八話

 スヴェンと共に会議室に入ると、座っていた者達が一斉に立ち上がり、私に注目する。その視線を横目に私は一番奥の席へ向かい、皆を見回した。


「全員、揃っていますね」


 大きな正方形の机には、将軍、上級武官数人にイーロ、そしてスヴェンが着き、頭を下げる。それを見て私は椅子に座り、続いて皆も席に着いた。


「お体のほうは、もうご回復なされたのですか?」


 将軍ジェンセンが心配の眼差しを向けて聞いてきた。それに私は頷く。


「ええ。しっかり休ませてもらって、もう大丈夫よ。いつでも戦いに出られるわ。……皆には心配をかけてしまって、申し訳なかったわね」


 私の体調に問題がないことに、将軍や武官たちは安堵の笑みを浮かべた。二日も休ませられれば、体力が回復するどころか有り余ってしまうほどだ。私は一日休めば十分だと言ったのに、過剰に心配するスヴェンが念のためもう一日休めと言ってきて、その強引さに押され、仕方なくさらに一日休むことになったのだ。おかげで隅々の疲労まで取れ、頭も冴えた状態だ。


「では、まずは陛下に、さらわれたご状況からお話し願います」


 スヴェンに促され、私は戦場でのことを思い出しながら口を開いた。


「あの時の獣人達の動きは、最初からおかしかったわ。草原の中に留まり、軍と長いこと対峙する形を取っていた。だから私はやつらがおとりなのではと考えたの」


「おとりとは?」


 ジェンセンが聞いてきた。


「城のある中央から兵の数を、あるいはルギル隊を東領へ引き止める……それがやつらのたくらみだと思い、私は戦いを急ぐことにしたの。でなければ中央を別の獣人達が襲撃するかもしれないと思って……」


「しかし、こちらは至って平穏でした」


 スヴェンが静かに言う。それに私は小さく頷いた。


「そうだったようね。つまり獣人達はおとりでも何でもなかった。私が深読みし過ぎただけ……そうとは知らず、私はルギル隊と共に切り込んで行ったわ。けれどそこで見た獣人も普段とは違う動きを見せていたわ」


「具体的には?」


「個人では戦わず、集団を作っていた」


 これにジェンセンは小首をかしげる。


「ふむ、それは確かに見ない行動ですな。戦いになると獣人どもは仲間など気にせず、好き勝手に暴れるのが常です」


「もう一つは、戦わずに逃げたのです。私を明らかに認識しながら」


「それもまた不可解ですな。手負いでなければ怯まず襲いかかって来るのがこれまでの獣人の行動のはず……」


 そう。私もその頭でいたから、おかしいとは感じた。しかし――


「私はやつらがおとりだと考えていたから、逃げるのもそのうちだと思い、警戒もせず後を追ってしまったの……これが間違いだった」


 今思えば、おごりもあったのだろう。ルギル兵に注意を促されたのに、私は慎重に動こうとしなかった。


「知らぬ間に周囲を囲まれてしまい、ルギル隊とも切り離され、私は孤立させられたの」


「俺が逃げる隙を作ってやろうとしたんだけどな」


 残念そうに言ったイーロをジェンセンは見る。


「イーロ殿は陛下と共にいたのか?」


「いたというか、後方にな」


「あなたが戦場へおもむくなど、珍しいことのように思うが」


「まあ、あの日は特別だ。獣人族が変な動きを見せてるっていうから、長への報告のためにも一応見ておくべきかと思ってさ」


「イーロは戦闘に加わるつもりなどなかった。それなのに窮地の私を見つけ、助けようとしてくれたわ。改めて礼を言います」


 私と目が合うと、イーロはばつが悪そうに顔をそらせた。


「結局、助けることは出来なかったんだ。礼を言われる理由はない」


「そんなことはない。自らの危険を承知で陛下をお救いしようとした心は立派なものだ。十分な理由と言えるだろう」


 スヴェンに褒められ、イーロは少し照れたように銀の頭をかいた。


「俺のことはどうだっていい……話、進めてくれ」


 イーロがひらひらと振った手に私は笑みを返し、続けた。


「抵抗むなしく、私は獣人に捕らわれてしまった……手足を縛られ、目隠しもされ、その状態で担がれて運ばれたわ」


「縛り、目隠しですか……用意周到のようにも感じますな」


「同感だ。獣人は初めから陛下を捕らえるつもりだったのかもしれない。だからわざわざ孤立させ、確実に捕らえられる状況を作ったのだろう。……陛下はいかがお考えですか?」


 スヴェンの視線に問われ、私は考える。


「言われれば確かに、縛る紐と目隠しを用意しているなんて、そんなことを計画しなければ持ち歩かない物でしょうね。しかし、本当に私が目的だったのかしら。ただ捕らえやすそうな人間の女を見つけただけとも……」


「それはどうでしょう。陛下はルギルを所持なさっていた。捕らえやすさを重視するのなら一般の兵士を選ぶはずです」


 この謎は洞窟内でも考えたことだ。なぜ私だったのか……。


「となると、やはり陛下が目的だったと言える、のだろうか」


 ジェンセンが宙を睨みながら言った。


「……私ではなく、ルギルが目的だったということはない? 捕らわれた時、ルギルを奪われたのだけれど――」


「何だと! 獣人に奪われてたのか?」


 驚いた声で急にイーロが言った。


「そ、そうよ。まだ言ってなかったわね」


「なるほど。その時に石は壊されたのか……でもよく奪い返せたな」


「偶然よ。逃げ出す時に見つけたの。運がよかったわ」


「じゃあ偶然見つけなければ、ルギルはあいつらの家の中に置き去りだったってことか?」


「そうなるわね……」


 そう言うとイーロは机に両手を置き、大げさなほどの溜息を吐いた。


「はああ……何て危ないことをしたんだよ、まったく。あいつらが武器として振り回したらどうなってたことか」


「ルギルは陛下の元に戻ったのだ。そのような話をすることに意味はない。……話を戻しましょう」


 スヴェンの視線にジェンセンが軽く頷き、口を開いた。


「ルギルが目的だったかどうか、だな。私は違うと思う。そうだとしたらルギル兵も目標になるはずだろう。だが報告では、獣人に囲まれはしたものの、捕らわれそうになった者はいなかったと聞いている。そうだな?」


 ジェンセンは隣に座る武官に聞き、その武官ははっきりはいと答えた。


「他のルギルも奪われてはいない……これらの状況を考えると、やはり陛下の御身が目的だったと思われますね。ルギルを奪ったのは、単なる凶器だったからでしょう」


 私をさらうのが目的だったとしたら、つまり獣人族は――


「私が、王国の王だと知って捕らえたのでしょうか……?」


 これにジェンセンとスヴェンは難しい表情を作った。


「それは、何とも……」


「獣人族がそれを知ることが出来るのかどうか……我々には調べようがありません。しかし、陛下は獣人の襲撃現場には必ず向かい、撃退しております。ルギル隊を指揮するお姿から、王とは思わなくとも、重要な人物と認識されている可能性はあるでしょう。いずれにせよ、陛下は意図して狙われたと言えそうですね」


「そうなるのかしら……。だとして、私を捕らえた理由は何?」


「こちらの士気の低下、もしくは戦力の低下……」


 ジェンセンの言葉にスヴェンは眉をひそめる。


「士気はともかく、戦力の低下ではないだろう。それを狙うのならルギル隊ごとどうにかするはずだ」


「けれど、士気の低下を狙うのならば、わざわざさらう必要はないわ。その場で首を切り落とし、見せつければいいのだから」


「それも、そうですね……」


 スヴェンはうつむき、考え込んでしまった。


「獣人どもは陛下を重要な人物として捕らえた……それはわかりました。ですが、なぜ殺さずに捕らえたのか、その辺りがわかりませんな」


 それは私もわからず、知りたいことだ。


「さらわれた先の洞窟で、私は処刑でもされるものと思っていたのだけれど、料理を出されたことで、まだその気はないのだとわかりました」


 これにジェンセンは瞠目した。


「料理ですと? ではあやつらに陛下のお命を奪う気などなく――」


「そうとは言い切れない。当面奪う気はなくとも、いずれはそうするつもりだったのかもしれない」


「仮に私を殺すつもりだったとして、ではなぜすぐにそうしなかったのか……すぐには殺せない、殺したくない理由があったのかしら」


「当然あったのでしょう。ですが、それは獣人族にたずね、知るしかありません。……陛下、捕らわれている間に見聞きしたことをお話しくださいませんか。獣人族の意図の手掛かりを得られるかもしれません」


 私はスヴェンに頷いた。


「……入れられたのは、牢のような部屋だったわ。木組みの格子扉があって、そこから外の通路だけを見ることが出来たの。けれど、獣人はほとんど通ることはなかった。遠くから声が聞こえるくらいで……」


「では、部屋を訪れたのは料理を運んだ獣人だけだったのですか?」


「ええ。部屋まで入って来たのはね……一度だけ、扉越しに獣人が集まっていることがあったわ。何か怒鳴りながら、力尽くで扉を開けようとしていたの」


「陛下に危害を加えようとしていたのですか?」


 ジェンセンは険しい表情を浮かべて聞いてきた。


「わからないけれど、私を見る目は穏やかとは言い難かったことは間違いないわ。止める者がいなければ扉を壊して襲って来たでしょうね」


「……止める者? 誰がそれを止めたのですか?」


「もちろん別の獣人よ。怒鳴る者達をなだめ、引き返させていったの」


 スヴェンは首をかしげ、私を見た。


「それはどういう状況と受け取れば……些細な喧嘩だったのでしょうか」


「私がそこで感じたのは、獣人族の中で二つの考えがあるということよ。一つは普段の襲撃のように、人間を見たら殺してしまえという考え。もう一つは私を捕らえたように、すぐには殺さず生かしておく考え。どうやら獣人はその二つの考え方で割れているようだった」


 思い返せば、森の中を逃げている時も、不自然な行動を取る獣人がいた。仲間の武器を押さえたり、私への攻撃をかばってくれたり……。あの時の追っ手は私を仕留めたい獣人と、生かして捕らえたい獣人とが混ざっていたのだろう。


「獣人族の中で、人間に対する意見の相違があるとは、思わぬ驚きですな」


 ジェンセンの言う通りだ。獣人族は私達人間を見れば問答無用で仕留めにかかってくる種族だと思っていた。そうではない考えを持つ獣人がいることは新しい発見で驚きでもある。しかし私はこれ以上に驚いたことに遭遇している。


「ところでスヴェン、私が頼んだことは調べ終えたのかしら?」


「はい。ただちに調べさせ、すでに報告を受けております」


 強引に休ませられ、暇を持て余していた私は、この日のために前もって行方不明者の情報を調べさせていたのだが、やはりスヴェンは仕事が早い。


「何のお話ですか?」


 怪訝そうなジェンセンに私は言った。


「実は、洞窟から逃げ出す直前、私は人間の男性と会ったの」


 これにジェンセンは驚きを隠さずに口を開けた。


「人間ですと! まさか、陛下以外にもさらわれた者がいたのですか?」


「それは、わかりません。ですが私が思うに、あの男性はさらわれたようには感じなかったわ」


「しかし、獣人族の拠点にいるなど、さらわれたとしか考えられないのでは?」


「スヴェンには少し話したけれど、あの男性は部屋に閉じ込められることもなく、通路を普通に歩いていたの。さらってきた人間ならば、そんな自由は与えないはずでしょう?」


「どういうことですか? わけがわかりませんな……」


「私もよ。だからとりあえずあの男性が何者か、素性を知るためにスヴェンに行方不明者の情報を調べてもらっていたのよ」


 視線で促すと、スヴェンは軽く頷いてから手元の資料に目を落とした。


「陛下がお求めになった情報は、五十代から六十代の、細身で中背、白髪、黒い瞳の男性ということでしたが……当てはまる人物はおりませんでした」


 そんな行方不明者はいない――判明するかと期待していただけに、少しがっかりした気分だ。


「念のため、年齢の幅を広げて調べさせもしましたが、残念ながらそちらでもおりませんでした。そもそも高齢男性の行方不明者自体が少なく、実際にあっても、数日後には遺体が見つかるなどしているようです」


「けれど、人間である以上、王国国民には違いないはず。海の外から船が着いたなんて話は聞いていないし……」


 我がフレンニング王国の祖先は海の外から来た者だが、その理由は元の国から追い出されたからだと伝わっている。そうして海の上を長いこと放浪し、この大陸を見つけて王国を築き上げたわけだが、私達は貿易というものは行っていない。周囲を探る限り、他の陸地や国が見当たらないのもあるが、もし祖先の国を見つけたとしても、追い出された側としてはやりづらい心持でもあるし、相手が私達を知ってどう感じ、動くかもわからない。だから王国は海洋に出ることはあまり積極的ではなかった経緯がある。なので外から他国の人間がやって来ることもないのだ。


「陛下は、その者と何か話されたのですか?」


 ジェンセンが聞いてきた。


「ええ。何しろ逃げている最中だったから、ほんの短い時間だったけれど」


「それで、何と?」


 私の脳裏に男性の拒む姿がよみがえる。


「……逃げましょうと言っても、逃げるつもりはない、と」


 聞いている皆の目が丸くなる。


「逃げようとしなかったのですか?」


「私が何度言っても拒むばかりで、男性に逃げる気持ちはまったくないようだったわ」


「どういうことなのでしょうな。逃げたくないというのは……」


「交わされたお言葉は、それだけですか?」


 スヴェンに聞かれ、私は思い返す。


「……獣人を恐れないで、話を聞いてほしい、とも」


 これにスヴェンとジェンセンの表情が鋭く変わった。


「襲われる側の人間でありながら、獣人を恐れるなとは……」


「どうも怪しい雰囲気がありますな」


「怪しいとは?」


「つまり、裏切りです」


 私は困惑した。


「待って。人間が獣人の仲間に入っていると言うの? そんなわけがないわ。この二種族は言葉が通じないのよ? たとえどちらかが仲間を求めたとしても、その前に警戒して殺されてしまうわよ」


「普通ならそうでしょう。ですが今回、獣人は普通でない動きを見せております。その最たるものが陛下です。お命を奪われず、捕らわれの身となられたこと……先ほど仰ったように、獣人族内で意見が二分しているのなら、人間を殺さない穏健派が存在するはずです。そういった獣人なら人間を引き入れようと考えてもおかしくはありません」


 すらすらと説明をするスヴェンに納得しそうにはなるが、それでも私はまだ腑に落ちなかった。


「けれど、意思疎通の出来ない人間をどうやって仲間にしたというの? 騙されるにしても、言葉が通じなければ無理でしょう」


「さらい、捕らえ、飼い馴らしたといったところか」


 ジェンセンがぼそりと言ったことにスヴェンは小さく頷く。


「おそらくは。……陛下を捕らえたのは、重要な人物と推測し、かつ仲間に引き入れ、得た情報で戦いを有利にするため。それが目的だったのではないでしょうか」


「何度も言っているけれど、情報を聞き出すには言葉が必要だわ。それが通じないのにどうやって――」


「言葉がなくとも、人間にも獣人にも同じ手があります。身振りで、あるいは絵を描くなど、伝える方法は他にもあります。言葉は必ずしも必要なものではないでしょう」


 そうかもしれないけれど、しかし――


「男性の発した一言で裏切り者だなんて、性急な判断ではない?」


「恐れながら陛下、今回の獣人らの一連の行動について、陛下も不可解とお思いのはずです」


「ええ、今までにない作戦だったから」


「その通りです。これまでの獣人の戦い方には何ら思考を感じさせませんでした。感情のままに暴れ、襲うだけ。ですが今回は完全に作戦が練られていました。そうとは知らず、こちらは普段通りに戦い、そして陛下はさらわれてしまったわけです」


 スヴェンは緑の瞳で私を見据えた。


「……では、そのような知恵が生まれたのはなぜでしょうか」


 はっとして私は緑の瞳を見つめ返した。


「あの男性の、入れ知恵だと……?」


 ジェンセンは大きく頷いた。


「私も同感です。そう考えるのが自然でしょうな」


 本当にそうなのだろうか。あの老人がすべてを計画し、私をさらわせたというの?


「そうだとすると、男性は私が王だということを知っていたかもしれない……」


「獣人が陛下を狙った理由もこれで付きます」


 けれど男性に話しかけた時、この作戦とは無関係のような言動をしていた。


『もしや……あなたは、先日捕らえたという、王国の……?』


 そう言ってうかがうように見てきたのだ。まるで誰かから聞いたような言い方……作戦を立てた張本人がこんな聞き方をしてくるだろうか。受け取る者によっては微妙かもしれないが、でも私の感覚には引っ掛かる。二人が疑うのと同じように、まだはっきりと疑えない……。


 ふと見ると、イーロは腕を組み、机の一点を見つめたまま石像のように止まっていた。そう言えば先ほどから何も発言していない。その表情は気難しそうに考えているようでもあるけれど……少し意見を聞いてみようか。


「イーロ、あなたはどう思うかしら」


 声をかけると、一瞬遅れてイーロの視線がこちらへ向いた。


「……あ、ああ、その人間のことか?」


「人間が獣人の仲間になるなんて、そんなことが起こると――」


「なあ、そいつから他にも何か言われたことはあるか」


「え、他に? ……」


 記憶をたどり、男性の言葉を探す――ああ、最後にこんなことを言っていたっけ。


「……私が逃げ出した後ろから、こう言われたわ。我々は敵じゃない、と」


「ふーん……」


 イーロは目を細めて宙を見つめる。


「これはどういう意味だと思うの?」


「意味も何も、敵じゃないなんて嘘に決まってるさ。ティラが逃げ出したから、咄嗟に言って引き止めようとしただけだろう」


「そんなところでしょうな。同じ人間が言うことで、陛下のお気を緩ませようと考えたのでしょう」


「どういう心境から獣人の側に移ったかは知れませんが、お話を聞く限り、作戦の背後にその者がいたことは濃厚と言えます。指示を出したのはその男かもしれません」


 私は三人を見渡した。


「……イーロも、二人と同じ意見なのね」


「ティラは違うのか? そんな人間、裏切り者以外の何者でもないと思うけどな」


 そう感じる自分もいるが、しかしもう半分、頷けない自分もいる。


「この中で男性の顔を見て、直接話したのは私だけよ。だから言葉だけでは伝わらない、微細なものも私は感じ取っているつもりよ」


「では陛下は、獣人の作戦にその男は関わっていないと?」


 スヴェンに聞かれ、私は思わず考え込んだ。


「そうは言わないけれど……でも断言出来るほどの疑いが持てないの」


「その理由をお聞かせ願いますか」


 理由――それがわかれば私も悩んだりはしないのだが……。


「何となく、としか言いようがないわ。男性を見て、その様子から、私をさらう指示を出したとは思いづらくて……」


 これにイーロは呆れたように息を吐いた。


「結局は、その人間は人柄がよさそうな印象だったってだけだろう」


「印象だけで言っているつもりはないわ」


「でも理由が何となくっていうのは、つまりそういうことじゃないか。同じ人間の裏切りを信じたくないのはわかるけど、女王なら現実を見るべきだ」


 私は自分の感覚を疑いそうになる。あの老人を裏切り者と言い切れないのは、私の見方がおかしいからなのだろうか。イーロの言う通り、信じたくないからそう感じているのか……? いや、そんなことはない。私はしっかり現実を見ている。あの老人の言動を見て、何か引っ掛かるものを感じたのだ。そこに余計な気持ちなどない。ないのだが……何に引っ掛かったのか、それがわからない。確かめようにも頭の中の記憶だけではどうしようもない――


「……もう一度、男性と接触出来ないかしら。そうすれば――」


「馬鹿なことを言うな!」


 大声を上げたイーロに、私も他の者達も思わず目を向けた。


「イーロ殿とはいえ、陛下へのお言葉は選んでいただきたいものだな」


 ジェンセンが冷静な視線と口調で言った。


「それは、悪かった……。でもあまりに馬鹿なことを言うから――」


「なぜそう思うの? 接触出来れば男性の素性もわかるかもしれないわ」


「そうですが、一体どのように接触なさると? また獣人族の洞窟へ入り込むおつもりですか? それは危険すぎます」


「そんなことはわかっているけれど、でも接触しないことには何も――」


「ならば、獣人族の拠点へ兵を向けるしかありませんな。陛下が身をもって明かされた洞窟の場所はわかっております。我々はただちにその準備を進められますが?」


「接触するには攻め入るのが確実な方法でしょう。あるいは見張りを置き、男が出て来るのを待つことも出来ますが、人間にそこまでの自由が与えられているかは疑問があります。長期間見張るよりは、獣人族との戦闘の間に接触するほうが確実と言えます。まあ、接触というより、捕らえると言ったほうが正しいのでしょうが」


「拠点へ攻め入るにはまだ早いわ。殲滅作戦はいつかやらなければならないとは思っているけれど、それは今の時点では――」


「俺は何度も言ってるだろう。戦争は長が望んでない。拠点へ兵を向けるのは駄目だ」


「イーロ殿、そちらの長がどう言われようと、我々は民を守るために獣人族を討たねばならないのだ。そのための戦い方に口を出されたくはない」


「悪いけど口は出すよ。獣人を討つための武器はこっちが用意してるんだからな」


「だから何だというのだ。羽人族がより多くの武器を我々に用意すれば、このような戦いはすぐにも終わらせられるのだぞ。そうしない長に戦い方を指示されるいわれはない」


 二人の言い合いにスヴェンは困り顔を浮かべる。


「話がずれ始めているようだ……陛下、どういたしますか?」


「大きくずれているわけではないわ。獣人族の殲滅作戦……これについてはいつか話し合いたいと思っていたことだし。皆の意見を聞かせてほしいわ。そして、実行可能かどうか」


「不可能だ。長は絶対に許さない」


 イーロの即答に私は苦笑いを浮かべるしかない。


「それならば、そのまま聞いていて。私達にとっては大事なことなの」


「ふん、無駄な時間だな」


 気だるそうに首を回すイーロを横目に、私達は殲滅作戦の実現性について話し合った。必要な兵数や武器、実行する時期、対する獣人族の戦闘能力や推定総数など、細かな情報から可能か否かを論議した。しかし獣人族の情報が少なすぎるのと、やはり切り札となるルギルの数の少なさが実現への気がかりを残した。それでも総力を上げれば決して出来ない作戦ではないが、こちらの被害を最小限にするためにはまだ情報不足であり、時期尚早という結論に至って話は終わった。殲滅作戦を行うには、まだ時間をかける必要がありそうだ。


「――それでは陛下、我々はこれにて失礼いたします」


 私が廊下へ出ると、後ろから来たジェンセンは一礼し、武官達と共に去って行った。


「私は残っている用事を済ませてまいりますので、陛下の元へは後ほどうかがいます」


 続いてスヴェンが出て来て言った。


「そう。では先に執務室へ戻っているわね」


「はい。失礼いたします」


 スヴェンも廊下の先へと消えて行った。それを見送りながら私は小さな溜息が漏れた。いろいろ話し合ったはいいけれど、何も進んだような気がしない。殲滅作戦は時間をかけるべきで焦ることはないが、洞窟で会ったあの老人に関しては、何も答えが定まっていない。皆は裏切り者と決めたようだが、確実なことではない。一体あの老人をどう考え、扱えばいいのか……。やはり私はあの時の言動が気になる。私がさらわれたことを知らなかったような言葉と表情。あれは気を許させるための演技だったと言うの? わからない……本当に裏切り者なのか……。それを確かめるにはもう一度接触するしか方法はないが――


「ティラ」


 不意に呼ばれ、振り返ったところにはイーロが立っていた。


「ああ、イーロ……」


 何か用かと聞こうとした時、イーロは詰め寄って来ると抑えた口調で言った。


「洞窟にいた人間、あれは獣人族に完全に寝返った裏切り者だ。会いに行こうだなんて危険な考えは絶対に起こすなよ」


 思わず私はイーロを見つめた。まるで私の心を読んだかのような念の押しよう……。


「……そんな危険なこと、出来るわけがないでしょう」


「わかってるならいいけど」


 口の端で笑うと、イーロはそのまま歩いて去って行く。……そんなに信用ならないのだろうか。老人も、私のことも。彼がここまで注意を促してくるのは初めてのことだ。一体なぜなのだろう。心配してくれているとも受け取れるが……素直にそう思えない私は、すでに純粋な気持ちを失ってしまったのかもしれない。

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