第2話 乱流

 風はいつものように目を覚ました。父を祝うはずなのに眠っていた自分が少しイヤだったが、父も約束したのにあんな深夜まで仕事で帰ってこないなんてひどい。いくらステキな仕事だといっても限度がある。風はだんだんそう腹が立ってきた。


 それでも学校の勉強がある。今日はリモートの授業なので登下校の手間と時間はない。そしてVRでみんなと同じ教室に入って冗談を言い合ったりじゃれたりできる。でもVRではない教室での授業もしたいのは本心だった。だがあの忌まわしいコロナウイルスのパンデミック以来、VRの発展と共にリアルでの直接接触は削られ、風の属する学校も全生徒を現実に受け入れるだけの数と広さの教室を持っていない。たまにイベントごとで集まるとしても、それは学級ごとに時間差で交代して集まるしかない。

 学校供与のタブレットをオンにし、オンラインで出席を登録する。

「風ちゃん!」

 さっそく同級生がメッセージしてくるが、その様子がおかしい。

「あなたのお父さん、大変じゃない!」

「え、何のこと?」

 風は理解できなかったが、同級生が見せたネットニュースには、『羽葉健太氏、行方不明か』とあった。

 風は驚いてケータイで父を呼んだ。しかし応答はない。留守電の表示にもならないし、文字メッセージを送っても既読マークが付かない。

「羽葉風さん、ですね。警視庁です。あなたのお父さんのことで、あなたを保護に来ました」

 インポーズされたドアモニタに、警察官証明を見せている男女のスーツ姿2人が映っていた。

 父の組んだセキュリティスキャンを使うと、彼女たちは銃も刃物も持たず、伸縮警棒だけである。そして同時に警察の公開鍵システムに照会すると、彼らの身分証明を正常に取得することが出来た。本物の刑事だ。それで風は玄関を遠隔操作で開けた。

 だが風のいる羽葉家はマンションの一室であるとはいえ、父が一人に残しがちな風を守るために組んだセキュリティは厳重で、それはもう一種の要塞と言っても良いものだった。マンションに入るのとは別の生体認証ゲートだけでなく、侵入者の突進を防ぐ曲がりくねった通路があり、さらに途中には原発施設に入構する部屋に仕掛けられるような、自動的に壁が動いて経路がシャッフルされる仕掛け迷路『メイズボックス』まで備わっている。それで時間稼ぎを十分にして、その間に風は戦闘機で脱出できるよう計算されているのだ。

 風のあやつる戦闘機は民間のeスポーツ用ではあるが、防衛省の依頼で任務が付与されたときはミサイルや爆弾、機銃弾を搭載することが出来る。防衛装備庁は新型戦闘機を開発するにあたって、これまでの戦闘機パイロットの養成システムだけでは十分なパイロットの数を揃えられないことに気づき、民間のeスポーツ選手を『防衛協力隊員』として採用し普段から資金支援するかわりに有事には自衛隊のパイロットを補完するという制度を作ったのだ。それゆえ風もウインドランサーに乗るときのパイロットスーツには自衛隊防衛協力隊の徽章がついている。しかしそれは同時に良からぬ者に狙われる身分でもあるのだ。

 刑事たちもここまで防備を固めた一般人住宅を見たことがないらしく、途中で度々仕掛けに感心している。

 その様子で風は彼らに悪意がないことを理解して、リビングに来るまでにジャムを入れた紅茶を用意して待つことにした。

「おじゃまします」

 刑事が頭を下げた。「いえいえ」と風は答えたが、父の行方不明の報道は日本代表eスポーツ選手の彼女でも深い不安に陥るには十分なショックだった。

 それを刑事は察し、説明を始めた。

「羽田空港の出国管理がお父さんの健太さんの出国を関知したのは3時間前です。出国手続きのパスポート照合では異常はなかったんですが、搭乗予定の航空機が個人所有のプライベートジェットで飛行計画に不審な点があり、そこでアドミラルシステムが調べたところ、その計画は虚偽で、本当は中央アジア・シルキスタン共和国へ向かうことを見破りました。そこで飛行差し止め措置をするところだったんですが、残念なことに措置がサボタージュにあい遅れてしまい、羽田を発ったジェットはすでに中央アジアへの公海上をマッハ3で進んでいます。こうなっては通常の警察レベルでは手出しが出来ないのです。すみません。我々の重大なミスです」

 女刑事はそう謝った。

「現在サボタージュについてアドミラルシステムを所管するデジタル庁監査官室が検証捜査を開始し、真相解明と再発防止に動いています」

「お父さんは、それで」

「外務省はシルキスタン外交代表部の代表を呼んで、健太氏の身柄の安全確保と帰国を要求しています。しかしシルキスタンはご存じの通り、現在国際社会を脅かす『ならず者国家』のひとつで、我々日本と正式な国交を持っていません」

 風は理解しようとしたが、それ以上に感情が荒れ狂っていた。

「そこでお父さんについて、少しお話を聞かせて欲しいのですが」

「……どういうことでしょう」

「風さん、これはあなたやお父さまの名誉を傷つけたり疑ったりしているわけではないのですが、手続きとして我々は聞かねばならないので、すみませんがご協力をお願いしたい。もちろんこれは任意の聴取なので、断ってもかまいません」

「聴取、って……まさか、私と父を疑うのですか」

「いえ、あくまでも手続き上必要なだけで、疑っているわけでは」

「疑ってるじゃないですか!」

 風はキレた。

「心中お察ししますがお願いします。私たちもお父様とあなたを信じています。しかしお父様にあらぬ疑いをかける者もいる。その濡れ衣をあなたの言葉で晴らしてほしいのです」

「あらぬ疑い?」

「……お父様は自らシルキスタンへ亡命したのではないかと」

「そんな!」

「お父様には前々から疑いがかかっていました。お父様はAI開発を行っていましたが、AIは放っておくととんでもない間違いや残虐性を発揮することが知られています。通常はそれを押さえるコンテンツポリシーロックが組み込まれてそれを押さえている。ご存じと思います。しかし一部の過激なAI研究者はそれをAI本来の能力を著しく損ない、AIによる社会革新、変革を遅らせていると論じる者もいるのです。そしてその遅延こそ、AIで職を失う既得権益者の抵抗の結果だとさえ」

「聞いたことがないです」

「ええ。今のニュース要約AIではそういう考えは実質的に規制され、答えとして出さないようになっています」

「検閲じゃないですか!」

「AIプロバイダーによる自主規制ですが、実質的にそう見られても仕方のないところです」

 その刑事のきわめて率直な言葉に、沸騰していた風は気づいた。

 この人たちも、この事件に強く憤っているのだ。

 風は呼吸を整えた。

「わかりました。お話しします。父はこのところ帰宅が遅く、昨日は自分の誕生日なのに……」


「ありがとうございました」

 女刑事はうなずいて聴取を終わらせた。

「父は……戻ってこれるでしょうか」

 風はそう聞いた。言葉がかすかに震えていた。

「大丈夫です。私たちはお父様の帰還に向けて全力を尽くします」

 刑事は約束した。


 西新宿立体区からの風景は、いつしか夕焼けの風景になっていて、そびえる極超高層ビルやそれよりも高い立体都市区画が深い影を帯びていた。

 風は一瞬それが墓標に見えてかぶりを振った。

 だがその風景に対して彼女はあまりにも心細かった。

 父はもう帰ってこないかもしれない。でもならば母が来てくれないのだろう……。父の目の前では気丈に振る舞ってきたが、正直、母に甘えたい。こんな時はとくに。

 涙が彼女の頬を伝っていくつも落ちた。

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