猫探し2

 軒下を覗き込む。猫の習性に詳しいわけではないけど、普通に考えたら林の中より本殿の下にいる方が普通だろうと思ったから。携帯のライトを使って照らす。本殿を支えている柱や大きさのまちまちな石が転がっているだけで、特にこれという生き物の気配は感じられない。立ち上がり、ジーンズの膝についた砂をはらう。本殿の下にいないとなると、あと探せる場所はかぎられてくる。流石に本殿の中に探しに行くわけにもいかない。顔をあげて林の方を見る。

「ふう。入るつもりはなかったけど、、、」

もっとも、ここで探したことにして帰ってもいいのだが、私の性格上それができない。

「ちょっとでも見て、いなかったら帰ろう」

もう日没まで1時間を切った。ぼちぼち不安になってくる頃合いだ。鳥居の向こうでは太陽がその姿をオレンジ色に染め上げ、石畳の階段を照らしていた。光の道もまた、オレンジの輝きを放っている。

 どこからか林に入れないかと探しながら、本殿の裏手へ回る。すると、木々の間に隠れるようにして畦道が続いているのを見つけた。雑草が生い茂っているけど、通れないこともなさそうだ。どこにつながる道なのかはわからないが、ためらっているほど時間はない。私は足元の雑草をかき分けるようにしてその道へ足を踏み入れる。

 次々と現れる雑草をかき分けながらなんとか進んでいく。こんな時、長袖長ズボンを着てきてよかったなと心の底から思う。道はクネクネと激しく曲がっていた。これでは、どこに行き着くかわかったもんじゃない。後ろを振り返る。見えずらいが、まだ畦道はそこにある。この道を見失っては行けない。

 特に何を考えるわけでもなく歩き続ける。その時ふと、一つの疑問が頭をよぎる。

 「はたして猫はこんな道を通るのだろうか。」

ここは雑草の匂いもかなりきついし、それになにより、わざわざ家出をしてきてまで来たい場所ではない。突然自分が的外れなことをしている気分になる。第一家出をした猫が神社に来るとも限らないんだ。それにあたりもだいぶ暗くなってきている。そろそろ戻らないと家に着く頃には、日が沈んでしまう。そう思って足を止めかけた。その時、もう一つの疑問が生まれた。いや、それは少し正確性に欠ける表現かもしれない。その疑問は前から、つまりこの依頼を受けた時から、小骨のように引っかかっていたものだった。それが今、水面に顔を覗かせた。

 「なぜ依頼主は、猫がこの神社にいるとわかったのだろう。」

 周りの影が一段と濃くなった気がした。雑草の匂いはさらにきつくなり、外を走る車の音も聞こえなくなる。周りを取り囲む空気が嫌に乾いている。

 一度開いた疑問の芽は瞬く間に伝染を始める。種子を飛ばすたんぽぽのように、次から次へと新しい芽が生まれる。

 よく考えるとおかしな話だ。なぜ飼い主は自分の足で探しに来なかったのだろう。猫探しの依頼なんていってみれば、誰でもいいはずだ。それなのに、わざわざ自分から私たちのことをべ、依頼する手間をかけている。依頼料だって、法外に高い額じゃないにしろ、安くはないはずだ。

 木々が覆い被さるように高くなっていく。もう空は見えない。空気の持つ質量が大きくなる。息がうまくできない。口の中が乾く。

 おかしい。何かがおかしい。そういえば有月は、有月はこの依頼に違和感を覚えなかったのだろうか。普段の有月なら、もっと突っかかるはずだ。今日の有月の動画を思い出す。そういえば、しつこく午後に出発するようにも言ってきた。暑いから、と。

 本能がこれ以上は危険だと訴えてくる。理性という名の本能だ。まだ私が気づいていないことに気づき、警告音を響かせている。木々はすっかり光を失い、その全てが影となっていく。その影はやがて自我を持ち始める。そして私に向かって手を伸ばす。後ろを振り返る。そこに今まで歩いてきた道はない。それでも私は、歩みを止めることができない。何かに取り憑かれているように。

 疑問は坂道を転げ落ちる雪玉のように大きくなっていく。しかし私は、それを止めるだけの力を持っていない。

 今日有月の服を脱がせた時、汗の匂いが全くしなかった。下着に至っては、湿ってもいなかった。つまり、有月はわざと寝る前に新しい服に着替えたことになる。なぜそんなことをしなければならないのか。それに今日の動画の撮影場所は車の中だった。こにあと行く場所があるとも言っていた。

 何かが私の知らない場所で進行しているのを感じる。それはハリー・ポッターに出てくる透明マントのように、限りなく薄いのに、林の中にうまく擬態して私の目を欺く。もう少しでそこに辿り着けるのに、何かが足りない。なんだ、何が足りないんだ。

 思わず周りの木々の間に目を凝らす。しかしそこには暗闇や暗闇のようなものが存在しているだけだ。もう一度有月の言葉を思い出そうとする。何を喋っていたか、何を着ていたか、何を思っていたか。思わず目を閉じる。思い出せ。思い出せ私。瞼の裏に光るものが現れる。それはとても小さく、直視することはできない。見ようとすると、かわすように逃げていってしまう。動く星のようだ。有月が指を鳴らす音が聞こえる。姉ちゃんと呼ぶ声が聞こえる。

 そして思い出す。全てが一つに繋がり、思わず目を開ける。

 林の木々を超えた先に、滲んだオレンジ色の光が見え始める。熱いくらいの涙がこぼれ落ちる。

「そうだ」

 思わず光に向かって走り出す。枝が頬を切り、温かいものが流れ出る。涙が傷口に染み込み、血と混じり合う。

「今日は、今日は、、、」

 光に向かって手を伸ばす。

「日食だ。」

 突然視界が開けた。半円状に開けた場所だった。今まで周りを覆っていた影はいなくなり、地平線に近づく太陽のオレンジ色が私を包む。心地よい風が吹き、どこからか夕食の匂いを運んでくる。眼下には仙台の街並みが広がっている。遠くには、ガスタンクや太平洋に浮かぶ貨物線も見える。その全てが、絵の具をこぼしたようにオレンジ色に染まっている。淵から下を覗くと、そこは切り立った崖になっていた。

「有月が!有月が!」

 思わずそう叫ぶ。でも声は嗚咽となって喉の奥につっかえてしまう。もう戻ることはできない。周りの景色が全て歪み、太陽のオレンジ色は、縦に引き伸ばされる。涙が地面を湿らせる。

 その時、誰かが明るさのつまみを下げた。私は太陽を見る。左上から月が覆い被さってきている。日食が始まったのだ。

 視界に、もやがかかり始める。体から力がゆけていく。私は膝から崩れ落ちるようにしてその場に座り込む。

「気づけなかったんだ、有月の思いにも、葛藤にも、何一つとして。私は、

 私は、、、」

瞼が落ちてくる。もう何もできない。何も考えられない。ただただ眠いとしか思えない。もう終わりにしたい。全てを。

「ご、めん、ね、、」

暗闇と静寂が私を包んだ。


 


 

 

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