第6話 神樹の精霊


「起きるのじゃ」


 体がゆさゆさと揺らされる。

 ちょっと待て、今日のバイトは休みだ。


「もう身体は癒えておる。

 それともまた、悪鬼共に襲われたいか」


 悪鬼共……?

 ゴブリン……?

 あの鎧の……!


「それは嫌だ!」


 そう言って、俺は飛び起きる。


「……やっと目覚めおったか」


 そう、俺に声を掛けて来るのは。


「何だお前……」


 どう見ても、小学生くらいにしか見えない少女だった。


「人間と話すのは数百年振りじゃ。

 儂の名は、マナリアスツリーフォルス。

 人からは、主に神樹と呼ばれておる」


 マナ……何……?

 名前なのか……?


「マナか」


「なっ、神聖な儂の名を略称で呼ぶじゃと?

 不敬であるぞ」


「いやぁ、下民身分の自分にフルネームを呼ばれる方が失礼に感じさせてしまうかと思いまして」


「ふむ、其方なりの敬意の現れという訳か。

 ならば良かろう。儂をマナと呼ぶ事を許す」


「ははぁー」


 適当に相槌を打ちながら、少女を見る。


 真っ白な少女。

 髪も眉も白く、瞳も銀色。

 神社の巫女が着るような、白い装束に袖を通している。


 後は装飾品だ。

 樹の実の様な緑の髪飾り。

 獣の牙や爪で造られたネックレス。


 それに、名称には『ツリー』の名がある。

 シンジュという言葉は神の樹と書くんだろうか。


 この子の言葉が本当ならば、この子は自分を樹であると名乗った事になる。

 後ろの白い大樹と関係有りそうだ。

 ま、普通じゃ無いのは確かだな。


 色々疑問はある……

 言語が通じてるのも意味不明だし。


 けど会話ができるなら、聞きたい事は山ほどあるな。


「なんで、俺の傷は治ってるんでしょう?

 あと、俺を吹き飛ばした奴は……」


「敬うのは構わんが、その口調は止めよ。

 儂は、其方に頼みをしたく治癒を施した。

 その様な口調では頼みにくい」


「頼み……か……

 そりゃ、できる礼はさせて貰うけど」


「それは良かった。

 それでは先に、其方の疑問に答えよう」


 そう言った瞬間、彼女の右手にリンゴの様な赤い果実が。

 左手の人差し指が、俺の後方を指す。


「右手の果実の名は、神紅実レッドアップル

 お前を蘇らせたのは、この実の力じゃ」


 聞きながら、俺は自然とスキルを使う。

 植物鑑定。



 神紅実レッドアップル:神の力を有する樹が百年単位の月日をかけて生成する樹の実。あらゆる病や傷を即座に治癒する。



「そして、儂の指先を見よ」


 振り返り、俺は指し示す方角を……



 ――ギィ。



「うわぁ!」


 そんな、情けない声と共に俺は腰を抜かす。

 だが、仕方ないだろう。


 ゴブリンの侍みたいな。

 あの甲冑と大剣の奴が、そこに立っている。


 俺が居る白い空間の一歩外で、こちらを凝視している。


「案ずるな。

 この結界がある限り、奴らが入って来る事は無い」


「結界……?」


「そうじゃ。

 この聖域には、あの程度の者には入れぬ」


 腰に手を当て、自慢する様に少女は言う。


「それよりも、そろそろ儂の頼みを聞いてくれても良いのではないか?」


「まぁ、できる事ならさせて貰うよ。

 命の恩人……恩樹……? だし」



「――そうかならば、貴様に命じる」



 命じるのかよ。

 お願いじゃ無いのかよ。

 無理な事は無理だぞ。


 でも、態々こんな超常的な存在が俺を助けてまでさせたい事か。


 どんな、非常識な願いなのだろう。

 そう思い、俺は身構える。


 彼女は少し、照れたように体を揺らして。


 俺の顔を上目遣いで見ながら言った。



「――儂の……話し相手になってくれ」



 え……?


「どうじゃ……?

 無論、其方の自由を奪うつもりはない。

 好きな時だけここへ来ていい。

 好きなだけの時間で良い。

 週に一度でも、月に一度でも、年に一度でも、千夜に一度でも構わぬ」


 寂し気に。

 悲し気に。

 本当に、年相応の少女のように。


「ダメ……?」


 玩具を強請る子供みたいだ。

 そして、俺は母さんにそんな物を買って貰った事は一度も無い。


 だから。


「勿論、毎日来るよ」


 同じ不幸を、他人には強いれない。


 俺の言葉に、花を咲かせるように少女は笑った。


「ほんと!?

 うれしい!

 ……あ、感謝するのじゃ」


「別に、喜べばいいんじゃないのか?」


「じゃ、じゃあ……今日はわた……儂とお話してくれる……?

 のじゃ……?」


 取ってつけたような年配口調。

 もう崩れかかってるなら、付けなくてもいいのに。


 もし、本当にこの少女が。

 マナが樹なら、彼女はここから動けないのかもしれない。

 そして、百年とかそんな単位が出て来るって事はそういう年齢で……


 ずっと長い事。

 独りだったのかもしれない。


「そうだな、じゃあ自己紹介がてら俺の話でもするとしようか」


「うん、お茶と果物持って来る! のじゃ!」


 俺の様な、人間には耐えきれないような孤独な時間。

 それが、少しでも解消されるのなら。


 何度だってここに来るさ。

 どうせ、複製するべき物を剪定しなきゃいけないんだし。


 マナは、木製のコップや皿を並べている。

 元気そうに、嬉しそうに。


 それを見て。

 俺は、話相手に位なってあげようと考えた。


「じゃあ、俺の事を話すよ。

 まず、俺の名前は望月充もちづきあたるっていって……」



 ◆



「では、其方は異世界人なのか?」


「そうだな。

 それで、向こうの世界で貧乏生活を抜け出したくてこっちに来てる」


 俺の状況。

 俺の能力。

 それに付いてマナに話した。


 生い立ちは。

 まぁ、話しても暗い雰囲気にするだけだから省く。

 いつもの事だ。


「其方……」


 マナが、俺の頬に触れる。

 撫でる様に顔を引っ張る。

 抵抗する理由も無く、俺はされがまま。


「何してんの?」


「人間は他者を褒める時、こうするのだと昔に聞いた事がある」


 そう言って、マナは俺の頭を撫で始める。


「貧乏な暮らしを脱する為とはいえ、平和な世からこのような魔物の跋扈する世界にやって来た。

 死に目にあっても、諦めず戦っている。

 その様な者を、褒めずには居られないのじゃ。

 だが、其方が嫌ならば止めよう」


 傍から見れば恰好の悪い光景だ。

 自分より随分年下な見た目の少女に、頭を撫でられている。


 けれど、幸いに誰かが見ている訳でも無い。

 ゴブリン侍くらい。

 それなら、別に止める理由もないか……


「別に、向こうの世界でも死にそうな事はあったよ。

 だから、特別頑張ってる訳じゃない……」


「そうか?

 ならば、儂の勘違いで良い。

 儂は人間の事には詳しくないのでな。

 だから、ただ其方の頭を撫でたくなっただけだと思えば良いのじゃ」


「……初めて大人っぽいと思ったよ」


「これでも樹齢は1万を越えておるのでな……」


「そうか。じゃあお前も頑張ったんだな。

 こんな所に独りで、よく耐えたな」


 初めて会った仲で。

 そんな2人で。


 褒め合って。

 慰め合って。


 あぁ、気持ちが悪い。


 常識ではそう思うのに。


 心地良く思ってしまう自分が嫌いだ。



 ――パリン!



 と、音が響く。


「なぬ?」


「なんだ?」


 揃って俺とマナは立ち上がり、音の鳴った方向を見る。


 大剣を担ぐ武者の大柄のゴブリン。

 大斧を振り抜き、紫の皮膚を持つオーク。

 翼を生やし、純白の鱗を持つリザードマン。

 三又の槍を携え、貴族のように体を装飾品で着飾った人魚姫。

 筋骨隆々とした体躯と、獰猛な赤眼を光らせたシルバーの人狼。


 全て、強敵鑑定の結果は『10』を表している。

 圧倒的強者……って事だ。


 5体が並び、武器を振り抜いている。

 結界の一部が、割れている。


「そんなまさか……」


 マナが、焦った様に呟く。


「逃げろ、アタル……

 何故だ、何故……5種族の長が徒党を組むなど……」


 冷や汗を流しながら、マナは絶望的な表情で俺を見る。


「なんだよ、どういうことだ!」


「奴らは儂の力を巡って争っていた。

 儂をころし力を得れば、魔物としてもっと強大になる事ができる。

 しかし、1つの種族の力では儂の結界を破壊するのには数カ月はかかる。それに、魔物同士の抗争が終わらなければ結界の破壊には尽力できない。

 そういう計算だった……」


 でも、その5種がなんでか共闘してるって事か。


 5体の長と呼ばれた魔物が、また武器を振り上げる。



 ――パリン!



 更に、結界の綻びが大きくなる。

 あいつ等が入れる位の穴ができるまで、残り時間は多くない。


「ふざけんじゃねぇ」


 俺は、複製を発動させトカレフを召ぶ。

 スキルを全部使い、穴へ向けて乱射する。


 けれど。


「クソ……」


 弾かれる。

 鎧に。鱗に。魔法みたいな防壁に。

 何なんだよこいつ等。



 ――パリン。



 結界の穴が広がっていく。


「アタル、早く逃げろ。

 儂の全ての力を使えば、まだ数分は持たせられる」


 ギィ。

 ブヒィ。

 シャァ。

 グルゥ。

 アァー。


 漏れ出る声が、恐怖を増幅させる。


 でも。


「ふざけんなよマナ。

 また来いって言ったじゃないか。

 俺はまた来るつもりだし、またお前と話す予定だ」


「アタル……嬉しいのじゃがな、それは無理な相談だ。

 早う逃げよ。奴らが入って来る前に……!」


 一言。

 告げる。


 それで、十分だ。


「できない」


 俺は飛び出す。


 方法も作戦も、可能性も無いのかもしれない。


 それでも、やらせるかよ。


 内から外へ結界を通り抜け、俺は奴らの側面を取る。

 銃口は既に向いている。


「死ねよ」


 俺は引き金を何度も引く。

 弾は二重の魔法陣を通過し、飛び出して行く。

 今度は外さねぇ。

 眼球狙いだ。


 光速に近い速度。

 なのにどうやってか、奴らは俺の銃弾の軌道を見切っている。

 俺が引き金を引く前から、防御の構えを取っている。


 弾かれる。


 ッチィ!


「止めよ! やめるのじゃ!

 何故、初めて会った儂の為に其方が戦う!?」


 知るか。

 うるせぇ。

 俺がそうしたいからに決まってんだろ。


 どうせこの身体は死んでも生き返る。

 悪足掻き上等。

 もう、諦めるのは嫌なんだよ。


 弾を撃ち切り、リロードの代わりに複製を再発動。

 トカレフが装填状態の物に切り替わる。


 そのまま、引き金を引き続ける。


 しかし。


「ウゥゥゥゥォオオオオオオオオオオオンンンン!」


 人狼が地面を殴りつける。


「嘘だろ……」


 その瞬間、地面に亀裂が入り、俺の元まで走って割れた。


 俺は強化された身体能力で飛び上がる。


 しかし、視界には人魚の周りに浮遊する水の槍が見えた。


「ハァァァァァァァ……!」


 歌声が指示となり、水の槍が俺を射す。


 数は4本。

 空中に居る俺に避ける術は無く。


「アタル!」


「がっあああああああああああああああああああ!」


 両太腿、両肘に水の槍が刺さり、俺の身体を一本の樹に縫い留める。


 なんだよこれ。

 まるで魔法じゃないか。


 熱い。痛い。

 クソ、完全に固定されてる。

 身体が動かねぇ。


「ギィ……」


 あのゴブリンが近づいて来る。

 大剣を正眼に構え。

 俺に剣が届く、その距離まで。


 そして、大上段にそれを振り上げる。


 やばいこれ、死ぬ奴だ。


「アタル! 嫌じゃ、嫌じゃ……

 やめてくれ、頼むから……」


 マナが泣きべそを掻いているのが見える。

 でも、それはこっちの台詞だ。


 俺は、目を瞑る事もせず、そいつを睨みつける。


 光景はゆっくりと。

 いや、走馬灯の様な感覚が、時間をゆっくりに錯覚させる。


 大剣が俺の頭を狙い、振り降ろ……


 誰でもいい。

 あの子を、守ってやってくれよ。


 そう願いながら、天を仰いだ。



「――嘘吐き君、久しぶり」



「ギィ……?」


 首が落ちる。

 ゴブリンの長の。

 強敵鑑定で10を出す、化物の。


 首が。容易く。


「この獲物、私が貰うけど……良い、よね?」


 黒い長髪を靡かせて。


 彼女は俺の前に降り立つ。


丹生うにゅう夜見よみ……」


 俺には、その名前を呟くのが限界だった。

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