第6話 記憶喪失
そのあと私はリズとレオンの二人に支えられてソファーに座らされた。二人は深刻な表情をして、部屋の脇で話し込んでいる。
私はそれをぼんやりとした頭で眺めていた。
「エレノア様はいかがなされたのでしょう……。まるで私たちのことがお分かりになられていないような……」
「……もしかしたら、そのまさかかもしれません」
「……えっ?」
「私は医者ではありませんので詳しいことはわかりませんが、怪我や病気が原因で自分の記憶を失ってしまうことがあります。事実、私も戦場で瀕死の重症を負い、生死をさ迷った末に自分の故郷も家族のことも忘れてしまった兵士をこの目で見ました。それと同じことがエレノア様の身に起きたのかもしれません」
「で、でもエレノア様はそんな大怪我を負ったわけでは……」
「記憶を失うきっかけになるのは怪我だけではありません。心に大きな傷を負った時や大がかりな魔法の儀式を行った代償として記憶を失ってしまう。そういった事例も報告されています」
「そ、そんな……」
二人の話を聞いている内に少しずつ事情が理解できてきた。
今もなお鏡に写る私だけど私じゃない姿。
これは五大侯爵家の令嬢エレノア・ライノールの姿らしい。
エレノア・ライノールは長い金色の髪に金色の瞳をしたとても綺麗な女の子だった。元々の私も金髪で瞳の色も金色だ。
だけど、同じなのは色だけだった。こっちのエレノアの髪は私のそれとは違って艶があり、まるで上質な絹糸のように滑らかだ。
顔立ちだって全然違う。別人だから顔が違うのは当たり前といえばそうなんだろうけど、今の顔――貴族のエレノアと本来の私の顔はどこか似たところがあった。
でも、そんなのなんの慰めにもならない。むしろ下手に似ている所があるせいで、比べれば比べるほど惨めな思いをするだけだった。
(でも、なんで姿が変わっちゃったんだろ……)
それはわからないが、これが夢ではないことだけは確かだ。
ソファーの上で沈黙を続ける私にレオンが話しかけてきた。
「エレノア様。私たちのことがおわかりになられますか?」
「……ううん」
「それではご両親のことは覚えておられますか?」
その問いに答えるには時間が必要だった。
両親のことならこれでもないくらいはっきりと覚えている。今はもういないけど、自分を産み、育ててくれた人たちのことを忘れるわけがない。
でもこの顔の持ち主――貴族のエレノアの両親を私は知らない。
だからこう答えるしかなかった。
「……ごめんなさい。それもわからない」
首を横に振り、否定する。
「お二人のことも憶えておられないなんて……。まさか……本当に記憶をなくされて……」
「……そのようですね。私もまさかとは思っていましたが……」
「ど、どうしましょう、レオン! エレノア様の記憶は戻るんでしょうか?」
「……わかりません。記憶喪失については記録が少なく、何らかのショックによって一時的に記憶が失われているだけで、時間が経てば元通りになったという話もありますし、それとは逆に死ぬまで記憶が戻ることはなかったという話もありますので一概には言えません」
私が二人のことも両親もわからないと言ったことに、リズは動揺を露にした。
が、レオンの方は自分の主が記憶を失うという異常事態に遭遇しているにも関わらずあまり驚いていないようだった。
「お医者様にお見せしたらなんとかなるでしょうか……」
「いえ、医者に見せるのはやめておいたほうがいいでしょう」
「ど、どうしてですか……?」
「この事が他所に漏れれば、五大侯爵家の令嬢であるエレノア様を利用しようと企む輩が出てくるでしょう。利用どころか、危害を加えようとするものが出てくるかもしれません」
「そ、それはそうですが……」
レオンもリズも私が記憶を失っていると思っている。
それは私にとって都合が良い話だった。
私はこの体の持ち主のこともその周りのことも何も知らない。だから記憶がないということで押し通せればそれが一番良いのではないだろうか。
(……リズもレオンも悪い人じゃないと思うけど……)
それでも正直に事情を話すわけにもいかない。
目を覚ましたら違う自分――貴族の女の子になっていたなんて、信じてもらえるわけがないのだから。
(なんでこんなことになっちゃったんだろう……)
もしかして路地裏で黒い面を付けた人に刺された時、私は死んでしまったのではないだろうか。
あの時、私が感じた痛みは、紛れもなく本物だった。
今思い出しても身震いするほど怖い。あれを夢や幻で片付けることはどう考えても出来そうにない。
あの日の夜、私は死んだ。それは間違いない。
でも、そうだしたら死んだはずの私が、こうして生きているのはなぜなんだろう。それも別の人の体となって――
(もしかして……あの話が関係あるのかも……)
私は以前にロンダ親方から聞いた話を思い出した。
それはある人形師にまつわる話だ。
昔、あるところに凄腕の人形師がいた。
ある時、彼と娘が乗った馬車が事故に遭い、その事故で彼は愛する妻との間に出来た娘を失ってしまった。
彼は深く悲しみ、その悲しみを癒すために一体の人形を作り出した。その人形は一流の人形師が見ても人間と見分けがつかないほど精巧なものだった。
そして奇跡が起こった。彼の作った人形に魂が宿ったのだ。
けれども、その奇跡は不完全なものだった。人形に宿ったのは彼の娘の魂ではなく、別の少女の魂だったのだ。
彼が愛していたのは自分の娘であり、いくら自分の娘と同じ姿をしているといっても別の人間の魂が入った人形の娘を愛することは出来なかった。
しかし人形の娘はそのことを知らず、自分が彼の娘だと思い込み、その人形師のことを「お父様」と呼んで、慕うのだった。
それから二人は様々な困難に直面し、それを乗り越えた末に幸せを手にする。
――色々うろ覚えだけど、そんなお話だったと思う。
その話を聞いた時、私はおもしろい話だとは思ったけれど、それ以上のものをこの話に見出すことが出来ず、記憶の片隅に追いやってしまった。
だけど、ロンダ親方はそうじゃなかった。
「いいか、エレノア。人形師が心を込めて本当に優れた人形を作り上げた時、その人形には魂が宿る。こいつはおとぎ話なんかじゃねえ。本当にあったことなんだ。お前もいつかそんな人形を作れると良いな」と言って、私に人形師の技を教えてくれた。そう。ロンダ親方はこの話を真実だと思っていたのだ
親方は駄目な所もいい加減な所もたくさんあるけれど、この世界で五本の指に入るほどの腕を持った人形師だ。
そんな人が真面目な顔をしてこう言うのだから、私もそのお話をただのおとぎ話だと笑い飛ばすわけにはいかなくて「わかったよ、親方。私、一生懸命頑張るね」と言ったのを今でも憶えてる。
今ならわかる。
ロンダ親方の言う通りだった。あの話はおとぎ話なんかじゃなかった。本当にあったことなのだ。
あの日の夜、私は死んだ。それは間違いない。
けれども魂はあの世にいくことはなく、この世に留まった。
そして、この屋敷にいた女の子の体に入り込んでしまった。恐らくはそういうことなんだろう。
ただ、それだと疑問が残る。
あの話では魂が入り込んだのは人形だった。だが私の魂が入り込んだのは、別の人間の体なのだ。この体の本来の持ち主、エレノア・ライノールの魂はどこに行ってしまったのだろう。
……もしかしたらこの体の持ち主も私と同じように何か事故に遭って、あの夜に命を落としてしまったのかもしれない。そして魂を失ったこの体に偶然、私の魂が入りこんでしまった。
そう考えれば一応、説明はつくけれど……
(本当にそんな事、あるのかな……。全部、私の妄想かもしれないし……)
どんなに考えても確かなことは何一つ掴めない。
私がため息をつくとそんな私の様子を心配したのかレオンが話しかけてきた。
「……エレノア様。大丈夫ですか」
「う、うん。大丈夫……」
本音を言えばこれっぽっちも大丈夫じゃなかったが、今はこう答えるしかない。
「エレノア様もご自分の記憶のことは秘密にしておいてください。噂とは一度広まれば際限なく広まってしまうものです。くれぐれも御用心を」
「……うん。わかってる」
素直に首を縦に振る。
私だって「過去のことは何も憶えていません」なんてみんなに言いふらすつもりはない。そんなことをしたら大変なことになる。それぐらいは理解してるつもりだ。
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