第9話 誰にも本当のことを話せないし、伝えられない
貴族の屋敷と言えば大きなものと相場が決まっている。
五大侯爵家の屋敷ともなればとんでもなく大きくて、一度迷えば帰ってこれなくなるほどで……屋敷の中には大勢の使用人がいて、身の回りのことをすべてやってくれる――そんな生活を想像していた。
だが、現実は違った。
「え、エレノア様。こ、これでよろしいでしょうか……?」
「うん。すごく綺麗になったと思うよ。ありがとね、リズ」
「い、いえ。そんな滅相もない。これが私の仕事ですので……」
私の身の回りの世話をするのは、まだ十一かそこらの少女一人だけだった。
時折レオンが来て話をするけれど、十分もかからない短い話をするだけで、その後はどこかへ行ってしまう。
屋敷には他にも料理人。清掃や補修をする人など色々な人たちがいたが、彼らとはあまり顔を会わせることがなかった。
「ねえ、リズ。どうしてこの屋敷にはあまり人がいないの?」
「えっ……?」
「私、貴族のお屋敷ってもっと沢山の人がいて、どこを歩いても頭を下げられたりして、窮屈そうな感じがするって思ってたんだけど、ここはそうじゃないよね。なんだか寂しい感じがする」
「それはその……エレノア様がそうなさるようにされたからです。
「私が……?
「は、はい。エレノア様はお忘れになられておられるので、以前からエレノア様は周りに人を置きたがりませんでした。私が護衛のことをお尋ねすると、自分には誰よりも強い魔法の力があるなら護衛なんて必要ないと仰っていましたし、身の回りのこともほとんど自分お一人でやられておりました」
リズの話によると私――正確に言うと以前のエレノア・ライノールは一人でいることことを好んだらしい。
なぜエレノアがそんな生活を送っていたのかはわからない。
だが、それは私にとって都合が良かった。
エレノア・ライノールが破滅の魔女と呼ばれていると知った時、私は目の前が真っ暗になった屋敷の中では大勢の使用人たちから怯えられ、屋敷の外では貴族たちから恐怖と侮蔑の入り交じった目で見られる。
そんな身の詰まる思いをしなければならないと思っていたのだが、そんな事はなかった。
そもそも屋敷の中には人がいないのだ。いや、いるのだろうけど、彼等が私の前に姿を現すことは滅多になく、ここ数日で私が会話をしたのは、リズとレオンの二人だけだった。
屋敷の外に出ることもなかった。
今の私は過去の記憶がないということになっている。
そのことを知られれば、何が起きるかわからないというレオンの配慮があり、私が屋敷の外に出て、貴族の人たちと交流をするようなことにはならなかったのだ。
働かなくても、お金を払わなくても勝手に料理が出てくるし、住む所も着る服もこれ以上無いものが用意されている。
だから、今の私の生活はひどく快適で、ひどく居心地が悪くて、それでいてひどく孤独なものだった。
「……親方に会いたいな」
寂しさのあまり、私は自分が生まれ育った街、ベルフィードのことを思い出してしまった。
ロンダ親方は人形師として一流だけど、その他のことでは結構杜撰な所がある。
帳簿の付け方を間違えるなんてしょっちゅうだったから、まだ十歳になったばかりの私が周りの人から色々話を聞いて一生懸命帳簿とにらめっこをする羽目になったり、とその手の話には事欠かない。
急に私がいなくなって、親方は無事でやっていけてるだろうか。
そう思うと急に胸に中に寂しさが湧き上がってきた。
――そもそも私はあの街でどうなっているのだろうか。
私は路地裏で仮面をつけた人に刺され、沢山の血を流しながら地面に倒れてしまった。
そして元の肉体から抜け出した魂はこの少女――五大侯爵家の令嬢であるエレノア・ライノールの身体に宿った。そうなると元々の私の肉体は死体も同然ということになる。
そう考えると私はあの街では死んだものにされているのではないだろうか。
ひょっとしたら私の知らない所で葬式が行われ、既に身体はお墓の中なのかもしれない。
(……心配とか、そういう問題じゃないよね。多分、泣かれた。みんな泣いてくれたと思う)
自分が特別人に好かれていたとは思わない。
それでも誰からも好意を受け取ったことがないなんて言えるような恩知らずじゃない。
両親を早くに失った私は多くの人に助けられてきた。
私に人形師としての全てを教えてくれたロンダ親方。暖かい食事を出してくれ、辛いことがあると励ましてくれるアレシアさん。親身になって話を聞いてくれる優しい司祭さま。
その三人だけじゃない。あの町にはもっとたくさんお世話になった人たちがいる。
下宿先では色々な人と一緒に食卓を囲んだし、あまり遊べないけど、それでも友達でいてくれる人たちがいる。時折、私が直した人形を持って「ありがとう」とロンダ人形工房までお礼を言いにくるお客さんだっていたのだ。
でも、私は生きている。
顔も声も違うまるで別人の女の子みたいになっても人形師エレノアはまだ生きているのだ。それならそのことをみんなに知らせたい。
(でも、どうやって……? あの町に帰って、私は無事だって話すなんて無理だし……せめて手紙の一つでも出せればいいんだけど……)
と、私があれこれ考えて気落ちしていると……
「……エレノア様? どうかなされたのですか、ため息なんかついて。も、もしや知らぬ間に失礼なことを!?
リズは顔を青くした。
どうやら自分が何か不手際をして、私の気を悪くしたと思っているらしい。
「ち、違うよ。リズは何も悪くないって!
自分よりも年下の女の子に目に涙が浮かぶのを見て、私は慌ててリズを宥めるのだった。
(……やっぱり私のことが怖いのかな)
リズは私を怖がっている。それはもう盛大に。
今の私はこの国でも最も偉い大貴族、五大侯爵家の令嬢だ。
ほんの少しでも機嫌を損ねてしまえば、メイドを辞めさせられ、屋敷から追い出されてしまう。まだ小さなリズがそんなことをされたら生きてはいけない。だから怖いんだろう。
いや、ただ辞めさせられるだけじゃないのかもしれない。
庭に引きずり出されて、鞭を打たれるとか。そういった恐ろしい罰を私が与えると思っているんじゃないだろうか。
なにせ今の私は破滅の魔女だ。
エレノア・ライノールはこの国を目茶苦茶にした最悪の魔法使い――破滅の魔女と同一視されている。
リズの怯え方を見るに本物のエレノアはこんな小さな子にもそういったことをするような怖い人だったのだろう。
でも、今の私は破滅の魔女じゃない。
だから怖がられる必要なんてないのだ。
そう思い、なんとかリズに怖がられないように色々と頑張ってみたのだけど、なかなか上手くいかなかった。
なおも不安そうにしてるリズを宥めるのには、かなり苦労してしまった。
涙目になりながらもリズは「何かあったらお呼びください」と私に言ってくれた。怖い思いをしながらも破滅の魔女と呼ばれている人物の傍にいてくれるなんて本当に良く出来た子だ。
(私には勿体ないくらい……)
一人になった私はため息をついた。
人形師として働いていた時はお客さんからこの人形はちゃんと直るのかとか、あんまりお金をかけられないのだけど……といった相談を何度も持ちかけられ、その度にお客さんの不安を取り除いてきたけど、それとは全然違う。
貴族の令嬢の不興を買ってしまったことを不安がる女の子にどう接したらいいかなんてわかるわけがない。
まだお昼前だというのになんだか疲れてしまった。
(……少し横になろう)
ベッドの上で横になって目を閉じる。そうしていると段々と疲れが取れてきた。
疲れが取れた後、私は横になったまま考える。
ロンダ親方。それ以外の人たちでもいい。あの町の知り合いに手紙を出すことはできないのだろうか。
今、私が置かれている状況を説明することは出来ないが、せめて自分が無事であることぐらいは知らせておきたい。
さっき私が想像してしまったように、私が死んだことにされていた場合、みんなを混乱させてしまうかもしれない。
それでもこのままにはしておけない。
あの町にいるのは大事な人たちばかりなのだから。
手紙を書くことはできる。書く内容も頭を振り絞ればなんとかでてくるだろう。 問題はその手紙を誰に届けてもらうかだ。
もし万が一間違いが起こって、手紙の中身を見られてしまったら大変だ。
私は記憶喪失ということになっている。
けれども、その手紙がきっかけで私がこの屋敷の本来の主――エレノア・ライノールの体を乗っ取っているなんて誤解をされてしまったら大変だ。
五大侯爵家の令嬢の体を奪い取った悪しき魔法使い――そう思われる可能性だってなくはないし、そうでなくともエレノアは破滅の魔女なんて呼ばれ、貴族からも平民からも良く思われていないらしい。もしそうした人たちから疑惑の目を向けられたら……とんでもないことになるのは間違いないだろう。
(リズならどうかな……?)
私に怯えているならリズ手紙の中身を見たりはしないだろう。
でも、あんな小さな子を一人で遠い所へやるわけにはいかない。誰かを傍につけてあげればいいんだろうけど、生憎今の私には誰が信用できるのかまるでわからない。もしもその人がリズに危害を加えるようなことがあればと思うととてもじゃないけど、リズに手紙を届けさせる気にはなれなかった。
(それならレオンは……?)
レオンは悪い人じゃない。
それは間違いないと思う。だけど、レオンには得体の知れないところがあった。レオンは私と話している時でもあまり表情を変えず、声にも抑揚がなくて、彼が何を思い、考えているのかわからない時があった。
(……止めとこ。まだレオンのこと何にも知らないし……)
手紙を出すのは、もうちょっと様子を見てからにしよう。
そう私は結論づけて、目を瞑った。
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