第4話 城砦

 同じ新宿区の市ヶ谷に防衛省庁舎がある。20世紀末に作られた庁舎はすっかり解体され、今はさらに高い建物になっていて、頂部にはヘリポートではなく大型の飛行盤が設置され、ヘリだけでなくさまざまなVTOL機が発着可能になっている。


 風はウインドランサーの姿勢を整えながら、着陸に備えた。すぐに飛行盤の管制塔から誰何の発光信号が送られてくる。それに彼女は着陸灯を明滅させて答える。事前に決めてあったやりとりなのでウェブ接続やクラウド接続がなくてもスタンドアローンかつ記憶に頼った対応でなんとかなる。


 こういう緊急事態のためだとは理解していたが、これを教わったときに「まさか、ね」と思っていた。しかしその悪夢は現実になってしまっていた。近くの高層建築の病院も不気味に静まり返っている。救急車が必死に在宅の患者の対応に出ているサイレンの音が悲鳴に聞こえた。


 こうしている間も大規模ネットワーク攻撃によって命が失われている。2050年の現代は人権について多くの配慮を常識とした進歩した進歩した社会のはずだった。障害者を障がい者と害の字を禁じたり、いくつあるかわからないほどの性少数者への呼び名の乱立など、配慮に配慮を重ねてきた。

 しかしそれらは結局言葉遊びだったのだなと思わされる。言葉だけ禁じてもこんなに人権どころか人命の価値が安い脆弱な社会になっていたのだ。


 風は口を引き結び、操縦桿を操作して降下を続けていく。

 ILS-Xのような進んだ着陸誘導システムもない。完全にむき出しの有視界飛行による着陸である。市ヶ谷防衛省庁舎頂部の飛行盤は空母のような形に出来ているが大きさはそれより遥かに小さく狭い。

 オーバーランすれば、そのまま新宿摩天楼のはるか底へ落ちてしまう。


 意味的には空母への着艦とほぼ同じだし、今の空母の着艦支援システムの支援もない。もはやWW2以前の空母着艦みたいなもので、普通のパイロットなら当然無理と尻込みする難易度の着陸である。


 だが風は怖気づかなかった。彼女にはオリンピック選手としての自信がある。こんな着陸で怖気づくなら、世界の操縦の強豪と競い合ってのメダルなどありえない。日頃の鍛錬で身につけた技量は嘘をつかないし、乗っている機体も、そのための十分な性能を持っている。それを強く信じているのだ。


 そう、信じなきゃ、こんな状況にとても耐えられない。


 東京湾から風が吹いている。それに合わせた修正舵を切り、そのまま舞い降りていって、飛行盤に着陸脚が降りた。そのショックの中、エアブレーキとリバーサーを作動させ舵を目一杯下降に切り、機体を着陸盤に押し付けて止める。


 すぐに地上クルーが駆け寄り、機体に牽引車の牽引桿をとりつけ、牽引して駐機スペースに牽引する。


 その途中で風がメインスラスターを停止させキャノピーを開けた。空気がこの大規模ネットワーク障害という壮絶な悲劇でひりつくような寒さに感じられた。そしてその風の視線の先には、この着陸盤と防衛省市ヶ谷地区を守るための自動近接機銃が見えた。隠顕式のそれがいくつも露出して稼働状態になっているその姿は、この防衛省庁舎がかつてのドイツなどにあった高射砲塔、フラックタワーのようになっていることを示していた。まさに未曾有の危機に際しての最後の守り、城砦である。


 グレーの迷彩服を着た自衛隊の女性係官がやってきて、ウインドランサーからおりる風を呼んだ。ショートの髪に整った顔が険しくこわばっている。


「この困難な中、よく来てくれました。貴重な戦力、感謝します」


 風は頷いた。


「先程、内閣危機管理監から緊急事態条項の発令がありました」

「遅すぎませんか」

「残念ながら敵は早すぎ、我々は文書主義でどうしても遅くなります」

 風はため息を付いた。


「この事態に緊急防衛令が適用されます。あなたはこの事態に自衛隊の指揮の下に入ることになりました。指揮のためにあなたに階級が適用されます。階級は「特尉」。1尉より上で3佐の下になります」


「私、自衛隊員になるの?」


「本来規定の年齢的にあなたは自衛隊員になれませんが、緊急時ですのでご協力をお願いします。よろしく。羽葉特尉」


「もちろん、拒否はしないけど……でも指揮は誰が」


「航空幕僚長直属の防衛協力飛行隊が組織されます。詳しくは下に降りてご説明します」


 まだ飛行盤の上を歩いていた。周りでは慌ただしく他のNWネットワークウイングスの着陸の準備が進められている。でも風のような度胸満点の無支援での着陸に挑むものは少ないのか、そもそも発進することすらできないのか、なかなか他の機が来ない。ゲームのようにはいかないのはわかるが、心細いことこの上なかった。


 だがその時、甲高いスラスターの音が駆け抜けた。


 恋だ! 恋の機だ! 赤のカラーリングがある見慣れたNWの機体が国立競技場上空でトラックパターンを描いて飛翔している。この飛行盤への着陸の準備を整えているのだろう。


 風は思わず声をかけようと思ったが、通信システムは遮断されていることを思い出した。それで風の顔が曇るが、恋は着陸合図を発光信号で送ってきた。


 着陸コースに入ってる! さすが!


 そうみたが、その時、翼の揺れが見えた。乱流だ!


 軽いNWは強く煽られる。NWはもともとドローン技術の上につくられた簡易で軽い機体に高密度エネルギーのバッテリーとスラスターを搭載している軽戦闘機なので、乱流に入ると安定が難しい。まして今はシステムの支援が得られない。そんな状態の着陸、というより実質着艦のような操作は、もちろん難易度が高い。


 だいじょうぶ、落ち着いてやれば……いや! 低い!


「上げて! もっと上げ舵!」

 思わず風は声を上げる。

「低い! まずいぞ!」

 クルーたちも思わず叫ぶが、聞こえるわけがない。


 ああ、だめだ! 飛行盤の縁に激突だ!


 だがその時、ふうっと機体が浮かびあがった。そして踏ん張るように降ろされた着陸脚が飛行盤を捉えた。そして用意された非常着陸バリアの手前で恋の機体は止まった。


「危なっかしい!」


 風はそう叫んだが、いつのまにか涙していた。


「これ、私の平常運転なんだけどなー」

 恋はまったく意に介さずにキャノピーを開けて答えた。長い髪が風に流されて舞う。こういうマイペースが恋のいつもではある。


「これで2機か」

 係官が声にした。

「ほかには……ほかは、ないのね」

 そのすっかり追い詰まった現実が、風にも恋にもずしりと響いた。

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