第10話 屋敷の人形部屋

 貴族の令嬢として暮らすなんて無理だと思っていた。

 だってそうだ。貴族のお嬢様って社交界に出て踊ったり、陽の光のあたるテラスでお茶会をして、そこでドレスの新作がどうだったとかどこかの伯爵家の長男の男性がいかに魅力的かについて話し合ったりするものじゃないか。 

 そんなのこれまで人形を弄ってばかりだった私に出来るわけがない、と思っていたのだけど……その心配は不要だった。


 それには二つの理由がある。


 一つは記憶がない私をそういった所に出すのはまずい、とレオンもリズも思っていることだ。

 二人は私に外に出るように促すどころか、「エレノア様はこの屋敷の中にいてください。絶対に外に出てはいけませんよ」と押しとどめた。

 そして、もう一つはエレノア・ライノールは最高位の爵位を持つ貴族に関わらず、他の貴族たちから酷く嫌われていることだった。

 エレノア・ライノールは生まれもった魔法の力を使い、各地で魔獣を虐殺して回り、自分に従わない精霊はその強大な魔力で強引に従わせた。そうした奇行を繰り返した結果、破滅の魔女と陰口を叩かれるようになったエレノアが社交界から腫れ物扱いされるのは当然のことだった。エレノアのほうも貴族の集まりに出て交流を深める気などさらさらないらしく、主催者が渋々出した招待状を炎の魔法で燃やしてしまったという。


 そんなわけで私が貴族の社交界に出ることはまずない、と断言しても良かった。

 それは私にとってとても喜ばしいことだった。

 もし私が社交界に出たら、そこで魔法に詳しい貴族の人に会うことがあるかもしれない。そうなったら私が本当はただの平民で、何らかの力によって魂が貴族の令嬢であるエレノア・ライノールの身体に入り込んでいると見破られるかもしれない。

 そうなったら、私は悪しき魔女として火あぶりの刑にされるかもしれない。その可能性が無くなって、本当に良かった。


 心配後が一つなくなり、ほっとしてたのも束の間。私は新しい問題に直面していた。

(どうしよう。やることがない……)

 ついこの間まで私は人形工房で朝から夕方まで働いていた。毎日、一生懸命人形を触り、お客さんの相手をして、部屋の掃除をして、店の帳簿をつけ、ロンダ親方から人形の技を学んだ。

 それが急になくなったものだから暇をもて余して仕方がない。

(このままだと退屈で頭がおかしくなりそう……。何か私に出来ることってないかなぁ……)

 色々と考えた結果、幾つか考えが頭に浮かんだが、私はその中で一番簡単に出来そうなもの――この屋敷の中を見て回ることを選んだ。

 私がこの屋敷で目覚めてから、これまで必要最低限な場所にしか足を運んだことがない。それにもしかしたらだけどなぜ私の魂がこの肉体に宿ったのかを知る手がかりが見つかるかもしれない。

 そう考えたらやらない理由はなかった。


「……屋敷の中を一人でお散歩したい……ですか?」

「うん。駄目かな?」

 私はリズに相談することにした。

 屋敷の中で私が声をかけられるのはリズとレオンの二人だけだ。だけど、レオンはこういう事にあんまり向いてなそうだから、リズを相談相手に選んでみたのだけど……これで良かったのだろうか。

「いえ、駄目とはいうわけでは……ですが、その……」

 リズは歯切れの悪い返事をするばかり、明らかに気乗りしないといった感じだった。

「あっ……。そっか、勝手に歩き回ったりしたら、みんなの迷惑になっちゃうかな……。それなら止めておくけど……」

「い、いえ! このお屋敷はエレノア様のものなのですから、迷惑になることあり得ません! ご自由にお巡りください……っ!」

「う、うん。ありがとう……」

 この屋敷で暮らし始めて一週間が過ぎたのに、リズは相変わらず私が何かを言ったりする度に怯えたり、怖がったりしてしまう。そんな彼女に相談を持ちかけたのは失敗だったのかもしれない。 

(リズはとっても良い子だし、仲良くなりたいんだけどな……)

 そう思うのだけど、それは無理な話なのかもしれない。

 なにせ今の私は、この国の貴族の中でも最も偉い五大侯爵家の人間だ。

 おまけに破滅の魔女だなんて不吉なこと極まりない異名がついている。もし私が人形師としてそんな人から招かれたとしたら――怖がらないように頑張ってはみるけれど、心のどこかでは怖いと思ってしまうだろう。

 自分に出来ないことを他人に期待するのは……あんまり良くないことだ。

 もしリズに自分はただの平民の人形師で貴族の令嬢なんかじゃないことを話すことが出来たのなら、怯えられることも怖がられることもなくなるなろうだろうけど、そんなことできるわけがない。


(……仕方がないことなんだよね。きっと……)

私は一人、大きなため息をつくのだった。


* * * * *


 屋敷の中を一人で歩く。

 貴族の方のエレノアが使用人をあまり雇わなかったせいか屋敷はとても静かでここが本当に貴族のお屋敷なのか、実は幽霊屋敷だったりするじゃないだろかなんて思ってしまうほどだった。

 それから色々な所を回ったが、どこもかしこも高価なものばかりで目が回る思いだった。中には何らかの魔法に使うと思われる道具が置かれている部屋もあったが、私は魔法なんて使えないし、知識だってろくにない。無闇に触れれば、怪我をするかもしれないと思い、放っておくことにした。

 そんなわけで色々と思うところはあったのだけど、私がどうしてこの体に生まれ変わったのかを知る手がかりなんて欠片も見つけられなかった。


 そろそろ自分の部屋に戻ろうか。

 そんなことを思った時――屋敷の奥に他とは違う異質な雰囲気がする部屋を見つけた。

(ここ、なんの部屋だろう……)

 鍵がかかっていたが、私はリズから屋敷の鍵の束を預かっている。

 しかし、どの鍵でもこの部屋の扉にかかった錠を開けることができなかった。

 私が諦めて、背を向けようとしたその瞬間――独りでに扉が開いた。部屋の内側に誰かがいて、そっと扉を開けた。そんな感じがした。

 それだけでも十分に驚いたのだけど、廊下からその部屋の中にあるものを見て、私は驚きだけでなく、感動の声を漏らしてしまった。

 

 部屋の中には見慣れたものが沢山あった。

 それは私が貴族のエレノアになるまで毎日触ってきたもの――人形作りの道具だった。

(なんで人形師の道具がこんなところに……?)

 いずれも見慣れた道具だが、いつも私が使っていたものとは色々なところが異なる。人形師が使う道具にも格があって、ここにあるものはどれもが一級品。下町で平民の人たちを相手にしている貧乏工房ではとてもじゃないけど手が出せない高価な代物だ。

 特にオルキア工房の道具の質の良さは他の工房のものを遙かに凌ぐ。だが、その分値段も他のものよりも何倍も高かった。そのオルキア工房の道具がこの部屋には沢山あった。これだけでも大きな家一軒が買えてもおかしくない。

 机の上にずらりと揃えられた高価な道具を見て、私は思わず「羨ましいな……」と溢してしまった。

 私だって人形師の端くれ、一度でいいから一流の工房の道具を使って人形を作りたいと思ったことはある。

 でもそれは叶わない夢だ。

 私は平民でお金持ちの貴族なんかじゃない。だから色々なものを諦めなければならなかった。私がこの体の新たな持ち主になった日。服屋の前でドレスを見たときもそうだったように諦めることに慣れなければいけなかったのだ。

 ただ、私は諦めが悪い所があるらしく……ずっと昔にロンダ親方にオルキア工房の道具が欲しいと泣き喚いて、困らせてしまったことがあった。

 その時、親方は「お前が一人前になったら買ってやる」と言っていた。私が「約束だよ」と言うと親方は「ああ、約束だ」と返してくれた。

 でも、その後、私はオルキア工房についての話題を親方の前で一度も出していない。店の帳簿をつけるようになった私には貧乏なロンダ人形工房にそんな余裕がないことがわかってしまったからだ。

 

(……懐かしいな)


 そう。懐かしい思い出だ。

 もう二度と戻らないかもしれない日々への思いを前にして、私の目から涙が溢れそうになってしまった。

(……でも、なんで貴族のエレノアが人形師の道具を丸々一色取り揃えていたんだろ……)

 人形を買えないほど貧しい家で生まれた女の子が自分で人形を作ろうとするのならともかく、エレノアは裕福な貴族の家の娘だ。どんなに高価な人形でも買えるはず。

 ひょっとしたら人形作りが趣味なのかと思ったけど、私の中でのエレノアのイメージは強大な魔法の力を持ち、笑顔を浮かべながら魔獣を虐殺するような恐ろしい女の子だ。

 とてもじゃないけど屋敷の奥で人形を作っているような子には思えない。リズやレオンだってエレノアが人形作りの好きな女の子とは言っていなかった。

 だとしたらこの部屋はなんなのだろう……

色々と考えたが、答えは出なかった。

 答えは出なかったが、オルキア工房の道具が私の前に揃っている現実には変わりなくて、それを見ているうちに私は自分の胸が高鳴るのを感じた。

 人形を作るのは、私にとって生活の一部だ。

 それが出来なくなってもう一週間。そして今、自分の生き甲斐を取り上げられた私の前に再び人形作りの道具が置かれている……。

 我慢なんて出来る筈がなかった。


(す、少しくらいなら触ってもいいよね……?)


 この部屋の持ち主は私ということになっている。

 それならほんのちょっとだけ触ってみてもいいんじゃないだろうか。

 色々と言い訳を重ねつつ、私は胸の中に湧きあがってくる人形師としての衝動に突き動かされ、机にある道具に手を伸ばした。

ほんのちょっとだけ……そのつもりだったが、一度、手を触れてしまうともう駄目だった。

 オルキア工房の道具は本当に素晴らしく、私は時間の流れを忘れ、ひたすら人形作りに没頭してしまった。


* * * * *


(手元が暗いなぁ。明かりをつけなきゃ……)


 そう思い、手元にあるランプをつけ、私は「よし明るくなった」と一人呟く。

 それからまた人形作りの道具に手を伸ばすが――

(えっ……暗い?)

 我に返った私が窓から外を見ると、太陽が大地にほとんど沈んでしまっていた。

 そろそろ夕食の時間だ。正直に言うと夕食を食べるよりももっと人形に触っていたかったが、それは出来ない。


 心の中に私を人形師として育ててあげてくれた人の言葉が浮かぶ。


 ――人形師の心得。その四。

 ――人形師は体を大事にする。


 ロンダ親方が教えてくれた人形師の心得は私の心の中にすっかり根付いてしまっている。

 今の私はもう人形師じゃないのかもしれない。

 それでもロンダ親方が教えてくれた心得を蔑ろにすることはこれまで親方と過ごしてきた日々や繋がりを蔑ろにすることと同じだ。

 姿形が変わっても私の人形作りが好きな気持ちも親方を尊敬する気持ちはこれっぽっちも変わってはいない。今はまだ無理だけど、いつかベルフィードの街に帰って、ロンダ親方に会うその日まで親方との繋がりを少しでも失いたくはなかった。

 だから私は人形師の心を守り続ける。

 親方と再会するその日まで。

 ううん。もっとだ。多分、この命が終わるまで、私は人形師の心得を守り続けるんだろう。

 だから今日の作業はこれでお終いだ。


(……時間はたっぷりあるし、また明日やればいいよね)

 後ろ髪を引かれつつ、人形作りの部屋を後にして、私は自分の部屋に戻った。

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