第20話 霞が関


 轟はイライラしながら議員会館の長い廊下を歩いていた。

東京に来ていた。たまに刑務所長会議で法務省に呼びだされることが

あるのだが、今回は自発的にやって来た。今回は法務大臣に面会を申

し出た。本来ならば、一刑務所長が法務大臣と面会することは容易で

はない。ただ、今をときめく福岡最終刑務所の所長の轟にとっては、

さほど難しいことではなかった。

政府が放送しているドキュメンタリーの舞台にっている刑務所長に、

国としても会わないわけにはいかないのだ。

議員会館のドアを乱暴にノックした。 秘書がドアを開け、あたふた

して何か言っている。その秘書を置き去りにして部屋の先に進んだ。

奥にいる法務大臣の片桐は、来るのをずっと待っており、ゆっくりと反応した。 

「わざわざ福岡から来られたのですか?」

言葉こそ丁寧だが強い嫌悪感を感じさせる話し方だ。片桐は、イスか

ら立ち上がりもせずに無礼な訪問者を迎えた。

「ああ、後輩にどうしても会いたくて、わざわざ福岡のクソ田舎から

はるばるね!」

轟は片桐が大学の後輩ということをあえて強調した。 二人は同じ

大学に行っただけでなく同じゼミにも属していた。昔からの知り合いなのだ。

当時の片桐は、政治家としての貫禄はなく、大学のミスコンで準優勝

するほどの美女だった。今はその面影は全く残っていない。

「それは、それは、轟所長ありがとうございます」

片桐は冷静な受け返しの裏側で、鋭く役職を言いことでトゲをつけた。

「他人行儀だな、轟先輩でいいよ!」

逆に馴れ馴れしく絡んだ。

そして、この女を何回も何回もデートに誘ったことを思い出し、苦笑

いした。はっきりと「あなたに興味がない、私はレズビアン」と全くデートに応じなかった女、本当にこの女がレズビアンだと分かったときは驚いたものだった。

 片桐は、法務省に入省して出世街道をひた走った。かつては油断が

できないほど狡猾で美しいライバルだった。

轟は、ミスを犯し、競争に負けて出世街道から転げ落ち刑務所長にな

ったのとは対照的に、この女は政治家に転身して今は法務大臣なのだ。

やりきれない思い、嫉妬心があった。

「いえ、ここは議員会館、公式な場所ですから! 先輩も片桐法務大

臣と呼んでいただきたい!」

片桐はあくまで自分が上司であり、自分の命令に従わなければいけな

いことを示した。

「は?」

後輩の無礼な対応に轟は憤りを覚えた。

そして、二人のあいだのいやな沈黙を秘書の井波が破った。

「こんにちは!」

「この姉ちゃんは誰だ? 片桐!」

先ほどドアを開ける時に無視したのは分かっていた。

「秘書の井波です。彼女は今回の刑務所のプロジェクトの担当をして

いるので、ここにいても大丈夫ですわ。その件でしょ。今日来られた

のは」

片桐は丁寧な言葉と一緒に彼を睨んだ。 轟は薄ら笑いしながら、

その目線をかわした。そして井波に必要以上に近づいて「こんにちは!」と意味あり気に挨拶した。

井波は轟のような下品な男とはほとんど接して来なかったので指が

震えた。恐くて逃げ出したいのを我慢して名刺を差し出した。

「始めまして」

指に合わせて名刺がカタカタ震えた。轟はそれを見てうれしそうに

微笑むと、ひったくるように奪って、クルクル回しながら名刺を確認

した。

「ふーん、ちなみに石川君は元気だよ!」

石川が片桐の「恋人」だったことを知っている轟は、マイナーな恋愛

へ軽蔑の眼差しを向けた。

「なにニタニタしてるの?」

「いえいえ! 何もありませんよ」

轟は、あざ笑うがごとく返事し、片桐と井波の関係に踏込んだ。

「いい上司に巡り合えたようで」

「はい?」

井波は蚊の鳴くような声で顔を紅潮させ返事した。分からないフリを

する彼女に轟は嫌らしい目線を注いだ。

「何もないなら本題に入りませんか!」

片桐は、井波を守るために声を荒げた。

「しかし、本当に大丈夫なんですかね?」

「なにが?」

「決まってるだろ」

「もちろん。大丈夫ですわ」

政治家ならではの仏頂面で片桐は答えた。 その反応に轟はいっそう

不快になった。

「入所したあいつら次々に問題を乗り越えていって! いまや田んぼ

や畑まで作ろうとしている」

「毎週TV見てるから分かってますよ。轟所長! 愉快じゃありませ

んか、落ちこぼれの男女が犯罪者と村をつくるんですから」

実際、刑務所への移住というドキュメンタリーは、世間に好意的に受

け取られていた。 

「愉快じゃあありませんか!」なんて能天気なことを言われても困るんだよ片桐! やってることがおかしいことくらい分かるだろ」

轟の顔が怒りで真っ赤に染まり、育ちの良さそうな井波は顔を歪めた。

「あら? 国の方針でやっていることに一刑務所長であるあなたが口

出しするのも何かと思いますが?」

片桐は官僚上がりの国会議員らしく淡々と正論を述べた。

「恩知らずだな! 後輩のくせに! 刑務所に本気で住みたい脳天気

な自殺が増加してしまうが! いいんだな!」

片桐は彼を睨むが、何も言い返さない。そのまま轟は怒鳴り続けた。 

「だいたい、あの大学教授達の「失敗」をドキュメンタリーで制作した

いと言うからウチの刑務所でOKしたんだ。 なのに、なんだあの仲良

しドラマは!」

「刑務所は国のものですよ。轟先輩、いや轟所長、刑務所での映像を

ドキュメンタリー化しての放送視聴率が60パーセント。莫大な国庫へ

の収入ですよ」と片桐はまったく怯まない。

「オレは刑務所の所長であって、落ちこぼれの助け合い村の管理人では

ない。 犯罪者達は死ぬべきです。罪を償ないといけない! 違うか?」

「確かにそうですが、君の将来を考えるのなら、黙って見てたほうがい

いと思いますが? 轟所長!」

お互い意見を感情的にぶつけた。片桐は沈黙の後、うっすらと笑って

轟を見た。 彼がどんなに怒鳴り散らしても、正論ぶっても、立場上、勝ち目が無かった。

「放送をするかしないか? それは視聴率が決めることよ」

片桐は余裕の表情でいった。そこに大学の後輩としての面影はなく、

ギリギリのところを成り上がってきた大臣の顔だった。

「視聴率」

「そう視聴率、過疎の村を刑務所に変えた柿沼総理の政策は正しかっ

た。そして、そのコンテンツを海外の放送会社にも売りつけた。素晴

らしいとは思いませんか?」

片桐は丁寧に、一刑務所長が口出しするレベルのことではない、と暗

示した。轟は、もはや何の言葉も浮かばなかった。

「心配しないで。あなただって出世したいんでしょ? 轟先輩」

片桐はうれしそうに言うと、ゆっくり歩み寄り、部下の肩を優しく叩

いた。轟は放送計画に何の影響も与えることができなかった。

そして、この美しいドラマは、シンが潜入したことにより、また違っ

た方向に進もうとしていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る