新月
「ふう」
体の節々が軋む。目を開けるとそこはいつもと変わらない、部屋の天井が見える。慌てて腕時計を見る。6時45分。日没開始が7時9分だから、とりあえず計画の第一段階は成功したことになる。
「よかった。とりあえず山場は超えたな。」
しかし、目が徐々に冷めてくると体にあたるタオルケットの感触に違和感を覚える。タオルケットをめくって、ベットから足を下ろす。そしてパンツ一枚しか着ていないことに気づく。
「あれ、おかしいな。寝る前にしっかり着替えてたはずなのに。」
頭をかきながら壁を見る。そこには綺麗にハンガーにかけられたスーツがある。
「なるほど、姉ちゃんだな。そういえば確か、スーツで寝て怒られたことがあったな。にしても脱がしてくれるなんて、さすがだな。よし。」
そう言って立ち上がり、ハンガーにかけられたスーツに手を通す。このスーツも姉ちゃんが買ってくれたものだ。ファッションにとことん疎い俺のために、わざわざお店まで足を運んで、オーダーメイドで作ってくれた。本人が行けなかったからサイズは少し大きいけど、それでもお気に入りだ。洗面所の鏡を見ながらネクタイを締める。これも去年の誕生日に姉ちゃんが買ってくれたものだ。
「ほんとに、姉ちゃんだらけじゃねえか、俺。」
5円玉と家の鍵を持って玄関に向かう。靴を履き終えたあと、ふと思い直して鍵を靴箱の上に置く。玄関を開け、外に出る。夏の匂いが鼻をつく。空は夕陽に照らされて真っ赤に色づいている。
「久しぶりだな、この感じ」
階段を降り、エントランスを抜ける。生ぬるい夏の風が首筋を撫でる。ポケットの5円玉をいじりながら歩き始める。遠くから歌が聞こえる。怒鳴り声のような歌声だ。歌の聞こえる方向を見ると、太った男がアコースティックギターを握りしめ、唾を飛ばしながら歌っている。でも不思議と、不快感はない。
「やっぱり、陽の光はいいな。全部を包み込んでくれる。」
やがて、石畳の階段が見えてくる。そのうえで、真っ赤な鳥居が、さらに真っ赤になって輝いている。
「すごいな。レッドカーペットみてえ。」
背中に太陽の熱を感じながら階段を登る。家を出た時よりはその輝きは衰えているが、熱量は変わらない。階段を上り切り、手を合わせて鳥居をくぐる。そのまま振り返る。
「何回見ても、最高だな。」
もう太陽の半分は欠けている。急がねば。本殿に向かい賽銭箱に持ってきた5円玉を放り入れる。
「すまんな、手を合わせてる時間がないんだ。お邪魔します。」
急足で本殿の裏に回る。そこにある畦道に足を踏み入れる。何回も来た場所だから迷う心配はない。丈の長い草をかき分けながら進む。しばらく歩くと視界を塞ぐ葉の間から、オレンジ色の光が見えてくる。最後の葉をかき分ける。眩い光が溢れ出す。思わず目をほそめる。少しずつ、目が慣れてくると、そこが半円の形をしていることがわかる。そしてそこに、前に倒れ込むようにして倒れている女性の姿がある。白いワンピースが土で汚れている。横にかがみ込み、息をしていることを確認する。安心して無でを撫で下ろす。
「お待たせ、無月」
太陽がだんだんと暗くなっていく。そしてついに、月が太陽を完全に飲み込む。あたりは暗闇で満たされる。
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