幼馴染は''負けヒロイン''を愛している。
ゆきゆめ
『幼馴染は負けヒロイン』
「僕、カノジョができたよ」
もう一度言おう。
月ヶ丘永遠は負けヒロインを愛している。
「そう。よかったわね。相手はだれ? って、そんなの分かりきってるわね」
何度でも言おう。
月ヶ丘永遠は負けヒロインを愛している。
「嬉しいわ」
負けヒロインを愛している。
「私の大好きなふたりが、彼氏彼女になる。こんなに嬉しいことってないわ」
負けヒロインを愛している。
「本ッ当に、おめでとう!」
負けヒロインを愛している。
「幸せになってね。ふたりには、その資格があるのだから」
負けヒロインを愛している。
「もし何かあったら必ず私を頼って。私たちは幼馴染。幼馴染はずっと、一生、幼馴染なのだから。いつだってあなたを陰ながら応援しているし、想っているし、チカラになってみせるから」
負けヒロインを愛しているから——月ヶ丘永遠は自身が負けヒロインとなることを人生の意味とした。
今、この瞬間こそ、負けヒロインが物語の舞台で最上の煌めきを見せる、最初で最後のワンシーン。
ああ、なんて愛おしいのだろう。
この時間にこそ、
出会ったその瞬間から、ふたりはこの場所へ向かって歩き始めていたのだと信じられる。
まるで上質な小説のエピローグを読むように。
1ページ1ページ、めくる指先が震えてしまうのを堪えながら、惜しむように、この胸に刻み込む。
「……それじゃあ、そろそろね。この後もあの子と会うんでしょう?」
「うん、そうだね」
「なら速く行ってあげて」
「……ありがとう。僕はいつも、助けられてばかりだ」
「どういたしまして」
10年という月日の間、彼にしか見せたことのない笑顔で。
これからも、たったひとりに捧げ続ける笑顔で。
「じゃあ、また明日」
「ええ」
小さく手を振りながら、河川敷の夕日の奥へと駆け出す主人公の背中を見つめる。
「……………………さようなら」
終わった。
いや、これは始まりだ。
こうして月ヶ丘永遠は負けヒロインとなった。これからの人生を、彼女は負けヒロインとして生きてゆく。
その確定してしまった事実が、呪いが、楔が解かれることはもう、ない。
「……………………」
彼の背中が見えなくなって、永遠はゆっくりと手を下ろした。
チカラが抜けてしまった腕はだらんと宙へ投げ出される。
時間が止まってしまったような気がした。
夕焼けに照らされた煌めく風景さえも、今は殺風景なモノトーンでしかない。
主人公の去った物語とは、こんなにも味気ない。
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!!」
声にならない慟哭と共に、永遠はコンクリートの地面へ膝をついて崩れ落ちた。
両手で胸を押さえてかがみ込む。
「痛い。痛い。……苦しい苦しい…ツラい……ツラいわ……胸が張り裂けて、心が壊れてしまいそう……」
待って。
行かないで。
私を見て。
私を選んで。
私を愛して。
虚空に手を伸ばす。
その手は何も、掴めない。
でも。
だからこそ。
それこそがたまらなく、興奮する。
「きもちいい……♡」
自然と、涙が溢れていた。
ボロボロ、ボロボロと、かつてないほどに流れ、地面を濡らす涙。
永遠にはこの涙の止め方が分からない。
だけどそれもまた、彼女にとってはこの最悪で最高な気持ちを昂らせるためのスパイスだ。
「あは。あはは。あははははははは……!!」
すでに、昔から、壊れていた。
狂気とも言うべき何かに囚われた負けヒロインは、嬉しそうに、悲しそうに、笑う。
ここは主人公が決して足を踏み入れることのない、物語の舞台袖。
知る必要のない、何の意味もない、くだらない物語の端くれだ。
「なにしてんだよ、おまえ」
そこへ、ひとりの少年がやってくる。
「バカか?」
途端に風景はわずかな色を取り戻して、時間が進み始めた。
少年の名前は、
永遠にとっては、腐れ縁のような男。
主人公にとっては、誰よりも信頼する親友キャラというやつだ。
主人公と真逆で、光の当たらない彼はいつだって気怠げで、陰鬱で、暗いオーラを纏っていた。
「……あなたこそ、なによ。今いいところなの。邪魔しないでもらえる?」
零れる涙を隠すこともせず、永遠は少年を見上げる。
「下着の替えが必要なほどに興奮しているのよ」
「やっぱバカだな。そして痴女」
「痴女でけっこう。私は、この瞬間のために生きてきた。この感情のすべては、私のものよ」
「へーへー。そうですか。意味わからん」
呆れたように両手を振った少年は、河川敷の坂を少し降りて、草原に腰を下ろす。
それから隣の芝をポンと叩いた。
「来いよ」
「なぜ? 私はあなたにさっさと消えて欲しいのだけど」
「いいから。俺だって無関係じゃないんだ。少しは話を聞かせろ」
少年は淀んだ瞳で、戯けたように言う。
「そもそも、んなとこ座り込んでたらせっかくの綺麗な御御足にキズがつく」
「は?」
「それをあいつに見られたらマズイんじゃねぇのか?」
「……ちっ」
永遠は力の入らない両脚でむりやり立ち上がると、よろよろと歩いて少年の隣に座った。
「告白したのか?」
開口一番に問われる。
永遠はいかにもバカらしいといった具合に、はぁっとため息をついた。
「するわけないでしょ」
「なんだ、勝負もせずに負けたわけか」
「はぁ〜〜〜〜っ」
やはりため息しか出ない。
彼は何もわかっていないのだ。
永遠は「いい?」と人差し指を突き刺して語る。
「幼馴染っていうのはね、存在そのものが負けヒロインなの」
それが永遠の持論であり、揺るぎないこの世界の真実だ。
「だからこそ、ダメ元の告白をする幼馴染ヒロインなんていうのは3流もいいところ。私に言わせれば出来損ない。ほんっとうにあり得ないわ。反吐が出る。
幼馴染の……負けヒロインの想いとは、秘めるものなのよ。主人公から見てその想いが確定してしまったら、何も美しくないの。だってそれは、禍々しい呪詛でしかないのだから。
幼馴染という名の負けヒロインは、どこまでも主人公にとって都合の良い存在でなければならない。日常でなくてはならない。ずっと穏やかに、波風の立たない陽だまりで、日常の象徴然として笑っている。それが私のこれまでの、そしてこれからの在り方」
永遠は小学生の頃、ちょっと背伸びして読んだラブコメ漫画で初めて、負けヒロインというものを認識した。
その負けヒロインは、主人公がヒロインと結ばれたハッピーエンドの裏で誰にも知られずひっそりと涙を流していた。
それなのに、主人公の前ではずっと笑顔でい続けた。
それを知るのは、物語の外側にいる読者だけ。
そんな負けヒロインという存在の在り方を、どうしようもなく愚かで、だからこそ美しいと感じた。
からっぽだった心を甘い蜜のように満たして、ずっとずっと色褪せることなく、息づいた。
そしていつしか、自分もそうなりたいと願うようになった。
願って、しまった。
負けヒロインとしての美しさを追求するためなら、己の恋心さえも投げ捨てることを厭わなかった。
「幼馴染ラブコメなんてクソ喰らえ。そんなものに美しさは宿らない。
ねぇ、幼馴染同士が結ばれる確率って知ってる? 2パーよ、2パー。
それなのに幼馴染ラブコメなんて、そんなのエゴイスティックで、恣意的で、夢みがちで、真実を覆い隠すだけの歪んだ物語でしかない。
カタルシスがないのよ。
作者のオ○ニーなのよ。
くだらないくだらないくだらない。本当にくだらないわ!」
ヒートアップした永遠は先程のチカラない様子が嘘のように立ち上がり、両手を伸ばして天を仰ぐ。
その瞳に映っているのは、一体何なのだろう。それはもはや、本人さえわからない。
「幼馴染は負けるからこそ、強く儚く、弱く気高く、そして美しい!! 愛おしい!! そうでしょう!?」
人に、世界に、神に、問いかける。
この問いに答えはいらない。
なぜなら、彼女自身がそのアンサーを盲目的なまでに信じているのだから。
「私はたくさんの物語で負けヒロインたちを見てきた! 幸せになってほしいと、勝ってほしいと、何度も涙を流した! だけど私が愛した幼馴染は、負けヒロインは、決して幸せになってはいけないのだわ! 幸せになってほしいけれど、幸せになった瞬間から彼女らは私の愛した美しさを失うのだわ!
そんなジレンマの中にこそ、幼馴染の素晴らしさは、負けヒロインの愛おしさは存在する!」
だから、永遠はこう言いたい。
「もしも私たちのこの現実を!物語として楽しむ読者がいるのなら、私を愛しなさい! 私こそが、誰からも愛される最高の負けヒロインなのだから!
私は一生、幼馴染として、負けヒロインとして、彼を愛し続けながら孤高の道を歩む! それこそが、私の人生! 私の美学! ねぇ、最高でしょう!?」
全てを曝け出すと、永遠は息を切らして脱力した。
こんなにも自分の感情を、エゴを言葉にしたのは生まれて初めてのことだ。
不思議な達成感のようなものが、胸の奥底を満たした。
次第に夕日は姿を消して、空には夜が顔を見せる。
一番星、ひとつ。キラキラと、輝く。
そんなものは自分にとって最も相応しくないものだと、永遠は自虐して笑んだ。
彼方はそんな永遠を横目に見つつ、こんな話が聞きたかったわけではないんだけどなと頭を掻く。
「…………負けヒロインは、報われないからこそ美しい、か」
そして沈黙を漂うように、低い声を漏らす。
「わかるよ」
それは小さな、一瞬の肯定。
誰にも求めていなかった問いに対するアンサーを、彼方は編んでいく。
「だけど、それでも俺は、負けヒロインにも幸せになってほしいと思うけどな」
「はっ」
彼方の導いた結論を、永遠は鼻で笑った。
「あんたこそバカね。バカアホカスマヌケのヘンタイだわ」
「ヘンタイは違うだろ」
「濡れっ濡れの美少女の隣で芳しい香りを堪能しているでしょ」
「してねぇ……」
永遠に彼方の言葉は響かない。
「私はこの報われない人生を
腐れ縁でしかない男の言葉に耳を貸す必要など断じてない。
「だって私という負けヒロインにとってそれは、幸せなのだから」
「…………泣いてるくせに」
指摘されて、はたと気づく。
永遠の瞳からは涙が流れ続けていた。
彼を見送ったあの後から、ずっと。
それに気づいた時、かつてないほどに胸が痛んで、死んでしまうかと思った。
「っ、うっさいわね! その痛みも、私は愛しているの! だから放っておいて!」
吐き捨てるように叫ぶと、立ち上がって駆け出した。
河川敷にはひとり、彼方が残される。
「負けヒロイン、ねぇ」
これは、主人公とメインヒロインが物語を終えた後の物語。
そこには新たな主人公が、ヒロインが、誕生するのだろうか。
「わかる。わかるさ。それでも、認めてたまるかよ」
物語の陰でしかなかった少年は、苦虫を噛み潰したように呟いた。
負けヒロインをハッピーエンドに導くためには一体、どんな物語が必要なのだろうか——。
幼馴染は''負けヒロイン''を愛している。 ゆきゆめ @mochizuki_3314
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