第29話 実行

シンの頭の中では、そろそろロク達がナイフを手に入れる頃か? 

と、段取りを確認していた。

全員が完全に酒に酔った時に、まずシンがヨシを刺す。それと同時に

ロク達がなだれ込む。 今、ロク達は草むらに隠れて、「一刺し」を待っているはずだ。

「ではみなさん! もっと宴会を盛り上げていきましょう」

酔っ払った里中の呼びかけに吉岡が答えた。

「私歌うわ!」

全員が沸き立つ。シンに絶好のチャンスが来た。

「曲は!「部屋とYシャツと私」」

吉岡は高々と右手を突き上げた。 カラオケなんかある訳がないので

全員で前奏をアカペラで歌い始めた。

「たらららららららららら〜、、、」

そして、吉岡が勢いよく歌いはじめた。とても下手くそだった。

シンは密かに人殺しの準備をしていたので、陽気に笑って歌う余裕が

無かった。

「♪お願いがあるのよ、あなたの苗字になる私〜」 

細田・上崎・メイが吉岡の下手くそな歌を助ける為に、隣に並んで歌

い始めた。そして酔っ払った男達も踊り始めた。人の輪が崩れてグチ

ャグチャになりだした。

チャンスだ!

シンは心の中でそう叫ぶと、左手に沿って隠したサバイバルナイフを

強く握り締めた。シンはヨシに向けて一歩踏み出した。二歩目から走

り出すつもりでいた。

突然のことだった! 後ろから何者かが左腕をしっかりと握りしめ

て引き寄せた。

シンは「しまった」と思った。」

右手でナイフを強く握り締めながら急いで振り向くと、それは平山だった。

平山か、心臓の鼓動を静めるようにフーッと息を吐くと、怒りを悟ら

れないよう笑顔を向けた。大きなチャンスを逃しそうなのだが、それ

を彼女に悟らせるわけにはいかなかった。 

「どうしたの」

シンはブスに聞いた。

平山は目を大きく見開いて首を横に2回大きくゆっくりと振った。

焦っていたが、落ち着かせる為にわざとゆっくりともう一度聞いた。

「どうしたの?」

あいつはまた首を振った。頬から大きな涙の粒が一つ落ちた。

シンは激しく動揺した。

平山は心の中まで既にお見通しなのか? それとも単にこの瞬間に

感激しているだけなのか?

なぜこの女は腕を離さないのだろう? 

まるで時間が止まっているようだった。

シンは周りを見た。みんなは、二人には一切気付かず歌っている。

今まさに殺人をしようとしている男としては、みんなが油断している

間に決着をつけたかった。

平山はもう一度シンをじっと見つめると「大好き、絶対離さない」と

微笑んだ。

歌は佳境にさしかかった。

「部屋とYシャツと私 愛するあなたのため」

平山を突き倒してヨシを刺しに行こうと考えもしたが、まったく足が動かなくなってしまった。

それが平山の涙を見たからなのか? 見抜かれてしまったからなのか? まったく分からなかった。

「愛するあなたのため きれいでいさせて〜」

曲が終りを告げ、みんなが座りだした。そしてヨシを刺す絶好のチャ

ンスが逃げていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る