第5話 鏡に映るもの
眩しい光が瞼の裏をちかちかさせる。
その光に誘われて、私はゆっくりと目を開けた。
目に入ってきたのは見知らぬ天井。その次に目にしたのものもこれまた見知らぬ部屋の光景だった。
「ここは……?」
確か私は路上で何者かに襲われ、短剣で刺されてしまったはず。
そして、その後は――
駄目だ。何も思い出せない。
黒い面を付けた人に短剣で刺された。それは憶えている。でも、そこから先のことは黒い絵の具で塗りつぶされたかのように真っ暗で、何も思い出すことが出来なかった。
ただ、私がたくさんの血を流し、地面に倒れこんでそれきり起き上がれなくなってしまったことだけは、はっきりと覚えている。
(もしかして救護院なのかな……?)
あれほどの大怪我をして、無事でいられるはずがない。
路地裏で倒れている私を運良く誰かが見つけてくれて、救護院に担ぎ込んでくれたんだろうか。
そう思ったのだけど、それも違うような気もした。
だって平民が担ぎ込まれる救護院のベッドはこんなに柔らかくはないし、部屋の内装だってもっと薄汚れている。こんな上等な部屋――まるで貴族の部屋のような場所じゃなかったはずだ。
(それに全然痛くないのは、なんでだろ……。あんなに痛かったのに……)
あれだけの傷を負い、血を流したはずなのにまるで痛みを感じないのも気になる。
これは一体どういうことなんだろう。
(もしかして、これって夢……なのかな……ほんとの私はまだ路地裏の冷たい石畳の上にいて、そこで横たわりながら自分に都合の良い夢を見てるだけなのかも……)
ぼんやりとする頭でそんなことを考えていた時、部屋のドアが開き、誰かが中に入ってきた。
「……失礼します」
そう言って、部屋に入ってきたのはまだ小さい女の子だった。
その子はベッドの上にいる私の顔を見て、
「え、エレノア様!? 目が覚めたんですか!?」
と、まるで幽霊でも見たかのようなに驚いた顔をして、今にも倒れそうなくらいに体をよろめかせた。
が、驚いているのは私も同じだ。
(こ、この子、誰なんだろ……? すごく可愛い子だけど……)
その女の子は私よりも幾ばくか下の年齢で、高価な素材で仕立てられたメイド服を着ていた。こんな高そうな服を着ていられるのは、貴族か大金持ちの人に仕えている人だけだ。
もしかしたら以前に人形工房に来たお客さんのお付きの人なのかもしれない。そう思ったけど、すぐにその考えを打ち消した。
お客さんの顔は極力覚えるようにしているし、こんなに可愛らしい女の子が一度でもお店に来たら忘れるはずがない。いや、そもそもロンダ人形工房に貴族のお客さんとそのお付きのメイドなど来たことがなかった。
それならこの女の子と私は間違いなく初対面だ。
そのはずなんだけど――
(でもこの子、私をエレノアって呼んだよね……?)
初めて顔を合わせたはずなのに、なんで私の名前を知っているんだろう。
しかもただ「エレノア」と呼ぶのではなく「エレノア様」と様付けで呼んだ。そんな風に呼ばれる覚えなんてこれっぽっちもないのに。
わからないことはもう一つある。
なんとなくだけど……この子は私を見て怯えていたように見える。
そんなに今の私は怖い顔をしているのだろうか。それとも短剣で刺された傷がそこまで酷いのだろうか。
(……どうしよう。わからないことばっかりだ……)
目を覚ましたら貴族の人が住むような部屋のベッドの上にいて、そこに見知らぬ女の子がやってきて、私のことをエレノア様だなんて呼ぶ。そしてその子は私を酷く怯えた目で見るのだ。
まったくもって訳がわからない。
あまりにもたくさんのことが一気に起こったせいで頭の中がぐちゃぐちゃだった。
いっそのこと、このまま目を閉じて考えるのを止めてしまいたい。
が、そういうわけにもいかない。
部屋に入って来た女の子は私のことをじっと見ている。
ずっとこのまま黙りこんでいるわけにもいかないし、話をしてみれば何かわかるかもしれない。
「え、えっと……」
意を決して、その子に声をかけてみた。
すると――
「も、申し訳ありません! エレノア様!」
メイドの少女はすごい勢いで謝りだした。
あまりの剣幕に謝られた私の方が悪いことをしたかのような錯覚に陥ってしまった。
「そ、そんなに謝らなくていいよ。えっと、その……色々と聞きたいことがあるんだけど聞いてもいい? ここはどこなの? なんで私、ここにいるの?」
「え、エレノア様……?」
少女は戸惑っていたが、それ以上に私に対する怯えのようなものが目立った。
私はただこの子と話をしたいだけなのに、彼女は私に声をかけられるだけで怖くなってしまうらしい。
(なんでこの子は私のことを怖がるんだろ……)
疑問に思いながらも私は話を続ける。
「……それにさ、確かに私はエレノアだけど、あなた、私よりもほんのちょっとだけ年下なだけじゃない? そんな子から様づけで呼ばれるなんて覚えなんてないんだけど……」
「……え、えっと……その……」
私がそう言うと少女はますます怯えてしまい、ついには猫に追い込まれた鼠のように身をすくませてしまった。
ここまで怯えられてしまった以上、この子と話をするのは難しいかもしれない。
本当ならここで引き下がっては駄目なんだろう。
怖がられてもいいからこの子と話をして何が起こったのか知るべきなんだろう。
でも、そんなことはとてもじゃないけど、私には出来そうになかった。
だって私は人形師なのだ。
私が人形師としてロンダ人形工房で接してきたお客さんの多くは、目の前で怯えている少女と同じくらいの歳の子供だった。
だからだろうか。私はこのくらいの歳の子を見ると工房の中であろうと外であろうと関係なしに人形師として振る舞おうとしてしまう。
ここは工房じゃないし、この子はお客さんじゃない。この緊急事態に人形師だなんて言ってる場合じゃない。
そんなことはわかっている。
十分すぎるほどわかっているんだ。
でも、これまで私は人形師として生きてきた。
その生き方は、私の中にすっかりと根付いてしまっている。
例えこの子がお客さんじゃないとわかっていてもお客さんと同じくらい歳の子を怖がらせるようなことは出来ない。
(……でも、困ったなぁ)
けど、そんな私の生き方は今の状況では何の役にも立ってくれないわけで私は途方に暮れてしまうのだった。
もう一度、あたりを見回す。
やっぱり私の部屋じゃない。それは一目でわかった。自分の部屋、工房、救護院、友達の家。そのどれでもない。
こんなに豪華な部屋、入ったことはおろか見たことさえない。さっき貴族の人の部屋みたいと思ったが、あながちそれも間違いじゃないのかもしれない。
私と女の子が二人とも黙りあい、不安な思いで互いを見つめていると誰かが部屋のドアを丁寧にノックしてきた。
「……え、えっと、どうぞ」
混乱していたせいか、相手が誰なのか確かめる前に部屋に入るのを許可してしまったが、もう遅い。
「……失礼します」
そうして部屋に入ってきたのは、メイドの女の子に負けず劣らず身なりの整った綺麗な顔立ちの青年だった。
「た、大変です。レオン! エレノア様が大変なことに……!」
「どうしたんですか、リズ。そんなに慌てて……」
リズと呼ばれた女の子が、入ってきた男性――レオンに駆け寄る。
そしてそのままわんわん泣き出してしまった。
「落ち着いてください、リズ。一体何があったんですか」
「うっ……うう……っ」
私はその様子を黙って見続けた。
正直に言うと私だって泣いてしまいたい。
声をわんわんあげて、思いきり泣いて何もかも全部忘れてしまいたかった。
だってそうだ。家に帰ろうとしたら、暴漢に襲われ、短剣で刺されるなんて夢を見た揚げ句、目を覚ましたら知らない家にいて、これまた知らない人たちに囲まれている。そんな目に遭って泣くなというほうが無理がある。
でも私は泣かなかった。
泣きたいけど、泣いたって何にも解決しない。
両親が亡くなった時もそうだった。あの時、泣いてばかりだった私を助けてくれたのはロンダ親方や司祭さま。それにアレシアさんといった私の傍にいてくれた人たちだった。
だけど、親方も司祭さまも今ここにはいない。それなら自分でなんとかするしかない。泣いてもどうにもならないのだ。
――目を閉じて深く息を吸う。
そうすると少しだけ気持ちが落ち着いてきた。
問題は山積みだけど何が起こっているのか少しずつ知っておけばなんとかなる。メイドの女の子には泣かれてしまったけど、この人ならそんなことはないはずだ
「えっと……レオンでいいんだよね。聞きたいことが色々あるんだけど、聞いてももいいかな」
「はい。私にわかることでしたら」
「その……ここはどこなの?」
「ここはライノール家が所有する屋敷です」
「……ライノール家?」
思わぬ名前が出て驚く。
ライノール家とは王家に代わりこの国を統治している五つの候爵家の一つのことだ。私のような平民の人形師が屋敷の敷地を踏むことなど一生あり得ないほどの大貴族。それがライノール家のはずなんだけど……。
「ライノール家ってとっても偉い貴族でしょ? とうしてその屋敷に私がいるの?」
「……どうしても何もここがエレノア様のお屋敷だからですが……?」
「で、でもここは私の家じゃ……」
そこまで言いかけて、ようやく何がおかしいのか理解出来てきた。
さっきからレオンという人もリズという女の子も私が大貴族の令嬢であるかのように話している。
(……きっと何か誤解してるんだ)
それならその誤解を解かないといけない。とはいえ、どうやって誤解を解けばいいものか……。
困った私は助けを求めるかのように部屋に目を向けた。
と、そこで部屋の中に置いてある大きな鏡が目に入った。
鏡に写った顔を見たその瞬間――
「……えっ?」
あまりに驚きに息が止まった。
鏡に映っているのは、私じゃない。
硝子の鏡の中に映っているのは、これまで一度も見たことがない。まったくの別の少女の顔だった。
(な、なんで……っ!?)
何度瞬きしても、瞼をこすっても鏡の中にいる私の顔が元に戻ることはない。
鏡は私を嘲笑うかのように見たこともない少女の顔を写し続けている。
(…………)
体の中から力が抜けていくのを感じ、私はその場に膝をついた。
(……やっぱり夢だったんだ……)
だってそうだ。
私が私じゃなくなるなんて、そんなことがあるわけない。
あるとしたらそれは――夢だ。
(……そうだよ。夢だよ。それも飛びっきり悪い夢だ。こんなの……! こんなことあるわけない……っ!)
これは夢だから。次に目を開けたら、何もかも全部元通り。
親方と一緒に人形工房で一生懸命働いていて、お客さんを笑顔で出迎えて、仕事のあとは司祭さまと楽しくお話しして、アレシアさんが作ってくれる美味しいご飯をお腹一杯食べて、こんなに柔らかくはないけど寝慣れたベッドで眠るんだ。今までずっとそうしてきたんだ――
何度も何度もこれは夢だと自分に言い聞かせる。
けれども肌を流れる汗の感触が、破裂しそうな心臓の鼓動が、これが夢ではなく受け入れなければならない現実であることを私に突きつけていた。
頭が痛い。胸が痛い。あの夜に刺された場所が痛い。体のあちこちが痛くて、痛くて堪らない――
私は何度も何度も荒い呼吸を繰り返し、最後には息が出来なくなりかけて、激しく咳き込んでしまった。
「え、エレノア様!? 大丈夫ですか!?」
リズが大慌てでこちらに駆け寄ってきたが、まともに返事など返せるわけがなく、私はその場に座り込むことしか出来なかった。
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