月になる
有月は立ち上がる。瞳にはもう涙は浮かんでいない。その代わり、月が残す最後の影が、写されている。褐色が広がる。
「ずっと憧れだった。」
その右足が涙で湿った土を踏む。さっきまで泣いていた自分と決別するかのように。
「照らしてくれた。」
また一歩、過去の屍を超える。その足取りは、より強固な足跡を作り出す。
「姉ちゃんは、太陽だった。ずっと。」
太陽は今にもその姿を現さんとする。スーツの裾がなびき、影が変幻自在その姿を変える。
「月になる。」
有月は足を止める。仙台の街が見える。遮るものはもう何もない。家々の影がつながり、巨大な生き物になる。その生き物は、乱暴に街を闇で包み込もうとする。
「俺は月になる。姉ちゃんの光を、夜に映し出す。」
有月は後ろを振り返る。その顔は暗く切り取られ、表情は見えない。
「月になるよ、姉ちゃん。」
返事はない。穏やかな寝息が砂を吹く。
「またね。」
日食が終わった。太陽は完全な姿を表す。月はもう影も見えない。有月は両手を広げる。名残惜しそうにゆっくりと瞼を下す。意識が遠のくのと同時に、全身の感覚が鋭利な刃物のように研ぎ澄まされる。まつ毛が風を感じ取り、湿った唇が光を味わう。鼓膜は時間の流れる音を聴き、肌で生き物の息吹を感じる。秒針の進みが遅くなる。世界は有月を受け入れる準備を終わらせる。その合図を感じる。深呼吸をする。最後に空気を痛いくらいに吸い込む。お腹に力を込める。右足を前に出す。体を支えるはずの地面はもうそこにはない。残った足で地面を蹴る。有月のシルエットが太陽と重なる。影が消える。
「ありがとう。」
オシドリはもう鳴かない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます