猫探し

 暑い。家を出たのが大体4時半。日の入りは7時過ぎだから、2時間くらい神社の周りを探してみよう、なんて呑気に考えながら歩き始めた。神社なんて歩いて10分もあれば着くから、と油断していたが、5分歩いた時点ですでに汗が下着を湿らせていた。夏草の強烈な匂いが鼻をつく。有月の言うことに従うのは癪だったが、午後に家を出て正解だった。もっと早い時間に家を出ていたら、とてもじゃないが猫探しどころではなかっただろう。それにしても暑い。途中、誰もいない公園で、丸々と太ったざんぎり頭の男が、ギターを片手に、脂汗を撒き散らしながら、怒鳴るようにして歌っていたことも、私の体温を上昇させた原因の一つだ。まったく、どうしてこんな暑い日に、暑くなるような歌を歌わなければいけないのか。とにかく、熱中症になる前に、早く神社に辿り着かなければ。私は鉛のように重い足取りで、午後の日差しを反射するアスファルトの上を歩いて行く。

 そして、《《ソレ》は突如として現れた。今までさんさんと肌を刺してきた太陽の光が、覆いしげる木々によって遮られ、場違いなほど冷たい風が、背中を撫でるように吹く。結んだ髪と、ワンピースの裾が吸い込まれるようになびく。その異様な空気感に、私は思わず、地面に落としていた視線をあげる。そこには石畳の階段があった。階段の周りは木々に囲われ、微かな木漏れ日が、湿ったまま乾かない階段を照らしている。頂には血を被ったように真っ赤な鳥居が、来訪者をじっくりと観察している。ソレはまるで、口を開けて獲物が入ってくるのを待ち構えている巨大な狛犬のように見える。思わず身震いをする。さっきまで湿っていて鬱陶しかった下着も、今はその鬱陶しさが懐かしく感じられるほどに冷たく乾いて、体温を奪い続けていた。

 どれくらいの時間ただずんでいたのだろう。私は今日ここに来た理由を思い出し、ハッとした。そうだ、猫を探さなければ。腕時計を見る。5時14分。日没まであと2時間を切った。まずい。帰る時間を考えると、そう悠長にしている場合ではない。急足で、階段へと向かい足をかける。石畳は、さっきいた場所よりもまた一段と冷気が強い気がした。私は誰もいない階段を登る。一段一段の間隔が狭いせいか、古くなりかけているせいか、何度も躓きそうになりながら、頂に到着する。そこにそびえる真っ赤な鳥居は、昨日塗り直されたと思えるほどに、不気味な輝きを放っていた。周りの古びた景色と相まって、周りの風景から気力を吸い取っているように見える。

 私は手を合わせ、一礼してから鳥居をくぐった。石畳が続き、神社の本殿が現れる。周りは林に囲われているが、本殿の上は丸く切り取られ、午後の青空を覗かせている。後ろを振り返ると、少しずつ低くなっていく太陽が鳥居の中に見えた。その光は、さっき登ってきた階段を一直線に照らし、鳥居を抜け、本殿にまで続いていた。私の影が長く引き伸ばされて、投影されている。本殿自体は、周りの景色と同じように、少し古びている。雨樋は外れかけ、屋根の瓦は所々割れていた。私はそれほど大きくもない賽銭箱に5円玉を投げ入れ、二例二拍手一礼をした。

「猫を探させていただきます。お邪魔します。」

心の中でそう呟く。後ろを振り返り鳥居の近くまで戻り、腰に手を当て考える。神社の境内はそこまで広大と言うわけでもない。せいぜいあっても少年野球のグラウンドの大きさ程度だ。時間はかかっても30分。日の入りまではあと1時間半。ぐずぐずしている暇はない。

「よし、始めよう。」

腰に当てていた手をパンと叩く。

どこかで待ち構えていたように、オシドリが鳴いた。

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