第3話 観閲式の戦い
「小官との手合わせ宜しくお願いします、テオドール殿」
帝都練兵場の鉄傘を備えた煉瓦造りの大観覧席を背負って、フランツ=フォン=シュリーフはテオドールと相対していた。
その筋肉質な赤みがかった馬体を含めれば三チャーンにも届くのではないかという竜銀の鎧姿のフランツは、鎧で覆われた馬体と同じ色の長い赤毛を練兵場の風に靡かせながら、想像していた以上に優しく穏やかな声色でテオドールに声をかける。
しかし、穏やかな声色とは真逆に視線は真剣そのもので、太い腕の先に握られた冗談のような巨大な鋼剣もまた、手加減を許さない。と言った風に、風圧を伴って振るわれる。
「小官こそ宜しくお願い致します。フランツ殿」
それが燻っていたテオドールの意地と自尊心に火を点けた。
これは本気で挑まねばならない。
後で待っているエリスや他の魔導科士官の
中央軍の魔導科士官が絶対に持たないような外道の杖は、注ぐ陽光を鈍く返し、持ち主の眼鏡の奥の不敵な光を映した。
試合開始のホルンが鳴ると同時に、テオドールは起動文と続く呪文を口ずさむと共に、『アッシャー・ヘイロー』の鍔から伸びた半月状のハンドルを引いた。
「ベアル・タルテ。気まぐれなる風精の王よ、我が脚に貴方の加護を与えたまえ――『
魔素の急激燃焼特有の軽薄な破裂音を立てて、ダイナモの
大量の魔素を急速に燃やした反動の、締め付けるような精神痛がテオドールの肺と心臓を襲う。
歯を噛みしめて堪えながら走り出したテオドールは、破砕音を遙か後方で聞いていた。
『疾脚』
対象の脚の速さと跳躍力を大幅に引き上げる『
想像と魔素を正確に練ることはややコツがいるものの、攻撃高位魔法と違って閾を上回ることが無いのもあり、高位だがテオドールにとって
魔導科士官だけに最初に攻撃魔法を撃つと思ったのか、テオドール目がけて脚を撓らせ突撃したフランツだが、『疾脚』で明後日の方向に駆けたテオドールを捉えそこね、鋼鉄の剣はテオドールの居た位置を大きく空ぶる。
しかしフランツも馬鹿では無い。
慣性を殺して止まるような真似はせず、そのまま勢いをつけて急転身してテオドールを追う。
『疾脚』の魔法を使っても、さしもの人馬相手では速度と持久力ですぐに負ける。
テオドールは横に大きく飛んで、『アッシャー・ヘイロー』の切先をフランツに向け、起動文のみを口にして、魔素を練った先から切先へ向け、白色の光弾を次々と連射する。
デタラメに何発かがフランツに当たるが、フランツは光弾の与える衝撃にびくともせず、勢いをつけて迫ってくる。
距離を取るために
しかも跳躍が悪かった。
一直線に跳んだまま減速するテオドールに対し、フランツの加速は止まらず、距離は一気に縮まる。
フランツの、見るからに重い鋼鉄の刃がテオドールを捉えた。
『
咄嗟に『アッシャー・ヘイロー』の峰で刃を受け止めて滑らせ、間一髪で刃はテオドールの脇に落ちた。
「障壁魔法でなく灰銀の剣の峰で受け止めるとは、本当に魔導師らしくない戦い方ですね」
「半端物ですから。高位魔術の手習いが出来ない分、剣の手習いに時間が割けたのですよ」
軽口をたたき合った後、フランツは返された剣を今度は下段から振り上げようとする。今度は騎杖の腹を刃に並行に立てて切っ先に向けて滑らせる。
靭性の高い灰銀鋼の騎杖と鋼鉄の大剣だからこその
フランツが攻め、テオドールが峰と側面で刃を受け止め、滑らせて防ぐ。
テオドールが隙を見て剣先を馬体に叩き込もうとすると、大剣の腹や大柄な柄頭――もう素直に石突と呼ぶべきか――が撃ち込まれた刃に盾のように立ちはだかる。
時折放つ衝撃光弾も馬体に何のダメージも与えられていない。
懐に入った近接戦では攻撃範囲の短いテオドールが圧倒的に有利なはずだが、フランツの剣技は大剣と体格の不利をものともせずに防ぎ、払い、仕掛けてくる。
脚を覆う熱が失われつつある。
『疾脚』のタイムリミットが近づいているのを感じたテオドールは、フランツの薙ぎ払うような一撃を騎杖の腹で受け止め、後ろに思い切り吹き飛ばされる。
そして時間切れギリギリにもう一度練兵場の砂の地面を後ろに蹴った。
テオドールは自らの息が相当に荒くなり、目に汗が入り込む感覚を覚えていた。
大観覧席の大時計を盗み見ると、まだ開始二分。それでこの消耗だ。
衝撃光弾で試してみたが、下手な魔法を打ち込んでもフランツは止まりはしない。
面制圧力に優れるが一発の威力に劣る範囲魔法を撃ち込む魔導科士官の定石など、フランツに効かない。
ならば点突破となるが、生憎テオドールは竜銀の鎧を着込んだタフそのもののフランツを止める威力を持つ点突破の高位攻撃魔法は撃てる体質ではない。
もとより長期戦になれば人馬の持久力に押し負ける。
『アッシャー・ヘイロー』の魔素管は残り五本。
これを全て防御と『疾脚』に回しても十五分の引き分けの笛に間に合うはずない。
例え予備の魔素管を持っていても、短時間で大量に魔素管を燃やせば精神痛で気絶してしまうだけだ。
ならば、自分の持てる手段で点突破に持ち込むだけだ。
テオドールは練兵場の観覧席の建物ギリギリの位置に半ば転げるように着地した。
そして立ち上がると、荒い息のまま再び鍔の下のハンドルを引く。魔素の急激な燃焼音と共に機関部からガラス管が弾き出される。
『ベアル・タルテ――『疾脚』!』
肺と心臓を締め付けるような神経そのものに直接響く反動痛と共に、再び脚に熱が戻る。テオドールは肩で息を切りながら練兵場の地面を蹴り上げて走りだす。
――ただし、フランツの方では無く、淑女の日傘のような鉄傘を広げた大観覧席目がけて。
「攻撃が効かずに臆したか、ミュッケ少佐は」
「降参ならば降参と言えばいいのに!」
大観覧席から罵声や失笑の声が飛び交う。
それを聞こえないふりをして、振り向いてフランツを盗み見る。
剣を突き構えて勢いよく迫ってくるその表情には怒りなど無く、平静な真剣さを保っていた。
フランツは最初から相手が――魔導科士官の定石をことごとく外す男が――何かを仕掛けるのをわかって観覧席に走ったのだと解っているのだ。
「『半端物』にしても根性の無いこと。まだ始まってちょっとなのに」
「もう少し粘ってくれないと面白くならないだろ」
ぼやきが聞こえる程に観覧席に迫ると、テオドールは痛み、怠さを覚え始めた脚を鞭打って、ブーツを観覧席の白いモルタル壁に垂直に踏み込む。
そして、次の脚はさらに上の壁へ。ブーツの底は垂直に観覧席の建物を駆け上ってゆく。
ぼやきと失笑と罵声が一斉に騒めきに変わったのに、テオドールは意地の悪い笑みを浮かべた。
壁の最上段まで走りきったテオドールは、今度は観覧席の鉄柱を蹴り上げて登り、驚愕の表情を浮かべるクシレイ州の州軍大尉の傍からフランツに向けて『アッシャー・ヘイロー』を構えた。
起動文を口ずさんだ後に「我が杖より出よ『
そして再び足場になりそうなものを蹴って、観覧席の鉄傘を支える煉鉄の梁を走り始めた。
がんがんがんがんっ! と煉鉄の梁の揺さぶられる音が、テオドールの短い詠唱の後に火球の飛ぶ音が、観覧席を余計に騒がせる。
「卑怯だぞ!」「降りて戦え!」と観覧席の下から罵声が響くが、それも錬鉄を蹴り上げる甲高い音と自身の荒い呼吸音と、神経にまだ残る反動痛の障りに意識が向いているおかげで気にならなかった。
地上のフランツは観覧席の騒ぎなど余所に冷静に火球の直線的な軌道を避けて交わす。
衝撃光弾なんかと違って中位火球魔法ともなれば食らえばフランツも負傷を免れない。
だがフランツの進路上に立ち塞がるようにジグザグに撃ち込まれてくるテオドールの魔法は、確実にフランツを追い込んで、進路を奪っている。
「ちぃっ! だがその足下では!」
悪態をつくフランツは、梁の上のテオドール目がけて大剣を勢いよく振り払う。
大剣の発する風圧が不安定な錬鉄の梁を走るテオドールを襲う。
「ちっく……しょう!」
片脚が梁から離れ、テオドールはバランスを崩す。
だがテオドールは咄嗟に残ったもう片脚で思い切り踏み込み、梁を蹴って、練兵場の方へ向かって身を投げ出した。
もう少し粘るつもりだったが、予定変更だ。
テオドールの身体は宙を舞う。ずり落ち防止の魔法のかかった金縁眼鏡の先でフランツを捉えると、身体を捻って、衝撃光弾を進路上に五発バラ撒く。
運動エネルギーの塊の衝撃光弾は練兵場の土の地面を抉り、一直線に並んだ窪みはフランツの馬脚の進路を遮った。
フランツは大きく勢いをつけ、その窪みを飛び越える。
が、馬体が宙を舞った瞬間、二発の破裂音を伴ってフランツの視界が太陽光が遮られる。
頭上に被さったテオドールの影は、フランツの馬体の頭上で
「ベアル・タルテ! 大気の精よ、地の精よ、我が声に応えよ――『
魔法ダイナモを三連発で使用して生じた、内臓を捻り絞られる激痛の絶叫をなんとか呪文の体で吐き出した直後、テオドールとフランツを中心にした円状に、周囲の空気と地表が二人の身体を押しつぶさんとする。
もし脚が地に着いていれば無理矢理にでも突進できただろうフランツは、跳躍の最中に地面に叩きつけられたために完全に支えを失い、その脚も容易に立ち上がれないでいる。
「これが狙いか! テオドール殿!」
いいや、とテオドールは心中でフランツに返す。正確には「これ『も』狙いだ」。
空中のテオドールの身体は重圧に従い、吹き出た鼻血よりも早く加速度を得て急速に地上に落ちていった。
不気味な光を宿した灰銀の騎杖をフランツの馬体目がけて叩き落とすように。
フランツの赤髪の一本一本が見えるところまで落ちたとき、テオドールは叫んだ。
「――
重圧で勢いを増した『アッシャー・ヘイロー』の刃先がフランツの竜銀の鎧に叩きつけられる。
刹那、騎杖の刃先に収束された魔素管二発分の爆裂魔法が起爆し、フランツの鎧に爆圧と衝撃が遅れて叩きつけられる。
「が――はっ!」
フランツが声にならない声を上げる。鎧が剣の重量と重圧と、そして二発の爆裂魔法の爆圧で揺さぶられ、鎧の中の身体に直接伝わったのだから無理も無い。
二年前のレーゲンラッヘン銀竜事変の際、シュメリネル湖での決戦で銀竜の頸椎を折ったテオドールの『奥の手』は、『不殺』の魔法を通しても竜銀の鎧に
ぜえぜえと肩で息を切りながら、反動痛と肉体の酷使で怠さと痛みに支配された身体に鞭打って『アッシャー・ヘイロー』を杖代わりによろめくように立ち上がる。
そしてようやく吹き出た鼻血を拭ったテオドールは、勝利の笛が鳴って自分の名が勝者として読み上げられたのを耳に厚い膜が張られたような感覚で聞いていた。
それが数ヶ月前のこと。
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