第9話

 俺は今日の出来事をベッドの上で振り返っていた。色々なことが起きすぎて今日という一日が本当に現実だったのか分からなくなる。住谷さん、もとい紅音に告白されたことで俺は紅音と恋人になることができた。しかしその直後に礼奈にキスをされてしまった……


改めて振り返っても自分の置かれた状況が意味不明すぎる。だが、これ以上考えていても明日に支障をきたしそうだ。


今日はもう眠ろう。俺は考えるのをやめて瞳を閉じた。


「行ってきます」


いつも気怠い朝だと思っていたが今日はいつも以上に憂鬱だった。どんな顔をして礼奈に会えばいいんだ。それに紅音にも……


やけに重く感じる玄関のドアを押し開けると目の前に礼奈が立っていた。


「おはよう。式影君」

「お、おはよう……。礼奈」


俺は彼女の姿を見てかなり動揺した。しかし彼女は昨日のことなど何もなかったかのような顔で俺の家の前に立っていた。


そして彼女はおもむろに俺に近づきふわっといい香りがしたかと思うと、俺の唇にあの時と同じ感触がした。


「なっ……礼奈どういうつもりなんだ!?」

「どういうつもりってただの挨拶だけど……?」


礼奈は昨日に続き、今日も俺にキスをした。キスが朝の挨拶って……。ここは日本だぞ。しかも挨拶が唇同士でキスなんて海外でも珍しいんじゃないか?


礼奈の突飛な行動に驚かされるばかりだった。しかし俺はもう付き合っている身だ。ここはビシッと言わなければならない。


「礼奈がどういうつもりか知らないが俺はもう紅音と付き合ってるんだ。誤解されるような行動は避けてくれ」

「私との約束を反故にするってことね。指輪まで渡しておいて……」

「それは……」

「そんなに無責任な人だったのね……私、今までずっとあなたの約束を信じ続けていたのに……」

「礼奈……」


礼奈は悲しそうに顔を伏せる。彼女の悲痛な面持ちは俺の罪悪感をくすぐった。普段は無表情で感情が読み取りづらい彼女だがもしかしたら傷ついていたのかも……。彼女が本気で俺の約束を守り通してくれていたのだとしたら俺のしたことは裏切りなのか?


だって礼奈はこの美貌だ。モテるに決まっている。でも俺がした約束に囚われてしまっているのだとしたら俺にも責任があるんじゃないか?


そんな考えに駆られるが彼女の表情が移り変わったことで即座に消し飛んだ。


「ふふ……、やっぱり式影君のその表情は何度見ても飽きないわ」


先程までの悲痛な表情は消え去り余裕の笑みを浮かべている彼女。また俺をもてあそんだのか……。何が彼女の本心なのか全く分からない。


俺は憤りを感じ彼女に対して何か文句の一つでも言ってやろうと彼女の方を向いた。すると彼女のバッグが目に入り俺は驚愕した。そこには俺が昔、彼女にプレゼントした魚の模様のついたおもちゃの指輪がアクセサリーとしてつけられていたからだ。


「礼奈、それ……」

「ああ、これ?あなたの目の前にあれば私との約束をもう忘れないで済むでしょ?だから付けてきたの」

「何だよそれ」

「これはかせね。これがいつも私を縛り付ける。あなたが私につけた足枷よ」


彼女は一体、どういう思いでこの言葉を言ったのだろう。表情も変わらず声色からもやはり感情が読み取れない。しかし俺には何故か彼女が寂しそうに見えた。


そうこうしているうちに学園に着いた。俺は礼奈と別れ自分の教室へと向かう。


教室に着くと紅音が俺を嬉々とした表情で出迎えてくれた。


「おはよう~浅井君」

「おはよう紅音」

「私……まだ名前呼びが恥ずかしくて今まで通り浅井君でいいかな?」

「好きに呼んでいいよ」


俺が勝手に住谷さんを紅音って呼び始めただけで、俺のことをどう呼んでもそれは紅音の自由だ。


「やっぱり礼奈に色々と相談に乗ってもらって分かったんだけど礼奈って浅井君のこと何でも知ってるよね」

「そりゃ幼馴染だからね」

「うん……。でも何だか悔しいな……二人の間に割り込めない絶対的な絆を感じるから……」










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