有月と無月

 2022年。7月。日の出とともに私は目を覚ます。腕時計を見る。4時13分。短く息を吐き出す。この時期は日が登るのが早いから嫌でも早く目が覚める。そのくせ、日の入りは遅いので、どうしても睡眠時間が短くなってしまう。ベッドから足を下ろす。その瞬間、肌を刺すような冷気が私を襲う。

「さむっ」

思わず口に出す。エアコンがごうごうと音を立てながら、冷気を吐き出している。またか。エアコンのリモコンを探す。壁の定位置には置かれていない。となると、

有月なつき!」

大股で部屋の反対側に位置するもう一つのベットへと向かう。スーツ姿の男がタオルケットの上にうつ伏せになって寝ている。有月。私の弟。それも双子の。

 私たちは22年前の5月4日に仙台市の病院で生まれた、らしい。らしい、というのも、私たちは両親と会ったことが1度もない。母親は私たちを産むときの負担に体が耐えきれず出産直後に亡くなっているし、父親は会社の製薬会社の重役で世界中をとびまわっているらしく、誰なのかも、どこにいるかもわからない。だから、物心つくまでの記憶は、世話をしてくれた佳代子さん(父親がお金を払って雇った)が、医者から聞いたことを伝えてくれたものに過ぎない。だから、らしい、だ。

 母親のお腹の中から出てくるその時まで、母のお腹の中には一人しかいないと思われていた。しかし、産声を上げながら私が母のお腹から出てきて、助産師さんに抱きかかえられ、

「女の子ですよー」

と告げられた瞬間、母が再び力み始めた。慌てて医師が母を見ると、お腹からもう一人の頭がすでに半分出ていた。医者は大慌てだったが、やがて落ち着きを取り戻し、有月を抱き抱え無事出産を終えた。有月が少しも泣かなかったので、医者は一瞬ぎょっとしたらしいが、無事息をしているのを見て胸を撫で下ろした。しかし、そのころにはもう母は虫の息で、医師の懸命な処置にもかかわらず、出産後1時間もせずに命を落とした。葬儀は行われなかった。病院はその後1週間に渡り私たちを検査した。そして大きく2つのことが判明した。まず、私たちが『性別の違う一卵性双生児だ』ということ。これは世界的にも稀なケースだった。受精卵が分裂した際に何かしらの強いストレスがかかったことによってどちらかの性別が変化したのではないか、ということだったが詳しいことはわかっていない。そしてもう一つ。『』ということ。原因は全くの謎。世界中どこを探してもこの症状はない。治し方もわからない。それに加えて性別の違う一卵性双生児なんて、イレギュラー中のイレギュラーだろう。しかし少なくとも私たちは、それ以外にこれといった症状はなかった。体重も標準よりちょっと軽いくらいだったし、病気もなかった。出産前に赤ちゃんは一人だと思われていたのは、病院側のミスとして処理された。そして検査が終わった生後8日、私たちは退院した。 

 ベットの上の有月を見る。

「はあ。あれほどスーツのままで寝るなっていったのに」

ベットの脇にかがみ込み有月の肩と脇腹のあたりに手を当てて力を込める。そのまま転がすように仰向けにする。エアコンのリモコンが出てくる。手にとって温度設定を確認する。18度。おそらく日が昇るギリギリの時間に走って帰ってきたのだろう。仙台といえど、この時期は下手したら早朝でも30度に近づく。少し走ったらすぐに汗ばむくらいだ。暑い暑いと言いながら帰宅し、冷房をつけて、エアコンの温度表記を見ずに下げまくったまま寝る。多分そんなとこだろう。以前も何度かこんなことがあった。

「兄弟仲良く風邪引かせる気かよ」

気持ちよさそうに寝ている有月に嫌味を吐く。もちろん返事はない。エアコンのスイッチを切り、リモコンを壁にかける。

「さてと」

もう一度有月の元へ向かい、ベットに片膝を乗せる。ネクタイをほどき、抱き抱えるようにしてジャケットとシャツを脱がせる。口から微かにコーヒーの香りが漂う。枕に頭を乗せ、ベルトを緩めてズボンを引っ張る。グレーのタンクトップと黒のボクサーパンツ姿になった有月を見る。タンクトップから覗く二の腕には、複雑な凹凸が美しい濃淡を演出している。少し捲れたシャツから見える腹筋もル彫刻のように筋肉がついている。足はスラリと長く、肌は新雪のように白い。髪は短く切り揃えられ、その下の整った顔がよく見える。少し有月を眺めた後、薄手のタオルケットをかける。とりあえず、これで風邪を引くことはないだろう。脱がせたジャケットとズボンはハンガーに、シャツとネクタイは脱衣所の洗濯機に放り込む。汗の匂いもしないなんて、羨ましい限りだ。そのまま私もパジャマを脱ぎ、熱めのシャワーを浴びる。

「多少は男らしくなったにしろ、やってることは昔と変わらないな」

お湯を頭にうけながら思う。

 昔からこんな生活だった。私は、日が登っている間しか活動できないとはいえ、世間一般では昼間の活動が普通だ。だから小中高と学校には普通に通ってたし、どんなに遅くても4時には終わるから学校で意識を失ったことはほとんどない。中学生2年生の時に一度だけ、文化祭の用意に夢中になりすぎて通学路で意識を失ったことはあるが、幸い有月が気づいて運んでくれたので大事にならずに済んだ。意識を失って倒れた時、打ちどころが悪かったらしく大きなコブができはしたが。自分では間に合ってるつもりだったのだが、時計がズレてたりしたんだろう。学校が終わり家に着くと、そのまま二階の自室に駆け込む。そして、その日の授業を書き記したノートを隣の有月の部屋の前においておく。その後余裕があったらご飯を食べて、お風呂に入り、布団で1日の終わりを待つ。有月は起き次第、そのノートを見て勉強をする。部屋に筋トレの本とヨガマットがあったから、一応運動はしていたのだろう。もちろん、実際見たことはないのだが。

 シャワーを浴び終え、デニムのパンツに白いワンピースを着る。どちも量販店で購入したものだ。肩くらいまで伸びた髪をバスタオルで拭きながら部屋中央にあるデスクに向かう。今住んでいる部屋はJR仙山線東照宮駅から徒歩15分の1LDK、二階建てのアパートだ。リビングにベットが二つ。その間に挟まれるようにしてダイニングテーブルが置かれている。どちらか片方は常に寝ているので、狭いと感じたことはない。料理はしないから、キッチンには冷蔵庫も食器も調味料もない。殺風景を体現しているような部屋だ。タオルを首にかけ、スツールに腰掛ける。机の上のノートパソコンを開く。明るい光が目に痛い。時間を見て、腕時計に狂いがないかどうかを確認する。大丈夫だ、狂いはない。トラックパットを操作し、フォルダを開く。一番上に今日の日付のファイルがある。ダブルクリックすると、有月の顔が画面中央に表示される。5分ほどの短い動画だ。

 私たちは直接会うことができない。もちろん、部屋に入れば寝ている姿を確認することはできるが会話をすることはできない。しかし、一緒に住んで仕事をしていく上で会話はどうしても必要になってくる。そこで私たちは、毎日仕事が終わった後に、その日あったことや、伝えたいことをカメラに向かって話すことにした。物心がついた時から、私たちはたまにビデオメッセージを送りあっていた。小学生の頃は、毎日毎日、有月から30分を超える長編動画が送られてきて辟易したものだ。キンキンの高い声が耳を刺してきた記憶がある。しかし、中学生になると、それも無くなっていった。まあ、姉弟なんてそんなもんだろう。

 そんなことを考えながら再生ボタンを押す。

「おはよう、無月むつき。」

すっかり低くなった声が部屋に響く。

 

 

 

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