第2話 テーマ「散歩」

 透き通った朝日の中を、今日も歩く。

 一面に広がる白。空はうっすらと青く色付き、遠くに見える太陽はまだ眠いのか、もやがかかっている。

 生の息遣いは、時に人を楽しませ、時に人を憂鬱にする。朝目覚めた頭が欲するのは活気ではなく孤独だ。下に沈み込んだ空気を緩やかに蹴りながら、静寂の駅前を歩く。

 学生ばかりが利用する駅は、街中にあるくせに無人駅だ。おそらく車による送迎のための駐車場はだだっ広い。夜中に降り積もった雪を、黄色の除雪車が集めていく。駐車場の片隅には、大きな白の山ができていた。

 私は少し歩みを進める。その先にある、自転車小屋の脇。除雪車が入り込まないそこには、足首を覆うくらいの雪がそのままになっていた。

 その雪に、鮮やかな赤が咲いていた。

 なんだ、あの花は。なぜこんな季節に、こんなところに咲いている?

 そう思い、私は雪の中に足をうずめながら近づく。

 遠目から見ると牡丹の花のように見えたそれは、折り紙だった。私はそっとそれを摘まみ上げる。

 赤い花は、折り目のしっかりした立派な出来だった。こんなところに置いておくなんて、もったいない。……いや、こんなところに置いてあることで、不思議に魅力が増して見える。

 私は花を元あった場所に戻した。見れば、花の周りには私のものではない足跡がある。足跡の具合からして、さほど前につけられたものではない。

 だれがこんな面白いことをしたのか。

 好奇心が首をもたげたが、すぐに考え直す。

 知らないほうが、今はいいかもしれない。

 私は駅を後にした。


 私が散歩を始めた理由など、つまらないものだ。

 昨今の情勢を鑑みた会社がリモートでも出社に切り替え、早数年。田舎の街だが、通勤通学の時間帯は電車は都市部並みに混む。道路には車の列ができ、それが当たり前とはいえ、ストレスになっていたことには違いない。何かしらを制限された不快な日常だが、そのストレスから解放されたことだけはよかったかもしれない。

 しかし、私のような出不精は、出勤しなくてよいとなると家に閉じこもる日々が続く。朝は日が昇ってから起き、真夜中に眠る。そんな不摂生のせいか、リモートワークになってからしばらくすると、意味のない動悸に襲われるようになった。

 こりゃ駄目だ。そう思って始めたのが早朝の散歩だったわけだ。

 ついこの間までは住宅街を避けた川沿いを散歩ルートにしていたのだが、ふいに思い立って反対方向の街中を歩いてみることにした。

 人のいない街は、まるで眠っている肉食獣のようだ。目覚めれば大きな力となって襲い掛かる。その力に飲まれないように、私たちは力を込めて歩く。その力のこわばりがない早朝の散歩は、中々に気楽だった。

 今日の朝は、空からひらひらと白い花弁が降ってきていた。

 体の芯を冷やすような寒さも、清々しさだと思えば心地いい。

 私は少しの期待と共に自転車小屋の方へと近づいた。その目に飛び込んできたのは、鮮やかな黄色。

 今日は百合か。そう思って私は折り紙を摘まみ上げる。

 やはりきっちりとした折り目で、私はこれを作った人間のことをぼんやりと考える。

 きっとまじめな人間なのだろう。毎日決まった時間に起き、折り紙を折ってここに植えに来る。

 なんだか和食を毎日食べてそうだな、なんて勝手なことを考えた。

 私は少し笑って、駅を後にした。


 緑の蓮。青の桜。緑の薔薇。桃色の朝顔。

 どうやら色のセンスはない、というよりも気にしない人間のようだ。

 ただその花を目でいた私だったが、少し折り紙を作った人間と関わってみたくなった。

 今日の花は、水色のチューリップだ。

 私はその隣にそっと、折り紙で作ったウサギの紙風船を添えた。

 前日の折り紙が残されていることはない。きっと、朝折り紙を置くついでに回収しているのだ。ならばきっと、折り紙を折った人間はこれを見るに違いない。

 毎朝の花の鑑賞のお礼として。

 そっと心の中で呟いて、私は駅を後にした。


 次の日、相変わらず花はそこにあった。

 灰色の紫陽花か。

 私はそう思いながらまたウサギの紙風船を置く。恥ずかしながら手先は不器用で、こんなものしか作れないのだ。

 コミュニケーションというには小さな交流が続いた、ある日。

 いつも通り花を見に行った私は、そこに人がいることに気が付いた。

 しゃがみこんでいる背中は存外大きく、私は一瞬たじろぐ。

 サクサクと足音を立てながらその背中に近づくと、ゆっくりとその背中が振り向く。

「おはよう」

 私がそう声をかけると、しゃがんだ背中の持ち主は、ぺこりと頭を下げた。

「おはようございます」

 高校生ほどに見えるその少年は、私が思っていた通り真面目そうな顔つきをしていた。

「もしかして、いつも花を置いていたのは君?」

「あ、ハイ。えっと、ウサギはあなたが?」

「うん、そうなんだよ」

 私は少年に近づく。少年は立ち上がると尻についた雪を払った。少年は私の頭一つ分大きい。

「君は高校生?」

「ハイ」

「こんな朝早くにすごいねえ」

「今年受験なんで」

「ああ、朝から勉強しているのか。関心だなあ」

 少年の手元を覗き込めば、赤いパンジーが咲いていた。また独特の組み合わせだな、と笑う。

「散歩の楽しみだったんだよ、君の折り紙」

「あ、そうなんすか」

「君も散歩かい?」

「いや、家が近所で、早起き得意じゃなくて、起きたらすぐ折ってここに置くようにしてたんです」

「へえ」

 なるほど。彼も早起きのきっかけを作っていたわけだ。

 自分と同じ考えを持っている少年に、私は思わず笑みがこぼれる。

「じゃあ、今日も私たちの習慣を続けることにしよう」

 そう言って私はウサギ風船をいつもの場所に置く。その隣に赤いパンジーが咲いた。

「勉強、頑張ってね」

「ハイ、ありがとうございます」

 ぺこり、と少年は頭を下げる。

 私は駅を後にした。

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