第五章 二
五大御祓家の中で、二番目に広い領地を所有する
転機を迎えたのは、大師から天文学を教わったとある嫡子が、陰陽師としての才覚を現した時だった。後に秘術を生み出し新たな戦法で物怪を祓えるようになった椚平は、それまで低迷していた状況を打破し、凄まじい勢いで現在の地位まで上り詰めたのである。
陰陽師一家として名を馳せるようになった彼らが得意とするものの一つに、占いがあった。
朝廷直属の占い師として官職を独占していた椚平は、戦や物怪など様々なものを占うことで争い事を有利に進めてきた。当然、四家について占うのも日常茶飯事だった。吉と出るか凶と出るかで敵の付け入る隙を狙い、奇襲を仕掛けて領地を奪う。それが彼らのやり方だった。
そしてある時、現当主である縁覚は、式神から東浪見の長子の誕生を聞きつけ、さっそく赤子の運勢を占うことにした。
しかし式盤に示された結果は、目を疑うようなものだった。
子の行く先に不吉な相が出ていた。
縁覚は愕然とした。これはただ悪い出来事が訪れるといった単純なものではなく、もっと恐ろしく、おぞましい災いが降りかかることを示唆していた。
そうして彼は、厄災が訪れることを予知したのである。
発端となるあの赤子は如何なる存在か知れたところではないが、東浪見の子であるからには強大な力を持って生まれたに違いないと縁覚は思った。身に余る力は世を混沌に陥れ、いずれは厄災を引き起こす事態に繋がってしまうだろう。
どうにかしてそれは避けねばならなかった。
己の能力を信じていた縁覚は、これを好機と見て、東浪見をその座から引きずり下ろす計画を試みた。
始めに、結界をくぐり抜けるため、式神ではなく人間の刺客を送り、毒針で殺すよう命令した。
確かに刺した、と報告を受けたが、しかし赤子は死ななかった。毒が効いた様子もなかったと言う。何度か同じ方法を試しても、毒虫を触らせ、中毒となるお香を嗅がせても、不思議なことに赤子が死ぬ気配はなかった。まるで見えないものに守られているかのようだった。あれはただの赤子ではない、と縁覚は悟った。自分の見立ては間違っていなかった。不幸なことに東浪見は忌み子を産み落としてしまったのだ。それも世を地獄と化す厄災をもたらす子どもを。
一方、東浪見の大切な長子が暗殺されかけたことを知った阿黎は即刻、阿嵐を保護するため、女房たちと護衛兵に命じ領地内の山に篭もらせた。三年ほどそこに身を潜め、縁覚はしばらく迂闊に近づけずにいたが、彼は諦めてなどいなかった。
頃合を見計らい、山篭りに慣れ、警戒心が緩んできたところを式神に襲撃させたのだ。子を取り囲んでいた人間は皆、呆気なく殺されてしまった。
たまらず子を抱えて逃げ出した女房でさえ、山道に駆け込んだ途端、後ろから切られて死んだ。
子は弾き飛ばされた勢いで、生い茂る草の中を転がった。どこまでもどこまでも、落ちていった。式神は行方を見失い、後を追ったつもりが、子はいつの間にか森に紛れて消えてしまっていた。
まるで神隠しにあったかのように、気配がすっかりなくなったのである。
山には、過去に人が途絶え寂れてしまった小さなお社があった。建物は既に解体されており、祠が代わりと言わんばかりに、神域の隅でこぢんまりと残っていた。そこにはひっそりと、祠を守るために居座り続けている神使がいた。
子を隠したのは、岩のように大きな甲羅を背負った亀の神使である。幼子に迫る邪気を遠ざけるために、術を使って式神の目を眩ませたのだ。神使は木の根元に倒れていた子どもを見つけると、ひとりぼっちになってしまったのを哀れに思い、しばらく世話をしてやることにした。
連絡が取れなくなり、異変を察した東浪見は山に使者を送った。そこで小さな屋敷で起こった惨事を知った阿黎は、阿嵐の死体が見つからなかったことから、兵を派遣してくまなく山を捜索させた。
阿嵐は簡単に死ぬような子ではない。だからこそ阿黎は一年もの間諦めずに探し続けた。宝のような我が子を、こんなことで失うわけにはいかなかった。
その過程で、暗殺を企てたのが椚平であると判明すると、牽制のため毒針を刺した文をしたためた。お前の占いは間違っている、と真っ向から否定し、冷えきった怒りをぶつけたのだ。
父の願いが届いたのか、阿嵐が当主の前に姿を現したのは、彼が四つか五つになった頃のことだった。なんの前触れもなく、自家の捜索隊や警備兵の目を掻い潜り、なんて事ない顔でひょっこりと、阿黎のいる部屋へ入ってきたのである。仰天した阿黎だったが、しかし自分と似た青灰の澄んだ瞳を見て、ああ、息子が帰って来たのだと、静かに涙した。
舌っ足らずな声とは裏腹に、しっかりとした言葉遣いで阿嵐はこれまでのことを話した。神使の亀に助けてもらったこと、住居を転々として今も敵から逃げ回っていること。そして、ここに長く留まるのは難しいということも。
流れるような説明に阿黎はじっとりと汗が滲んだ。波乱な人生の中で我が子はどうやって難しい言葉を使えるようになったのか。まだ片手で数える程しか生きていない子どもがこんな話し方を覚えるはずがない。
やはり彼は、生まれながらにして特別な子なのだ。
逃げ回らずとも、これからは私が守ってやろうと言ったが、阿嵐はそれを受け入れなかった。
阿黎が調べた椚平の情報と合わせて考えると、縁覚は阿嵐を死ぬまで追い続ける気でいるのは明白だった。領地を越えて式神をそこら中に飛ばし、どこに隠れようとも見つけ出して殺そうと躍起になっている。殺すことに執着しているかのように。やつはきっと正気ではない。ついでに東浪見を挑発し、戦を起こしてくれればなお良しとしているから、ここに留まっていれば家族を巻き込むことになるだろう。
ここを去ることが一番の得策なのだ。
阿黎は、納得などしたくなかった。他に方法などいくらでもあるはずだった。椚平の暴走など東浪見の手にかかれば制圧するのも訳もない。やむを得ない場合、被害を最小限に留め戦をすることもやぶさかでないだろう。何よりこんな小さな我が子が幼いながらに危機に立ち向かっているというのに、どうして見て見ぬふりができようか。ただのよくある後継者殺しだと思っていたばかりに、手を打つのがこんなにも遅くなってしまうとは。
唐突に阿嵐は、父上に会う前に、母上とそのお腹の子に会って来たと言った。
どうか健やかに産まれますように。と高灯台の明かりで、微笑が白く浮き上がった。
行くな、と阿黎は止めた。
奴の思うつぼであろうとも、息子に手をかけた罪は重い。必ずや報いを受けさせ、これ以上いたずらに時間を奪われぬようにせねば。
激昂するも、ゆるゆると阿嵐は首を振った。
「違うのです父上。彼らには、人の命を奪うことの虚しさを教えて差し上げなければなりません」
だから、無用な戦も起こすべきではない。
平手打ちを食らったような、そんな衝撃を受けた。
御仏がご降臨なさる夢を見たその日に、蓮のように清らかな気をまとった太郎君が生まれた。妻も同じ夢を見たと言って笑っていた。だからこの赤子は、我々衆生を救うために、この世に降りて来てくださったのだろう。自分たちはなんて果報者だろうか、と夫婦は喜び合った。
……もはや、特別な子で収まる領域ではなかったのかもしれない。この子は、本当に。
「彼らが諦めるその日まで、俺は見事生き抜いてみせましょう」
阿嵐はこの身を持って、占いを覆そうとしていた。たとえ何年かかろうとも、忌み子でないことを証明するために、犠牲を生まず、生き残ることを選んだ。
「父上、どうか俺のために、お言葉をかけてくださいませんか」
酷い息子だ。自ら突き放すような言葉を言わせるだなんて。
けれど、何よりも我が子がその道を行くことを望んでいる。
こんなに苦しい選択を、迫られる日が来るとは。
「……家督を継げるのはお前だけであることを忘れるな」
阿嵐の幼い姿を見たのは、それで最後となった。
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