第8話 悪夢
私は暗闇の中にいた。
それも当然だ。だって私は目を閉じているのだから。
(……ここはどこなんだろう)
わからない。ここがどこなのかを知るためには目を開けないといけないのだけど、そうすることが出来なかった。
もし目を開けた時、そこが知らない場所だったら……。知らない人たちが目の前にいたら……。
そう思うと、怖くて、目を開けるのを躊躇ってしまう。
でも、いつまでもこうしてもいられない。
ここがもし本当に怖い場所だとしたら、急いで逃げ出さないといけないのだから。
ゆっくりと目を開く。
そうして私の目に映ったのは――
(ここは……親方の工房?)
あたりを見回すとそこはこれまで何度も見たことのある場所だった。
棚に人形が並び、机には人形作りの道具がある。部屋の作りは古くて、あんまり上等じゃないけれどそれが不思議と暖かい気持ちを心に湧き起こさせた。
間違いない。
ここはロンダ人形工房。私の第二の家とも言える場所だ。
「そっか……夢だったんだ。そうだよ、あんなの夢に決まってる。あんなこと、現実に起こるわけないんだから」
安心して大きな息を吐く。
それにしても変な夢だった。
夢の中で私は路上で怪しい人に襲われ、大怪我を負ってしまった。
ただ私が命を落とすことはなく、なぜか目を覚ますと貴族のお嬢様の部屋にいて、周りの人たちは私のことを「エレノア様」と呼ぶ始末。そうして私は貴族の令嬢として何不自由のない暮らしをすることになるのだ。
(貴族になりたいなんて思ったことは一度もないけど……。私、心のどこかで貴族の華やかな生活に憧れてたのかな……。だって、そうじゃなかったらあんな夢見るはずないし……)
夢の世界で貴族のお嬢様の暮らしを堪能するのも悪くはないような気がしたが、なぜかあの夢のことを頭で思い浮かべれば、浮かべるほど嫌な気分になってきた。
(……頭、痛くなってきた)
あれは夢だ。夢のことをこれ以上考えても仕方がない。
そんなことよりももっと大事なことがある。
(……そうだ。仕事しなきゃ。だって私は人形師だもの。修理しないといけない人形やお客さんに頼まれた人形を図面に書いたりとか、やることは山のようにあるんだから……)
私はエレノア。貴族の令嬢じゃない。平民の人形師の女の子だ。
人形を修理したり、作ったりするのが私の仕事だ。
平民は一生懸命働いて、お金を稼がなければ生きていけない。
貴族のお嬢様のように家に籠もってドレスを選んだりお化粧をしていても懐には一枚の銅貨も入ってきやしないのだから。
(よし、頑張ろう……)
私は夢のことを頭から振り払い、作業部屋に入ろうとした。
だけど作業部屋の扉が開かない。
一生懸命、押したり、引いたりしてみたが、扉はうんとも言わなかった。
(あれ? 私、部屋に鍵かけちゃったっけ……?)
ロンダ人形工房には、小さな子供がお客さんとして来ることが多い。
子供が迷い込んできて、作業部屋にある道具を見たらついつい悪戯したくなってしまうかもしれない。人形作りの道具の中には先端が尖っていたり、鋭い刃があったりして危険なものも多いから、子供でも大人問わず、部外者がうっかり触れることがないようにしっかり戸締まりしておかなければいけない。だから作業部屋に鍵がかかっているのはおかしくないことなのだけど……。
(でも、今はお店を開ける時間じゃないよね……?)
窓から外を見るが、太陽はまだ昇りきっていない。
ここには時計がないから正確な時刻はわからないけど、今は午前十時近くのはずだ。作業部屋に鍵をかけるのは、お客さんが来る午後からであって、今の時間帯は部屋に鍵をかけないはずだ。
一瞬、泥棒の仕業かと思ったが、貴族のお気に入りの店ならともかくこんな貧乏人形工房に入って盗みをする人がいるわけない。そもそも鍵を持っているのは私と親方しかいないのだから、それ以外の人が鍵をかけられるわけがないのだ。
まあ、いい。鍵がかかっているなら開ければいいだけの話だ。私はポケットから鍵の束を取り出して、作業部屋の鍵を開けた。
扉を開けて、作業部屋の中に入る。
「えっ……?」
次の瞬間、私は思わず息を呑んだ。
作業部屋は真っ暗だった。時刻はまだ昼のはずなのに部屋の中はひどく暗くて、一歩先も見えない。
――何かがおかしい。
私は恐怖を感じて、部屋から出ようと後ろを振り向いた。
「……な、なんで……?」
あまりの驚きに私は声をあげ、体をよろめかせてしまった。
さっき私が開けたはずの扉がなくなっていた。まるで最初から存在しなかったかのように。
後ろには戻れない。前に進むしかない。
私は暗闇の中、なんの頼りもなく、ゆっくりと前に進んだ。
と、その時だ。
暗闇の中に光り輝くものが見えた。
その光に向かって、一目散に進む。
するとそこには化粧台があり、そこには鏡が置かれていた。
不思議な光は鏡から発せられていた。その光に吸い込まれるかのように私は鏡の中を覗いた。
そこには十代半ばの女の子の顔が映っていた。
でも、それは私じゃない。
鏡に映っていたのは、どこか私に似た顔立ちをしている金色の髪と目をした女の子だった……。
「あ、あなた……誰?」
私はその女の子に問いかけた。
すると鏡の中の女の子はこう答えた。
「私はあなたよ」
鏡の中から聞こえてきたのは、老女のようなしわがれた声だった。
「ち、違う! あなたは私じゃない!」
「いいえ。私はあなた。破滅の魔女よ」
私が言い返すと鏡の中の女の子はけたけたと不気味な笑い声をあげた。
「嘘つかないで! 私は破滅の魔女なんかじゃない!」
私は怒鳴りつけ、化粧台から鏡を落とした。鏡が粉々に割れ、暗闇の中にあった唯一の光が消えてしまう。
でも、声は消えない。
暗闇の中から、あの声が聞こえてくる。
「これからあなたは破滅の魔女として生きていくの」
私は聞こえて来る声に背を向けて、暗闇の中を走って逃げる。
嘘だ。嘘だ。こんなの……嘘だ。
何度も何度も祈るように嘘だと言い続ける。
けれども、どれだけ逃げようとも少女の声からは逃れられない。
暗闇の中、少女は私を嘲笑い続ける。
それはまるで私を呪う魔女の呪文のようだった。
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