない半端物の自分にも、自分なりの戦い方ができるのだ。と。


 魔素中毒から立ち直った後、テオドールはすぐに自分のための杖を作った。


 本来魔導科の士官が持つものでない、高位魔導師にも力ある騎士にもなれない者のために設えられた半端物の杖――騎杖を持ち、あの日見たマインツ叔父の姿を思い出しながら、士官学校を卒業する日まで自らの技を磨いた。


 高位魔法が使えないことと魔素中毒で休学した期間を挟んだおかげで、案の定テオドールは士官学校をとても中央軍に進めないような酷い成績で卒業した。

 そしてミュッケ伯領イヴァミーズを有するスラティ州軍に、父クルトの代わりのミュッケ伯家の鎮護として――殆ど落ちこぼれを取り繕う言い訳だが――入隊した。

 

 それから七年、二五歳で州軍少佐まで昇れたのは州軍を束ねるマインツ叔父のおかげもあったが、テオドールも士官学校で学んだ采配と実力を示した。


 二年前の『レーゲンラッヘンの銀竜事変』で、スラティ北部・レーゲンラッヘンの地で暴れ出し、スラティ州軍とルメン州軍で追い詰めた大銀竜の止めを刺したことで鉄丁字勲章を授与する働きを見せたおかげでもあった。


 魔素中毒の中でボロボロだった自尊心も、士官学校の二年と卒業してからの七年の間にいつの間にか、刺激されなければ保てるようになっていた。


 だから、それが良くなかったのかもしれない。


 半月前の首都ユーラヒルの練兵場で行われた観閲式。


 諸州軍と中央軍の強者達が集うその場で、鉄丁字勲章を下賜された者達による決闘の催しが当代の「人族の魔王」皇帝ヴィルヘルム=ルーハンス陛下によって催された中、銀竜討伐の功で鉄丁字勲章を得ていたテオドールも、その決闘の参加者の一人として戦うこととなったのだ。


 テオドールの相手となったのはトプカプの領主・シュリーフ侯爵が二子。人馬騎士のフランツ=フォン=シュリーフ少佐。


 北東部国境の魔族との国境の戦で誉れを立てた、本物の騎士だ。


 伯爵家と侯爵家、州軍少佐と中央軍少佐。家格と階級の差からして恐らく馬鹿正直に戦い、忖度し負けるのが一つの道理であったのかもしれない。


 だが、マインツ叔父に言葉をかけられて九年間で養われた自尊心は、それを許さなかった。


 テオドールは真っ向から持てる力と知恵を出し切ってフランツ少佐に挑んだのだ。

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