春へのプロンプト

米田淳一

第1話 離陸

 2050年。リニアが東京から大阪まで全通し、AIがあたりまえになりつつあるけれど、それでもまだ人間が政治の駆け引きを繰り広げている世界――。


「風(ふう)ちゃん!」

 西新宿立体区の上層部航空公園で、風と呼ばれた彼女は公園のドローン発着場から自分の戦闘機で飛び立とうとしていた。

「ナビゲーションシステム正常、フライバイライト正常、バッテリーシステム正常、推進コイル浮上コイル各インピーダンス正常、動翼アクチュエーター正常、全て正常位置、浮上可能。新宿コントロール、離陸をリクエストする」

 風は気づかずに通信で申請する。

「新宿コントロール了解。現在自衛隊の空中護衛艦が通過中、そのあとで離陸を許可する。風は東の風2ノット。台場方面までの無視界誘導飛行承認。チャンネル3をシンクロさせてキューを待て」

「チャンネル3承知」

 風は戦闘機のコックピットで息を吐いた。戦闘機は長い可変翼にカナードを、後部にはリフトファンとプラズマジェットエンジンを装備し、それ自身で浮力を発生させるブレンデッドボディの表面はステルス製とともにスマートスキンセンサーをもつ特殊コーティングがされていて、それはまるでイルカや競泳水着の肌のようになめらかでつややかで、なおかつスポーティな切り返しのラインが走った素晴らしい造形だ。

「風ちゃん!」

 そのときようやく、羽葉風(はねば・ふう)は発着場に来ていた幼なじみの美空恋(みそら・れん)に気づいた。

「どうしたの?」

「DsS(デジタルスカイスクランブル)オリンピックのユース日本代表、私とあなたに決まった! さっき日本eスポーツ連盟の記者会見で発表された!」

 DsSとはVR内の仮想戦闘機ネットワークウイングスNWを使って空中戦を戦うeスポーツである。彼女の乗っている戦闘機は現実世界でも飛べるがVR内も飛べるハイブリッドNWで、『ウインドランサー』という名前がつけられている。

 風が誇らしいと思うことに、このウインドランサーの設計者は風の実の父・羽葉健太なのである。彼は優秀なエンジニアで仮想戦闘機NWの世界標準規格設定などでも活躍している。

 残念ながら健太の妻であり風の母である羽葉麻衣子は風の幼い頃に健太と離婚していた。健太は「心配性過ぎるからあきれられたんだ」以上のことは語らないし、風も聞く気にならなかった。父の健太を傷つけるのは自分が傷つくよりもつらいのだ。

 風はそんな少女であるが、eスポーツDsSのユース日本代表である。DsSは前回オリンピックで参考競技となり、今回のカブールオリンピックでは正式競技となる。初めてのDsS金メダルレースが始まっているのだ。

「よかった!! どっちかが諦めるハメになるかと思ってつらいから、記者会見見ないで出かけようとしてたの」

「あなたは落選しないと思ってた。あなたの『ジレンマアタック』は強烈だから。個人DsS無敗もまだ続いてるし」

 風のジレンマアタックとはDsS上での彼女の必殺技であり、これでDsSのかつての腐敗の王者を仕留めたのだ。詳しい説明はここでは割愛するが、彼女の熱心な戦技研究が導き出したものであり、使えるものはまだほとんどいない。

「恋も素晴らしい腕持ってるじゃない」

「でも日本では二番手なのよ」

「恋のとても燃費良く飛ぶ技術はうらやましいけどなあ」

「隣の芝は青い? まさかあ。で、どこ行くの? 戦闘機で」

「それは」

 そのとき、新宿コントロールからキューサインが送られ、チャイムが鳴った。

「ちょっと買い物へ」

 そういうと風は戦闘機の推進ファンをフルパワーにして公園の滑走板から発進させた。この滑走板の形はかつての空母の飛行甲板のようになっていて、VTOLやドローンの発着に使われているのだ。それを戦闘機の着陸脚で蹴って、空中に飛び出す。

 目の前にそびえるのは新都庁。かつての新宿都庁の高さ243メートルの躯体に300メートルの中層階部分を挟み込む方式でリニューアルし、頂部の丹下健三デザインを生かしたまま543メートルの今風の極超高層建築にしている。その近くの三角屋根をいただく新宿パークタワーも似た方法で極高層化されている。同じ設計者の作品のパークタワーは意匠が似ているために都庁第4庁舎などと揶揄して呼ばれることがあったが、このリニューアルでさらにそれが強調されている。

 遙かしたには駅舎が高層化された新宿駅。小田急百貨店を撤去して代わりに建てられた新駅ビルは『新宿ミライエ』と名付けられ、当初なかった駅ホームを覆う大屋根と一体化した巨大な姿で、その屋根の上には空中庭園のようなパブリックスペースが設けられている。

 そのなかには新型周遊列車や中央線・湘南新宿ラインなどのグリーン車の乗客のみが乗車を待つ間に使えるサロンもあり、そこではかつての航空路線のように『マイル』をためたヘビーユーザー優遇制度が活用されている。列車も今はJRのスキームが国が政策的に維持するインフラ部分とそれを利用する民間の利用部分に分ける上下分離に変わり、多くの旅客車両を持ち運転をJRに委託する鉄道ベンチャー企業が発達、安さを武器にしたエコノミー特急から超豪華列車、さらには短編成で柔軟に運転企画に対応できるミニ観光寝台列車までが走っている。そのそれぞれの専用待合室もまたそれぞれに彩りを見せる。

 風はとくに戦闘機を操作しないのだが、戦闘機はすでに設定された自動操縦で大場方面に向かう。まわりには同じように空を飛ぶ軽量航空機が連なり、その様子はまるで空中に見えない首都高速の高架橋があるように見える。遙か下には本当の首都高速があるのだが、この空中の高層道路も現代の重要な輸送路になっている。


 そのときサイレンが鳴った。正確には空で鳴るのではなく、風のヘッドセットがサイレンを受信したのだ。戦闘機が自動的に進路を譲ると、後方から猛スピードでパトランプを明滅させた警察エアバイクが2機追い抜いて突進していった。空中を飛ぶには地上道路よりももっと厳格なルールがいるし、それを守らないとより悲惨な事故になる。そしてこの空中道路の発明は空中道路交通事故の発明にもなってしまった。AIが駆使され多重安全措置がとられていても、事故はゼロに出来ない。2050年はまだそういう時代なのだ。


 そして新宿を抜けて永田町方面に向かう。国会議事堂はとくに姿も高さも変えていないが、中身はすっかり現代風味に更新されている。そして首相官邸には多大な困難と抵抗を解決して作られた行政統合手続AI「アドミラル」が設置されている。このアドミラルの導入でパスポートや免許証の発行から税金の確定申告、さまざまな政策による補助金申請までもが自動化され、銀行など金融機関との連携もなされ、人生で役所に行く必要のあることは結婚届離婚届に出生届死亡届の提出ぐらいしかなくなったし、それすらも理由によってはアドミラルへのオンライン申請で済ませることも出来るのだ。もちろんこれにはとんでもない反対があったのだが、それでも導入することが出来た。


 その先、皇居上空の制限空域を回避し浜離宮の上を飛び、遙か下にレインボーブリッジをみて台場のショッピングモールの発着場に風は戦闘機を降着させた。するとそこに運搬ロボットが包みを乗せて待機していた。決済は即座にオンラインで行われ、包みを持った風は離陸してふたたび西新宿立体区に戻った。


 そして戦闘機をハンガーに預け、極高層マンションの家に戻り、ダイニングのテーブルの上で包みを開けた。それは食品用3Dプリンタで精巧に作られたホールケーキで、それにはチョコで出来たカードに「おとうさん誕生日おめでとう」と記されていた。


 そう、今日は父・健太の誕生日なのだ。母は離婚してしまったが元気に巨大国際情報企業の研究所で高速情報転送の研究を続けているという。父はeスポーツ戦闘機のデザインと開発に夢中だ。その戦闘機を操縦できる風はそれが誇らしいのだった。


 だが、父が帰ってきたのは、風が待ち疲れて寝た深夜だった。

「ごめんな」

 父・健太はそういうと、眠っている風に毛布を掛け、その頬にキスし、また書斎のワークステーションで仕事を続けるのだった。



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