第7話 破滅の魔女の生まれ変わり
「あの……レオン。お二人にはお伝えしなくてもいいんですか?」
「……それもしばらくの間は様子を見ておいたほうが良いと思います。今のエレノア様をお二人に会わせるのは少々危うい。あなたもそう思いませんか?」
「……そうですね。私もそう思います」
リズとレオンは誰かについての話をしていた。
私と関わりのある人のことなんだろうけど、それが誰なのかはわからない。
「えっと……二人って……誰?」
「エレノア様のご両親です」
「……お、親にも秘密にしておくの?」
「あくまでも一時的にです。エレノア様がどうしてもお二人に会って、お話したいと言うのでしたらそういたしますが……どういたしますか?」
「……どうするって言われても……」
私はこの体の持ち主の事を何も知らない。
もちろんその両親もだ。二人がどんな人なのかも知らないのにこんなことを聞かれても答えられるはずがない。
「エレノア様はお二人のことを覚えてないのですね」
「……うん」
「それでしたら、お二人に会うのはお止めになったほうがよろしいかと思います。正直に申し上げますとエレノア様とご両親のお二人の関係は決して良いものだったとは言えません」
レオンはあまり感情の感じられない声で私に説明する。
こんな大事件が起きたにも関わらず両親に会わない方が良いと言われるなんて、貴族のエレノアはどれだけ両親と仲が悪かったんだろう。
「……あなたがそう言うなら私もそれでいいと思う」
「ではそのようにいたします」
「あっ、でもさ、その……この屋敷に私の両親がいるのなら顔を合わさないわけにはいかないんじゃ……」
「いえ、お二人はこの屋敷にはおられません」
「……え? そうなの?」
「はい。この屋敷ライノール家の本家のものではなく、エレノア様が本家から離れて一人で暮らすために建てられたものです。なのでお二人はここにおられないのです」
「そ、そうなんだ……」
自分一人のためだけにお屋敷を建てさせるなんて、流石は貴族のお嬢様だ。庶民の常識を完全に越えている。
「……そうですか。そういったこともお忘れになられていたとなると魔法のことも覚えておられないのですね」
「えっ? わ、私、魔法が使えたの?」
「……やはりそうでしたか。はい。その通りです。エレノア様は幼い頃から強大な魔法の力をお持ちになられており、侯爵家のご夫妻からも大変期待されいたと聞いています。私もエレノア様が魔法を使う所をこの目で何度も見まししたが、あれほど強力な力を持つ魔法使いは以前に私が所属していた騎士団にもおりませんでした」
それは知らなかった。
侯爵家の生まれだけでなく、魔法の力もあるだなんて。見た目だけでなく、中身もまるっきりの別物じゃないか。
「エレノア様、今、魔法を使うことはできますか?」
「多分、無理だと思う。使い方も全然覚えてないし……」
「そうですか。そうなると少々厄介ですね」
「……魔法が使えないと駄目なの?」
「当分の間は大丈夫でしょう。ですが、魔法が使えなければ貴族の義務を果たせません。そうなると少々厳しいですね……」
レオンの言葉に私は動揺した。
彼の口ぶりからすると貴族の人間は魔法の力を使うことが求められているらしいけど、私は魔法なんて使えないし、知識もない。もし私が誰かから魔法を使うように言われたら、その時はなんて言い訳すればいいんだろう。
と、私が悩んでいるとリズがおずおずと声をあげた。
「し、心配は無用です、エレノア様! エレノア様ほどの力のある魔法使いなら、すぐに魔法の使い方を思い出せます! もしエレノア様さえ良ければ、庭に出て火の魔法でも水の魔法でもお試しになられてみては――」
「無茶を言わないでください、リズ」
「で、でも……」
「あなたも知っているでしょう。魔法の力はとても繊細なものです。まして今のエレノア様は記憶を失われている身。そんな状態で魔法を使えば大変な惨事を招くこともありえます」
「た、確かに……! も、申し訳ありませんでした、エレノア様! 私の思慮が足りないばかりに無責任なことを言ってしまって……っ!」
リズは頭を床に擦りつけんばかりに下げた。
「そ、そんな頭を下げなくても大丈夫だよ……! リズは私のことを思って言ってくれたわけだし」
「あ、ありがとうございます……」
本当に驚いた。
年下の子にあんな風に謝られるなんて初めての経験だ。
だけど、リズの様子を見る限り、こうしたことはしょっちゅうあったらしい。
貴族とは偉くて、お金持ちな人。それが私の貴族に対するイメージだ。
でも、まさかいくら偉いと言っても小さな子をこんな風に謝らせるのを日常的にしているなんて想像もしていなかった。
「エレノア様、お疲れのところ大変申し訳ありませんが、もう少しだけお話をさせていただいてもよろしいでしょうか?」
「……う、うん。いいよ。それで話ってなんの話?」
「エレノア様が世間でどう言われているかについてです」
「えっと……それってつまり私の評判ってこと?」
「はい。そういうことになります。もし、お耳に入れたくないと仰られるのでしたら無理にとは申しませんが……」
「ううん、私なら大丈夫だよ。ちょっとくらい嫌なことでも聞いておかないと。後で聞いてませんでした、ってなって困るよりずっといいもんね」
「わかりました。まず先に申しあげておきたいのですが、ここから先の話の多くは人から聞いたものがほとんどです。私がエレノア様にお仕えするようになったのは二年ほど前のことでしたので、真偽を確かめることが出来なかったものも多くあります。あくまで世間一般で言われていることだと認識していただけますと幸いです」
「う、うん……」
なぜレオンがそんな前置きを言ったのかわからなかったが、今の私はうん、と頷くことしか出来なかった。
「先程お話ししたようにエレノア様は魔法の力を持って生まれました。その力は凄まじく、エレノア様が十歳を迎える前に大人の魔法使いの力を遙かに上回っていたと聞いております」
「そ、そうなんだ。凄いんだね、私……」
「はい。そして幼い頃のエレノア様は魔獣が住む森に向かうことを好まれておりました」
「魔獣の住む森に……? なんのためにそんな危険な所に出かけたの?」
「人を襲う凶暴な魔獣を退治するためだったと聞いております」
「えっ……? な、なんでそんなことを? 魔獣の退治って傭兵とか騎士の人が平民や自分が支えている主からお金を出してもらってやることでしょ? いくら魔法の力があるとはいっても貴族――それも小さな女の子が自分から出向いてするようなことじゃないはずだけど……」
「そうですね。そう思われるのが普通のはずなのですが……エレノア様は普通とは少々外れた感性の持ち主で――」
と、その時だった。
何かが倒れる音が聞こえ、私もレオンも話を中断して音の聞こえた方に目をやった。
そこにはリズが立っていた。その傍には倒れた椅子がある。
さっきのは彼女が椅子を倒した音だったようだ。
「れ、レオン! 無礼が過ぎますよ、エレノア様が目の前におられるのに……っ!!」
リズは可愛らしい目を細めて、レオンを睨んでいた。
どうやら私の代わりに怒ってくれたらしいみたいだけど、なんか様子が変だ。
普通、怒っているのならば顔を真っ赤にするはずだ。それなのにリズは顔を真っ青にさせ、足を震わせていた。
――まるで何かに怯えるかのように。
「記憶を失う前のエレノア様はご自分の感性が他の人間と異なっているのは承知しておられましたので……。今のエレノア様がどう思われるかを考えられず申し訳ありませんでした」
「……私なら平気だよ。話を続けて」
「かしこまりました」
変なのはリズだけじゃない。
レオンもどこか変なのだ。
(……なんでだろ。レオン、あんまり表情が変わってない……)
先程からずっとそうだった。
声に抑揚がないし、表情だってほとんど変わっていない。
普通ならリズのように声や顔に焦りやがでたりするはずなのにレオンにはそれがない。
これは一体どういうことなんだろう。
「エレノア様がなぜそんなことをされたのかについてですが、その時エレノア様はこう仰ったそうです。自分は貴族の義務を果たしただけだ、と」
「……貴族の義務?」
「はい。エレノア様は貴族の義務について覚えておられますか?」
「ううん。憶えてない」
「貴族の義務とはこの国の土地と民を守ることです。ですがそれだけではあまりにも解釈が広すぎて意味を成さないため、現在では自身の治める土地とそこに住む人民を守ることと考えられています。
より具体的に言えば学問や武術を学ぶことです。貴族の家に生まれたものは学問や武術を学ぶために学校に通うか、家で家庭教師を雇うなどしています。貴族といえど、小さな家に生まれたものの中には平民とほとんど変わらない暮らしをしているものもいるのです」
「そうなんだ……」
これまで貴族のことなんて全く興味がなかったので知らなかったが、貴族の家の子供はそういうことをしていたのか。
貴族の人たちは、私たち平民みたいにお金に苦労することなんてないから、子供の頃からずっと遊んでばかりいると思っていたけどレオンの話によるとそんなことはなく、彼等は彼等で平民と同じように苦労しているようだ。
自分の無知が恥ずかしくなり、少し頬を赤くしてしまった。
「ですが、五大侯爵家に課せられた義務は他の貴族のそれとは異なります。その理由の一つに五大侯爵家が代々強い魔力を持つ人間を排出する家系であることが挙げられます。侯爵家に生まれたものはその魔法の力を使って、国土と人身の安寧を保つことを求められています」
「えっと……どうやって魔法の力を使って国を守るの? 」
「五大侯爵家に生まれた方たちが主に行うのは精霊との対話と調停です。この国には至る所に精霊や存在しております。精霊は自身の存在する土地と深く結びついているため、国土の安全を得るには精霊と対話して、彼ら協力を得る必要があります。また竜や一角獣といった幻獣と交渉するにも強い魔力が不可欠となります」
「魔獣退治はその中に含まれないの? 人々を襲う魔獣を退治することは領地やそこに住む人たちを守ることにも繋がると思うんだけど……」
「はい。ですが、それは非常に稀なことです。ここ百年の間に五大侯爵家の方が戦場に出向いたのは国家の存亡にかかわるような事態だけでした。エレノア様が退治した魔獣は人々に害を為すものでしたが、五大侯爵家の子女が直接出向く程、危険な魔獣かと言われると疑問が残るところでしょう。ですが、エレノア様が魔獣を退治されたこと自体は問題とはなりませんでした」
「どうして?」
「エレノア様が仰ったように人々に害を為す魔獣を退治するのは、領民の安全を守るために必要なことです。それに傭兵や騎士が魔獣を退治するのには多額の金銭が必要となり、その金は領民の支払った税から賄われるのです。しかし、エレノア様は領民から金銭を取り立てることなく、自らの資財を投じて魔獣を退治して回りました」
魔獣を人に仇なす恐ろしい生き物だ。
私の住んでいた街はとても安全な所だったが、それでも魔獣が村や街道を通行する人々を襲ったという話は何度も聞いたことがある。そしてそれがどれだけ大変なことかも聞かされていた。
魔獣を退治するには何人もの傭兵や騎士の力を借りなければならない。その人たちが使う武具の調達や手入れにも結構なお金がかかるし、魔獣を退治するには時間がかかるからその間に彼らが食べたり、寝泊まりするためのお金だって必要だ。
私がそうだったように平民には蓄えなんてほとんどない。いくら自分たちの身を守るためとはいえ、多額の金銭を用意するのはとても難しいことだった。
だが、エレノアが自分のお金を使って魔獣を退治するとなれば話は別だ。五大侯爵家の令嬢が自らお金を出して、魔獣を退治してくれるとなれば平民にとってこれ以上有り難い話はない。
と、そこまで考えて私は気付いた。
(……あれ? でも、それって良いことなんじゃない?)
エレノアのしたことは良いことだ。
レオンが言うように貴族の令嬢自らが魔獣の退治に出向くのはおかしなことには違いないけど……悪いことじゃない。貴族らしくないと笑われ、馬鹿にされることはあってもとんでもない悪評を招くようなものじゃないはずだ。
「……問題となるのはここからです。確かにエレノア様は人に仇なす魔獣を退治しました。しかし、それだけでは済まさず、そこに住む無害な魔獣たちまでも魔法で殺してしまったのです」
「えっ……? な、なんでそんなことを?」
「……わかりません。当時、私はその場におりませんでしたので、ですが、その時のエレノア様は実に楽しそうな笑みを浮かべていたそうです。巨大な魔法の力を使い、逃げ惑う魔獣をたちを次々と虐殺して回り、笑みを浮かべるエレノア様を見て、人々はエレノア様を恐れるようになり……遂には「破滅の魔女」と呼ぶようになりました」
破滅の魔女。
その名前なら知っている。
知っているのは私だけじゃない。この国に住む人間ならば誰でもその名を知っているはずだ。なぜなら破滅の魔女とは、かつてこの国を大混乱に陥れた魔女の異名なのだから。
子供の悪戯に手を焼いた親が「そんなに悪いことばかりしてると破滅の魔女がお前を拐いに来るよ!」と子供を叱りつけるのは、私が生まれる前から行われている。
破滅の魔女は、それほど人々から恐れられ、嫌われている存在なのだ。
そんな大罪人の名前で呼ばれるなんて……。
「その……記憶を失う前の私が酷いことをしてたのはわかったけど、でも……でも……破滅の魔女なんて、いくらなんでも酷いよ……。それに変だよ。この私が生まれたライノール家って五大侯爵家なんでしょ? 貴族の中でも一番偉い家なんでしょ? その家の娘を破滅の魔女なんて呼ぶなんて許されないんじゃ……」
「そうですね。エレノア様がそのように仰れば、話は違ったのかもしれません。ですが、エレノア様は自身が破滅の魔女と呼ばれるのを嫌っておりませんでした」
「えっ……? な、なんで?」
「……私がお聞きした時、エレノア様は「伝説の大魔法使いと比べられるのならそれも悪くない」と笑いながら仰っていました」
「ね、ねえ。レオン。それって冗談だよね……なんでそんな酷い冗談言うのかな……。そんなのちっとも面白くない。全然笑えないよ……」
「冗談ではありません。全て本当のことです」
「……嘘、吐かないでっ!」
いくら魔獣と言えど人に危害を与えない生き物を笑顔で虐殺して回るなんて普通じゃない。国を滅ぼしかけた大悪人と比べられて喜ぶなんてあり得ない。
やっぱりこれは嘘だ。
みんなが嘘を吐いて私を騙そうとしている。
そうだ。全部、嘘だ。
なんでみんなそんな嘘を言うんだ。
これまで散々、記憶がないだの魔法の使い方なんて覚えてないだの嘘を吐いておきながら、人を嘘吐き呼ばわりしてしまう。
でも、そんなの仕方ないじゃないか。
だってレオンの言うことが本当なら、私はこれから人々に「破滅の魔女」と呼ばれて生きていかなければならなくなってしまう。
そんなの嫌だ。
絶対に……嫌だ。
「ねえ、嘘だよね、嘘だと言ってよ……っ!」
私は泣き叫んだ。
でも、どんなに私が泣き叫んでも現実は変わらない。
鏡に映った顔も元には戻らない。
もう私は平民の人形師のエレノアには戻れない。
今の私は貴族の令嬢エレノア・ライノール。
――破滅の魔女だ。
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