四話

 公務の合間を縫い、私はルギル専用保管室の扉を叩いた。


「……誰?」


 中からイーロの声が聞く。


「入るわよ」


 扉を開けると、部屋の中央にある机でくつろいだ様子でコップを傾けるイーロの姿が見えた。入って来た私を見て、イーロはすぐにコップを置く。


「珍しいな。出撃する時以外でここに来るなんて」


 獣人襲撃の知らせを受けると、私とルギル隊はここからルギルを持って行くため、この保管室には何度も入っているのだが、それとは関係なく別の用で訪れるのは、憶えている限りほんの数回しかないと思う。わざわざイーロを訪ねなくても、彼のほうから私を訪ねてくれるため、普段はここに来る必要がないのだ。


「休憩中だったかしら」


 私は机に近付き、コップの中をのぞいてみた。中には赤っぽいものが入っている。おそらくワインだろう。すぐ側には中身が少しだけ減った瓶が籠に入っている。


「さっき手入れを終えて、一息ついてるところだ。……これ、飲むか?」


 瓶のワインを示したイーロに、私は首を振って断った。


「遠慮するわ。この後も公務が待っているから」


「ふーん、忙しいことだな」


 両手を頭の後ろで組むと、イーロは椅子の背もたれに身を預けた。それを横目に、私は部屋内を見回して聞いた。


「ルギルの手入れというのは、時間がかかるものなの?」


 壁際には十本のルギルが整然と並べ置かれている。どれも汚れ一つなく、美しく輝いている。


「そうだな。大体一時間くらいで終わることが多いけど、状態によっては二時間とか、それ以上かかる場合もあるかな……そんなこと聞いて、俺を労ってでもくれるのか?」


「あなたにはいつも感謝しているわ」


 イーロは、ふっと笑った。


「でもそれを言いに来たわけじゃないんだろう? また何か頼みごとか?」


 さすがにイーロも何か察しないことはないか――私は彼の紫の瞳を見つめ、言った。


「無理を承知で……とりあえず意見だけを聞かせてほしいのだけれど、もしルギルの何本かを西領へ貸したいと言ったら、あなたはどうする?」


 これにイーロは考える表情でこちらを見てくる。


「……西の領主からそんな頼まれごとをされたのか」


「正しくは領主ではないけれど……それでどうなの?」


「論外だ」


 思った通り、即答だった。


「……なぜ?」


「ルギルは俺達のものだ。それを人間に貸し与えてる。借りてる身の人間側がルギルをどうこうする権限はない」


 何だか鼻に付く言い方だが、それはわかっていることだ。


「長に頼んだら、許可はしてくれない?」


「多分な」


「それはなぜ?」


「国王を死なせて、無駄な混乱を生みたくないから」


 羽人族の考えも、こちらの考えとほぼ同じと言っていい。ルギルの数が減れば、王の危険が増す。羽人族にとっても、王国内の混乱は望ましくないということだろう。


「これは城内の人間達と同じ意見だと思うけど、違うのか?」


「違わないわ。皆同じように言うでしょうね」


 聞いて回ったわけではないが、王を守るための長年の暗黙がここにはある。大半の者は反対することだろう。だがこれは初めから諦めていたことだ。前向きな答えが返って来るなど、はなから期待していない。私が協力を願いたいのはもう一つのことだ。


「……イーロ、この話からもわかると思うけれど、今王国領内のあちこちで獣人の襲撃が頻発しているわ」


「ああ。でもだからってルギルを貸すのを――」


「わかっている。それはもういいわ。もう一つ、聞いてもらいたいことがあるの」


 イーロは腕を組むと、座り直してこちらを見る。


「もう一つ? 無理な要求は勘弁してくれよ」


「無理な要求かどうかはそちら次第よ。……私達人間は長年、獣人族からあなた達を守るために、犠牲を伴いながら戦ってきたわ。それが建国時の約束だったから。今もそれに従い、兵達は戦い続けている。けれど襲撃が増えて、被害や死傷者も増えて、皆疲れを見せ始めているわ。私は女王として、この長年続く状況をどうにかしたいと思うの」


「どうにかって?」


 首をかしげたイーロを私は見据えた。


「出来ることなら、終わらせたいと思っているわ」


「何を終わらせるの?」


「獣人族との戦いをよ」


 これにイーロは一瞬押し黙った。


「……それ、真面目な話か? それとも――」


「一応真面目よ。実現出来るかは未知数だけれど」


 イーロはうつむき、しばし考え込んだ。


「……方法は?」


「獣人族の正確な拠点を突き止めて、そこを一網打尽に――最終的には、殲滅させる」


「殲滅?」


 顔を上げたイーロは、その表情をしかめた。


「つまり、獣人族と戦争を起こそうっていうのか?」


「そういうことになるわね。今も小規模な戦争が起こっているようなものだし――」


「反対だ」


 イーロは強くはっきりと言った。


「なぜ? 私達では勝てないとでも?」


「……それも、あるかもな」


「だとしたら、それはあなた達が非協力的だからよ。たった十本のルギルで、私達が獣人を退け続けているのを見ているはずよ。そのルギルがもっと増えれば、獣人族を殲滅することだって可能になるわ」


「やっぱり、その話になるのか……」


 イーロはあからさまに面倒そうな顔を浮かべる。


「よく考えてみて。私達は犠牲者を出す戦いを早く終わらせたいの。羽人族だって、獣人族という脅威を早くなくしたいのでしょう? 殲滅作戦は互いの思惑に合致することだわ」


「そんな大規模なことをする必要なんてない。今のままで上手くいってるし、十分だろう?」


「イーロ、私の話を聞いていなかったの? こちらは戦いで被害を受け、犠牲者を出しているのよ。その状況を終わらせたいと言っているの。十分と思っているのは、何もしてくれないあなた達だけよ」


 強めに言った私の言葉に、イーロは不満そうな目を向けてきた。


「何もしないって何だよ。こっちはルギルを渡して、手入れだってしてるだろう」


「それでは不十分だと、私は再三言ってきたわ。こちらの被害を抑えるために、さらにルギルを譲ってほしいと。けれど長は何もしてはくれないじゃない。私達が戦うのを見ているだけで」


「それが約束だ」


「いいえ。こちらが羽人族を守ると同時に、あなた達は国作りに協力をする約束よ」


「そうだ。だからフレンニング王国は出来た。でもここまで大きくなった国に俺達なんて、もう大した役に立てない。自力で何でも出来る力があるんだし」


「それでも協力を必要とすることが、獣人族との戦いなの。……羽人族は、私達人間をいつまで戦わせるつもりなの? 王国の陰で、ずっと獣人族に怯えていたいというの? そうではないでしょう」


 イーロは間を置き、難しい表情を浮かべる。


「でも長には、これ以上ルギルを渡す気はない」


「ならば伝えてちょうだい。私は戦いを終わらせたいのだと。そのためにルギルが必要だと」


「伝えても、同じことの繰り返しだ」


「同じではないわ。今回は羽人族にも利がある話よ。脅威を殲滅するのだから」


「無理だ」


 まるで伝える気のないイーロに、私は思わず苛立って言った。


「無理だろうと何だろうと、あなたは伝えてくれればいいのよ。私には終わらせるための覚悟もあるわ」


「長は戦争なんて望まない。だからそれに手を貸すこともない」


 その言葉に私は呆れた。


「何も感じられない綺麗事ね。私達に獣人を殺させておいて、戦争は望まないなど」


「俺達の腕力じゃルギルを扱えないんだ。人間に守ってもらうしかないだろう」


「戦争もあなた達を守るために行うことよ。そしてそれが、私達の最後の戦いにもなるの。そこで血を流すのは人間だけ。羽人族には何ら危険は及ばないわ。拒む理由などないはずでしょう」


「……もし人間側が負けたらどうする。やつらは王国を越えて、俺達の元まで来るかもしれない」


「負け戦とわかって挑むような愚かな真似などしないわ。勝算があるからこそ戦いは挑むものよ。その準備もなしに戦争など仕掛けられない。その勝利を確実なものにするには、ルギルが絶対不可欠よ。ルギルがなければ勝利はあり得ないわ。だから長に説明してちょうだい。私には脅威をなくし、戦いを終わらせる考えがあると」


 しばし迷うような素振りを見せて、イーロはこちらを見た。


「……ティラ、悪いけど伝えたって無意味だ。長にはルギルについて何度も聞いてるし、戦争の案を伝えて気が変わるとも思えない。長は現状に満足してるんだ」


「勝手に満足しないで。こちらが日々戦っていることを忘れでもしたの? 思い遣る心があれば、耳を貸さないなんてことはないはずよ。イーロ、お願いだから伝えて」


 私が見つめると、イーロは目を伏せた。


「その方法は考え直したほうがいい。長には通じないよ」


「なぜあなたが、わかったふうな――」


 感情のままに怒鳴りそうになったが、その募った苛立ちが言葉を押し止めた。まるでらちが明かない。聞いてはくれても、無理だ、同じだばかり。伝える気は微塵もなさそうだ。イーロだけが長とのつながりだというのに、その役目を果たしてくれないのでは対話を拒否しているも同然だ。もう我慢ならない……。


「……わかったわ。ならば私が聞きに行く」


 踵を返そうとすると、イーロは跳ねるように椅子から立ち上がった。


「なっ、何言ってんだよ! そんなこと――」


「あなたでは話にならないようだから、直接伝えに行くしかないでしょう」


「ルカトゥナには人間は立ち入れない決まりだ」


「では私の話を伝えてくれるというの?」


 これにイーロは何かを言おうとするも、言葉が上手く出ないようだった。


「その気がないのなら、やはり直接伝えに行くしかないわね」


「ま、間違えるな。俺は伝えたくないなんて一言も言ってない」


「けれどその気がないのは、それと同じことではないの?」


「違う。そこまで言うなら伝えたっていいさ。それが俺の役目でもあるしな」


 私は溜息を吐いた。


「自覚をしているのなら、私をこんなに苛立たせないでほしいわ」


「俺が止めてるのは、結果がすでに見えてるからだ。長はこんな話、絶対に受け入れない」


「時間の無駄だと言うわけ? なぜあなたが言い切れるの?」


「同じ羽人族だし、長の考えは理解してる」


 私は再び溜息を吐くしかなかった。


「……やはり話にならないわね。もういいわ。あなたには頼まない」


 私が扉へ向かおうとすると、後ろからイーロが腕をつかみ、止めた。


「おい、どこ行くんだ」


 つかまれた腕を振り払って私は言った。


「仕事を放棄したあなたの代わりを探して、伝えに行ってもらうのよ」


「王国に羽人族は俺しかいない」


「ええ。だから交渉の出来る者に頼むわ」


 今度はイーロが苛立った表情を見せた。


「ルカトゥナに入れない人間が、交渉なんか出来るわけないだろう」


「入れないのではないわ。あなた達が入れさせないのでしょう? それを許せば交渉は出来るわ」


「人間は俺達の領内には入れない。それが昔からの決まりだ。最近も人間がこそこそ入ろうとしてきて、見張りが追い返したって聞いてる。国王なら最低限の決まりは守らせてくれ」


「それは悪かったわね。代わりに謝っておくわ。けれど羽人族はあまりに閉鎖的すぎるわよ。話には上がっても、私は長の顔を一度だって拝見したことはないし、協力関係であるのに、私達の立ち入りを拒み続けているわ。これでも本当に信用できる相手だと言える?」


 イーロの目がじろりとこちらを見た。


「俺達を、疑ってるのか?」


「疑うとかそういうことではなくて、長の判断に王国が従うしかないような今の形は、果たして対等で健全な関係なのかという疑問よ」


「俺達はルギルを渡して守ってもらい、人間はそれで戦って俺達を守ってくれてる。そう約束した以上、対等だ」


「膝を突き合わせて話し合うことも出来ないのに、昔に交わした約束だけでなぜ対等だと言えるの? イーロ、現在の状況を見て。獣人による被害は各地で増えているわ。戦うしかない私達は助けを求めているの。対等だと言うのなら、なぜ長は聞き入れず、傍観しているの?」


 眉をひそめ、私から視線を外すと、イーロは小さな声で言った。


「それは……長は、問題ないと考えて――」


「自分達さえ安全であれば、私達人間が苦しもうと関係はないと?」


「そんなこと言ってないだろう。俺だって、人間の状況は理解してるし、ティラの気持ちもわかってるよ」


「ならばなぜ長は――」


「俺にはどうしようもないことなんだよ。すべて歴代の長が決めた方針だから……」


「方針? それはどういう――」


 聞こうとした時、背後の扉が勢いよく開く音がして、私は振り返った。


「ああ、やっといたか」


 そこにいたのはスヴェンで、走ってでも来たのか、少し呼吸が弾んでいた。


「声もかけずに、いきなり開けて一体――」


「君をあちこち捜し回っていたんだよ。……援軍要請を受けた。東領ゲルズからだ」


「援軍要請? 何が起きているの?」


「獣人の集団が襲ってきたらしい。だがその数が普段より多く、不自然な動きもあってか、手こずっているようだ」


「不自然な動きとは?」


「一度は交戦したが、獣人はすぐに退き、そこから動かなくなったそうだ」


「確かに、おかしな動きね……」


 獣人族の戦い方は大体が単純だ。力任せに武器を振るい、突撃してくるのが常で、戦法と呼べるようなことはしてこない。だが今回は逃げも戦いもせず、留まっている。何かそうしなければいけない理由があるのか、それとも獣人族も頭を使い始めたのか……。


「数が多い上に、動きを警戒してこう着状態になったため、こちらに要請してきたのだと思う。兵を集めてすぐに向かうかい?」


「当然よ。見捨てるわけにはいかないもの。すぐに準備をするわ」


 私は振り返り、イーロを見た。


「……今は忙しいから、話はまた次の機会に」


 私はスヴェンと共に部屋を出ようとした。


「待った」


 声に足を止めると、イーロはこちらに歩み寄り、言った。


「俺も行くよ」


 これに私とスヴェンは目を丸くした。


「……何を言っているの? これから行くのは戦場よ?」


「イーロ、君が行っても特に出来ることはないと思うが」


「わかってるよ。戦力になろうってことじゃない。ただ獣人の怪しい動きをこの目で見ておきたいだけだ。羽人族の代表としてな」


 普段の戦いではルギル以外に興味を示したことなどまったくないのに、今回はどういうつもりなのか……まあ、そんなことを問う時間はないが。


「付いて来ても構わないけれど、あなたを守るための兵は割けないわよ」


「安全な後方から眺めるだけだ。心配いらない」


 イーロは軽く微笑んだ。


「それならいいわ……では行きましょう」


 準備のため、私は足早に部屋を出た。

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