第4話 小さな人馬の求婚宣言
小高い丘を堡塁と城壁で固めたミュッケ伯家の居城・イヴァミーズ城が段積みされた丸チーズだとすれば、シュリーフ侯の居城たるエンツェンヴィル城はパイのような城だ。
古い時代の円状の城壁の中に、小高い丘状の芝の広がる庭園には所々城壁と同じ時代の城郭の跡らしい石積みが点在し、その中央、湧き水の池の畔に背の低い白亜の城館が佇んでいる。
二頭立て馬車を降り、イレーネと名乗った恐らくテオドールと同世代の世話係らしき女中服の女性に導かれ、城館の客間へ通されたテオドールとエリスは赤ラシャ張りの椅子に座る。
「兄様のあの戦い、シュリーフ侯令嬢はなんと評するのかしら」
エリスがわざと高い音域の声を上げる。
「私に言わせてみればあんなのは魔導師の戦いではありませんでしたわ。跳んだり跳ねたり、たまに
「その演目ですら反動痛で僕は立つのもやっとだったんだぞ」
テオドールは毒づくように口を開く。
「それにお前の言う演目はレーゲンラッヘン事変で銀竜の頸椎を折ってる。お前の杖の元となった鱗を持つ竜のだ」
「マインツ叔父さま方が消耗させて弱り切った、を前に付けるのを忘れて?」
ささやかな反抗はエリスの痛烈な一言で一蹴された。
テオドール自身確かに自分の戦いが曲馬団の演目じみていたのは認める。
それに銀竜の頸椎も決戦までの間、マインツ叔父のスラティ州第二軍の猛攻と、ルメン州軍の応援がなければ成功しなかったのは確かだ。
「兄様の銀竜討伐の鉄丁字勲章は私のこれと違って、偶然の産物だと言うことをきちんと把握してくださいまし」
首元の「これ」ことブラウスの立襟の下にぶら下がった柏葉鉄丁字勲章を指で持ち上げるエリス。
帝国と魔族の国の北部国境での魔族との衝突で指揮官級の中級魔族との魔法合戦の末に勝ち得たというそれは、今のエリスの最大の誇りだ。
それが本当に全てを自らの力で成し遂げたかは解らない。
彼女の部下や他の軍の力添えだってあったかもしれない。
だが自らで勝ち取った誇りの証を胸を張って誇示できることが出来るエリスが、少しだけテオドールには羨ましかった。
テオドールは「ああ」と、どうとでも取れるような返事を口にした。
暫くしてこんこん、と樫作りの客間のドアが叩かれる。
「テオドール=フォン=ミュッケ様。我が主、メルセデス=フォン=シュリーフが参りました」
扉を開いたイレーネの後ろから、かつん、と硬い
すっと下がった彼女に替わって客間へ、ゆっくりとテオドール達をこの城に呼んだシュリーフの長子が姿を現した。
テオドールはイレーネの言葉を聞いて深く一礼した後、頭を上げる。
そしてテオドールは己の目を疑った。
「テオドール様、お目にかかれて光栄です」
その高くてほの甘い声の主を、テオドールは自分を呼んだ女性と全く関係の無い少女なのかと思った。
普通人馬と言えば性別を問わず二チャーン半か三チャーンは背丈のある種族なのだが、彼女は恐らくテオドールと変わらない――一チャーンと六十サンチャーン程度の背丈しかないのだ。
新緑色のビロード地の馬着に覆われた馬体もまるで公園の木馬のような大きさで、とてもあのフランツの姉とは思えない体つきだ。
馬着と合わせの新緑色の上衣を纏った人の部分の身体も成熟してはいるのだろうが、成長途上の少女と思ってしまえるほどに小さい。
極めつけに大きな黒曜石色の瞳を有する幼げな顔立ちと、三つ編みにした赤みがかった栗色の髪が余計に彼女を育ちきっていない少女のように見せる。
彼女が本当にフランツの姉で、自分をここに呼んだ人物なのか。
テオドールはズレ防止魔法がかかっているはずの金縁眼鏡を直し、その奥の目を細めて再び彼女を見る。
「あの、貴女が……」
間の抜けたトーンでテオドールは目の前の小さな人馬の女性に訊ねる。
「はい。私がメルセデス=フォン=シュリーフです」
にこり、と笑みを浮かべるメルセデス。テオドールがこれまでの生涯で見たこともない、形容できる言葉の無い笑みがテオドールに注がれる。
口を半開きにしたまま固まったテオドールがはっと我に返ったのは、恐らく数秒ほどだったろうが、その注がれた笑みを目にしただけで数分は経っていたように感じてしまっていた。
テオドールは慌てて頭を下げ、震える唇から声を漏らす。
「メルセデス様、先日の一件と言い、貴女を疑ってしまったことと言い、数々のご無礼を働き、誠に申し訳ありません。このテオドール=フォン=ミュッケ、どのような叱責や罰も甘んじて受ける覚悟であり――」
非礼をわびる言葉が止めどなく漏れてくる。
それを遮ったのは「お顔をお上げになってください?」と言うメルセデス自身の言葉だった。
「私はシュリーフ候の長子かと疑われるのはいつものことでして。テオドール様は特にフランツと会った後に私を見た故、仕方の無いことだと思っています」
こくこくと彼女が頷くのに合わせて、
「それに、先日の一件の無礼とは何のことでしょうか?」
「あの、それは――」
「先の観閲式の試合において、不肖の兄がフランツ様を曲馬団の演目のような戦いで打ち負かしてしまったことですわ」
エリスが口を挟んでくる。
「幾ら試合とは言えあのような戦いではメルセデス様もさぞお気を悪くして――」
「そんなことございません!」
声を張り上げると同時に、ぱあっとメルセデスの顔が晴れやかになる。
「私はあの試合を見て感激いたしました! 半端物の魔導師なんて呼ばれていた方と聞いていたのに、あんな見事な戦い方が出来る方だったことに!
魔法ダイナモの反動痛を堪えながらも勝利をもぎ取らんと観覧席で鉄の梁を走るテオドール様のお顔を見て! フランツに振り下ろしたあの技でレーゲンラッヘンの銀竜を仕留めたと聞いて!
この小さな身の半端物の私は貴方に憧れて! 逢いたく逢いたくたまらなく! ついに私は心を決め、貴方をこのトプカプへお呼びしたのです!」
かつん、かつん、かつん、とハイテンポに蹄鉄が床を叩く。
メルセデスの顔は、大きな目は、もうテオドールの丸眼鏡のすぐ側に迫っていた。
温かくて小さく、それでいて岩のように硬い手がテオドールのそれを取る。
「テオドール=フォン=ミュッケ様! どうぞ私の伴侶となってくださいませ!」
なんと言われたのか、一瞬テオドールは解らなかった。
と言うより、先ほどから何が起こっているのか、何を口にされているのかが理解できていなかった。
テオドールはあの正攻法と呼べない戦いによって誇りを傷つけられ、叱責をされると思い込み凝り固まっていた。
だからあまつさえ自分でも魔導師のそれとほど遠い、曲芸じみた戦いと思っていたあの試合と自爆技の『ヘイロー・ダウン』を称えられ、憧れを告げられ、求婚されていると言うこの状況が何一つ理解できなかった。
テオドールは身体も、思考も、全く硬直してしまっていた。
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