第8話 里中

まだまだ新しい人を紹介しなければいけない。

今度は里中を紹介しよう。彼は苦労人だ。


閑静な住宅街に、他の家と比べてかなり大きな2階建ての家、遠くから見ると金持ちの家のように見えるが、近くまでくると数多くのビラが家のあちらこちらに貼られている。それは、洋風でおしゃれな白い家には似合わない。 

ビラには殴り書きで「借金返せ! 死んでも返せ! この人は借金を返していません」等の誹謗中傷の数々が書いてあり、その一部がところどころ風で剥がされて、家の周りにヒラヒラしていた。

白い紙に黒い文字、白と黒の2色のコントラストで家の周りが覆われていた。文字さえ読まなければ、まるで家を白と黒でデコレーションしたようで綺麗に見えたりもする。

 家の内部は締め切られ、春の心地よいお昼の時間なのに薄暗い。

外の世界と遮断するように締め切ったカーテン、換気をしていないからなのか、カップラーメン等の安めの食べ物の生活ゴミが散乱していて臭く長い間掃除をしていないのは間違いなかった。

家の一番奥の仏間の暗闇に、3人の人間がその場に同化するように

ひっそりと存在していた。

里中一(はじめ)は48歳のアパレルの社長、その妻陽子34歳。そしてその娘雛(ひな)13歳の中学生だった。

夫の里中は30歳の時に、心機一転して脱サラをして念願の新規事

業を立ち上げた。会社員の頃から真面目に働いてきた里中は、独立し

てアパレル会社に全力を注いだ。彼の新規事業は最初はとても順調だ

った。海外の子供服を安価で輸入した物が、高い値段で驚くように

売れ、そして、33歳で13歳年下、20歳の雑誌モデルと業界の

パーティで知り合い結婚した。

結婚した翌年に愛娘「雛」が生まれ、36歳の若さでこの家を建てた。

急成長の会社の社長、元モデルの美しい妻、かわいい娘、おしゃれな

白い家。誰もが憧れる理想の家族だった。

転機は10年後に訪れた。里中は。妻の夢を叶える為に商品の輸入

販売だけでなく、自社の子供アパレルブランドを立ち上げた。

妻の陽子がデザインを手がけた子供服は、素人くさく最初から不評だった。大都市、東京・大阪・神戸・福岡に展開した自社ショップは。毎年赤字を計上し始めた。

里中は自社ブランド事業をすぐに縮小すればよかったのだが、妻を傷つけたくないという理由から、自社ブランドの販売に全力を尽くした。  

輸入の子供服販売の利益でなんとか持ちこたえてきたが、自社ブランド設立から7年、とうとう輸入服販売の利益では会社の資金が回らなくなった。ここで百戦錬磨な経営者ならば、冷静に赤字を計上し、妻のアパレル事業を縮小撤退するところだったが、里中にはそれができなかった。

それまでの里中は、事業で失敗しことがなかった。右肩上がりの経営しか経験していない者にとって、初めての事業の失敗を世間に晒すことは屈辱だった。それと同時に、里中には美しすぎるバービー人形のような妻を悲しませることはできなかった。

取引銀行達は、最初は快く融資をしてくれたが、返済が滞り始めると一気に貸し渋るようになった。 

そしてとうとう、ちっぽけなプライドを守るために、彼はサラ金に手をだしてしまった。その後、資金繰りは更に悪化していき、借金は銀行や親戚だけでなく、闇金融などのやばい所をあわせて5000万円を超える用になった。


里中は外にいつもの派手な足音を聞いた。いつもの借金取りが現れた。彼の耳は、この過酷な環境下でとても敏感になっていた。

足音だけですぐにあの二人が現れているのが想像できた。

典型的なチンピラの格好をした2人は、ギラギラした目で満足そうに散らばった貼り紙を見つめていた。目を合わせると、いつもの「仕事」を始めた。近所迷惑になる大きな声だった。

「お〜い 里中さん、いるんだろ。分かってるんだよ。近所迷惑だし

さぁ、早く出てきて返してよ」

借金取りは馴れ馴れしく大声で問いかける。本来ならば、この手の

取立ては法律で禁止されているはずだったが、闇金融業者にとっては

関係ないのだろう。里中は対抗する手だても思いつかず、お金を返せ

ないことへの罪悪感だけが彼の心の中にあった。部屋の奥で、妻と娘

と3人で気配を消している。

最近、この闇金業者の借金取りの訪問が頻繁になってきた。なんとか

止めたいが、普通の銀行は、もはや一円さえも貸してはくれない。

里中はソファに座り、陽子は娘の雛の隣に座っている。恐怖の為に娘の雛が声を出さないように、陽子は雛の口を強く押さえている。

娘は恐怖を感じると「ん、ん、ん」と呻きだすようになった。なので、

外の取立屋の二人に気付かれないようにしなければならなかった。

借金取りの2人は、ルーティン通り逆上し始めた。そろそろ下端(したっぱ)が 舌打ちして捨て台詞を言うのは分かっていた。

いつも同じ嫌がらせなのだが、その不快な行動に慣れることはなく、

恐怖しか残らない。

「俺もこうやって毎日毎日取り立てるの嫌だからさ。じゃあまた来る

からな。借金返せよー」

借金取りの強い立場を充分見せつけて、脅かしつくしたチンピラは

帰りはじめた。、五月蝿(うるさ)かった話し声が小さくなっていった。

3人は取立屋達の声が聞こえなくなるまでじっと待っていた。 

雛は、抑えられた口をモゴモゴと動かしている。陽子はまだ、ものす

ごい形相で雛の口を抑えているのだ。第三者から見ると、まるで娘

の息の根を止めたい殺人鬼のようにも見えた。

しばらく静寂が続くと、陽子は、ようやく雛の口からゆっくりと手を

外した。息があまり出来なかったのだろう、雛は大きく深呼吸をした。

「ママ、ライオンさんが、向こうに行った」

雛は、まるで3歳時のような喋り方で陽子に向かって喋った。

それが大きな声だったので、里中と陽子の顔が自然に険しくなった。

雛の口からよだれが一筋ゆっくりと垂れた。13歳の中学生なのに、

雛は毎日の借金取りのプレッシャーから頭がおかしくなってしまった。

妻は娘の頭をゆっくりなでながら言った。 

「うん大丈夫よ。ね、大丈夫だから、、、ね、ね、ね」

陽子はイライラをなるべくオブラートに包み、母親らしく娘に優しく

語ると、刺さるようなものすごい視線を里中に向けた。陽子も限界に

達していた。

「なーんでこんな暗闇で静かにしとかなきゃいけないのよ」

恨みを込めて陽子は里中を責めた。今日の憎しみの目つきは、いつも

より増して刺さってきた。里中には、その態度には心当たりがあった。

それは、陽子と雛を残して昨日の早朝に外出し、そして今朝ようやく

帰ってきたからである。

陽子から見たら、取立屋が来るのを分かった上で、里中は二人を残して恐怖から逃げたことになる。

里中は深く考え込んでいた。 昨日あったことをまだ説明できずにいたからだ。どのキッカケで話していいのかがわからなかった。そうやってずっと黙っている里中に陽子の恨みは爆発した。

「あなたが成功するっていって勝手にやりだした事業でしょ! 元は

と言えば!」

陽子は自分のアイディアでブランドを立ち上げたのを棚に上げて、

借金を作った里中を責め立てた。夫婦の関係は、陽子が借金の連帯

保証人になっていることで最悪になっていた。

「あなたのせいで私も子供もこの有様、狂いそうだわ、というか、

もう狂ってるし、、、」

陽子は黙っている里中に、ネガティブな感情をさらにエスカレート

させた。

「なんとか言ってよ、あんた、見てよ。娘は取立て屋のせいでノイロ

ーゼになってるじゃあない」

雛は怯(おび)えてブツブツと何か呟いている。

「かわいそうだと思わないの? 何とか言ってよ、ねえ!」

陽子は鬼のような顔で再度詰め寄った。追い詰められた里中は、伏せ

ていた顔を上げて陽子と向きあった。 

「自殺しようかと思ってる」

陽子は里中を睨んだままで、一瞬も動揺しなかった。

「あなただけよ! 私はしないわよ。 私も娘も嫌!」

陽子はあきれるような不機嫌な顔をして、心中なんて冗談じゃない、

と言う顔をした。

「お前達が嫌なのは分かっている。俺のことなんかもう愛してないの

もわかっている」

「あたりまえよ、あんたなんか愛してなんかいないわよ。あなた私の

名義でも借金してるんだし、はやく責任とってよ。なんとかしてよ」

陽子は、近くのマグカップを恐ろしい形相で里中に投げつけた。

カップは里中の腹にあたり床に転がった。何日も前に飲んだ飲み物の

残りが、黒くシャツを汚した。二人の結婚披露宴でペアで配ったカップは、あれほど激しく投げつけられたのになぜか割れなかった。

「ママがライオンに、、、ママがライオンになっちゃうよ」

雛は激しく震えながら陽子におびえた。里中は雛を抱きしめ安心させたかったが、妻が絶対にそれを許さないことは分かっていた。

「ひな! ママはライオンにはならないよ」陽子は泣き叫ぶような

声で雛を叱り付けた。

「俺の保険金でお前と子供達は助かる」

里中は陽子を安心させる為、そして自分の決心を確定させる為に、

ゆっくりと伝えた。だが、陽子の疑わしい表情と視線は変わらない。

「ふ〜ん。 で、どうやって死ぬの。迷惑がかかる死に方だけはしないでね」

陽子の声は穏かで、それがより強く冷たく心に響いた。

少しだけ妻に心配されるかもしれない、と思った里中は、言葉に詰まりしばらく絶句した後、「今、どうやったらいいのか考えている」と搾り出すように返事した。

「何言ってんの。早くしてよ。その気もないのに期待持たせること

言わないで」里中の曖昧さに再度陽子は激高した。

「ママ。ママ」それに影響され雛がまた激しく泣きだした。陽子は

雛の頬を平手で叩き、ヒステリックに叫んだ。「ひな! 落ち着きな

さい」雛はガクガク震えだし泣くのをやめた。母親が容赦なくぶつか

らだ。里中は、雛が泣くのを止めて安堵した。これ以上、娘が、口論

に巻き込まれるのは辛かった。雛の泣き声が止むと同時に、里中は

口を開いた。

「本気だよ。最高刑務所に行こうと思ってる。自殺者として、あそこ

に行けば自殺ってすぐ認定してくれる。保険金だっておりる。そして、

お前達は普通に暮らせる。それで許してほしい。事業に失敗してすま

なかった」

里中の声がだんだん涙声になり二人に土下座した。

「家族のために、そしてお金になることしてくれるのね」

陽子は疲れた感じで返答した。 

「それで許してくれるか」

里中は妻からの最後の言葉を待った。長い沈黙の後、陽子は取りつか

れたような顔で無表情で冷たく「いってらっしゃい。さよなら」とだけ言った。


陽子から別れを告げられた後、里中は電車に乗っていた。もちろん、

家に帰る気は無かった。里中はある場所に向かっていた。


家族に最後を告げる前、ネットカフェで最終刑務所のことを調べて、

その足で生命保険会社を訪ねた。

保険会社の話を再度頭の中でまとめてみると、「生命保険保障内での自殺の保険金支払いは、3年以上の保険契約者に適応され、最高刑務所に行く場合でも適用される」とのことだった。

保険会社の担当者は、里中の事情を全て聞いた後、同情したのか、

すごく丁寧に保険金の受け取りについて説明をしてくれた。

幸運なことに里中は、15年間生命保険を解約していなかった。陽子と結婚した時に家族を持つのだから、と母親が勝手に加入した生命保険だった。それは、月4万円の高額な保険だったが、母親が心筋梗塞で突然亡くなるまで、せっせと払いこんでくれていた。

10年前に母が亡くなった葬式の後、その存在を父に知らされた。

母が亡くなってから、保険料は当然里中が払うことになった。毎月の

保険料は高かったが、借金がいくら増えようが、この保険だけは、

親を裏切れないという理由で解約はぜずになんとか払い続けてきた。

母の贈り物、その全ての保険金支払の書類を保険会社に預けてきた。受取人はもちろん陽子になっている。最高刑務所に入所したら妻の口座に保険金8000万円が即座に振り込まれる。

陽子と雛はあの豪邸から出て行き、借金を返しても3000万円

以上が妻に残るようになる。一刻も早く妻と娘を借金取りの悪夢から解放させたかった。そのことで父親としての最低限の責任を果たそうと思った。ふとポケットから取り出した写真には、まだ幸せな頃の3人が写っていた。写真では陽子も雛も笑っている。

銀行へは保険金での借金返済の段取りを頼んだ。 銀行の担当者は、「最高刑務所に行く」と言った時は、一瞬だけ驚いた顔だったが、借金返済がスムーズにいくことを聞いてうれしそうな声に変わった。借金の担保である家の売却金の手続もあわせてお願いした。



手続きの事を考えていると、普通電車は早計大学のキャンパスがあ

る大学前駅へ停車した。

ウェブサイトで自殺志願者の入所手続きを調べている時、ネット検索

で「自殺志願者 最終刑務所」と入力した時、検索入力画面の下に「自殺志願者 早計大学 刑務所移住」という文字が出てきた。刑務所移住と書いてあるのを見て、無意識にクリックした。

詳しくウェブページの内容見ていくと、早計大学の教授が、最高刑務

所の囚人や自殺者のことを調査しており、刑務所内の詳細や内部事情などが詳しくネットに書いてあった。5チャンネルのようなネット掲

示板で信憑性には問題がある。だが、自殺希望者として移住を考えて

いるグループがあるというのだ。

そして、その場所に今、里中が向かっていた。

大学の大きすぎるくらい大きい門をくぐると、岡田博士の研究室を

探した。

門から20分くらい歩いただろうか? そして、何人ものすれ違う生徒達に研究室への道を尋ねたが、ほとんどの生徒が首をひねるだけでなかなかたどりつけなかった。 たぶん、あまり有名な研究室ではな

いのだろう。もうあきらめて帰りたくもなったが、生き延びる夢を捨てたくなかった。 

そして、ついに里中は廃れた建物を見つけた。 ウェブサイトの写真と、古びたコンクリートの建物が一致した。

ここに来て急にドキドキし始めた。興奮のあまり手がかすかに震えた。ウェブ掲示板の噂が本当ならば、里中は死なずに済むのかもしれない。もし、刑務所に移住する人達が存在するのならば、一緒に行けば良い。そして刑務所で生き延びるのだ! 

人の気配がしない薄暗い建物の中に入り、今度は研究室を探す。

地下から隅々まで探していくと、岡田教授の研究室は、思ったとおりの見落としそうな目立たない場所にあった。

古く重い横開きの扉を開けて「失礼します」と挨拶してみる。緊張した声が奥に響いた。

何度も呼びかけるが返事がないので、ゆっくりと部屋の奥に入っていった。すると、書類の山の向こう側にパソコンを凝視しているボサボサ髪で天然パーマの男がいた。

 里中はゆっくりと近づいていく。が、天然パーマの男は全く気付く気配が無い。この人は大学院生なのだろうか? 外見的にはあまり賢そうには見えないし、学生としては少し老けている様な気がした。

1分くらい経ったのに、まだこの男はゲームに熱中して里中に気付かない。もう一度声をかけようと思っていると、そこにかわいらしい20代前半と思われる女性がやってきた。その女性は私に気付くと、ぎこちなく会釈をしてゲームの男を呼んだ。

「博士! 博士? 先生! 博士!」

天然パーマの男は、ゲームに夢中なのかなかなか返事をしない。博士

と言っているくらいなので、この頼り無さそうな男が岡田博士だとい

う事が分かった。

今、里中が会いたい男が目の前にいるのだ。

「あ〜?」

ようやく岡田博士は寝ぼけた声で返事した。想像とだいぶん違って

いささか頼りない男のようだ。

「誰かまた来てますよ?」

WEBの情報だと、この女性は助手の上崎さんという方のはずだ。

彼女はあきれた感じで、岡田に対してきつく呼びかけた。

なんか、助手というより奥さん? 年齢差を考えると、だらしない

父親とお節介な娘さんのようだった。

「ん? いや、いいとこなんだけどね。このゲーム。もう少しで理想

の街ができ—」

「博士! 博士。そこにいらっしゃるんです! お客さんが」

「ここに?」

岡田はやっとパソコンの画面から目を外した。

「すみません、大学とかもうずいぶん来てなかったので、返事が無く

てそのまま入って来てしまいしました」

すがるような気持で結果的に無断で入ったことを詫びた。

「ちゃんとアポくらい取っていただけると助かるんですが!」

岡田は意外とそっけなくそして無愛想に鋭く言った。

ただ、突然の訪問者ということを考えると当たり前の対応なのかもし

れなかった。

「すんません」

再度謝ったが、岡田はまだゲームで遊びたいような感じだった。

「まあ、どうぞ、まあ かけてください」と、仕方無さそうに返した。里中は、岡田のけだるい空気に飲みこまれなように、「刑務所で生き残りたい」という熱意を持って自己紹介しはじめた。里中は熱いまなざしで岡田に話し始めた。

「ありがとうございます。実はネットで調べてたら、岡田教授が最終

刑務所の研究をされているとありましたもので、あ、私は里中と申し

ます。こちら私の名刺です。といっても会社は今は存在しませんが、、、」

と、立ったままで、何枚か残っていたくたびれた名刺を岡田に渡

した。

岡田は名刺を「片手」で受け取ると、チラッとだけ見て、「アパレル

関係ですか...」とだけ言いながら、机の片隅にポンと投げ置いた。

里中は岡田の無礼に驚きながら「はい」とだけ返事した。

せつないかな、里中はこの常識の無い無愛想な教授に興味を持っても

らおうと必死だった。

「まあ、確かに私は日本でも屈指の文化人類学者ですが? あなたは

なぜ最終刑務所のことに興味があるんですか?」

岡田は、追い詰めるような迷惑の視線で話しかけた。それは、5チャ

ンネルで読んだ博士像とは大きく異なっていた。

「実は、会社が倒産しまして、妻も私の保証人になっています。つま

り、私が死んで私の保険金で借金の返済をしたいのです。そうすれば

家族も助かります」

「そうですかぁ? 自殺ですか!」岡田は、ゲームをチラチラ見なが

ら、目線さえも合わせない。岡田の返事はそっけなかった。

里中が無言で立ち尽くすと、助手が両手にお茶を持ってきながら、

面倒くさそうな岡田博士の代わりに答えた。

「最近、最終刑務所で自殺することが可能になって、博士に質問しに

来る方が多くて」

助手はお茶を岡田の前に置いて、もう一つの湯飲みは助手が無意識に

飲んでしまった。里中にはお茶も出ないようだ。岡田はそんな失礼な

助手も気にならないようで「借金はおいくらですか?」と聞いてきた。

「5000万円です。会社の経営に失敗しまして、、、」

「そうですか」びっくりするほど事務的で単調な返事だった。

心の中で「助けて」と祈る里中だったが届きそうになかった。

「政府広報で言われてる通り、自殺希望者は通称命の箱「10×20

×40センチの箱に、死ぬ間際に使うものを持っていく」と書いてあ

ります。申し込みの仕方でしたら政府のウェブサイトを見られたほう

が詳細に書いてありますし? いったい私に何をお聞きになりたいの

でしょうか?」

岡田は厳しいままだった。そして里中に止めを刺した。

「ウェブか5チャンネルか知らないですが? 最近あなたのような

訪問者が多くて困ってるんですよね」

里中は再度黙りこんでしまった。そして助手が追い討ちをかけた。

「申し訳ないんですが、先生もお忙しいので、刑務所見学のレポート

でしたら、博士のサイトに書いてあるとおりですから、それ以上は何

もありませんし、それが全てになりますので」

「じゃあ僕は研究がありますから、別室へ失礼します。上崎君あとは

よろしく」

ゲームをしていた岡田もさっさと奥に去っていった。

ウェブの掲示板は全てが嘘だった。『やはり死ぬしかないのか?』

ショックのあまり動けない。

「さぁ、里中さん、すみませんがお引取りください」

上崎は少しの間、里中が立ち去るのを待ったが「ふーっ」とため息を

つくと、岡田と同じく奥へ向かおうとした。

「ちょっとまってくださいよ」

里中は、うめく様な声で上崎を呼び止めゆっくり立ち上がった。

最後の希望に裏切られ憤った里中の顔は、苦痛に歪んでいた。

「何かおっしゃられましたか?」ただ、上崎はそれを受け付けない。

感情はついに爆発した。

里中は両足を床にたたきつけるように椅子から立ち上がった。

「ちょっと待てって言ってんだよ、人が深刻な用事で相談に来てるの

に、大学教授かなんか知らないけど、軽くあしらいやがって、俺はな!

好きで破産したんじゃあないんだよ」

里中は今までに出したことが無いくらいの大声で、どうしようもない

彼の状況を吐き出した。

「自分の夢に向かって、コツコツお金を貯めて、一生懸命努力したの

に、徹夜で働いたのに、俺の会社がつぶれてしまったんだ!」

喋りながら涙が頬を伝わるのがわかった。

恥ずかしかった。

でも止められなかった。

怒りと悲しみで身体がガクガクと震えた。

この2人に八つ当たりしてもどうしようもないことは分かっていたが、

間違いなく追い込まれていた。

「自殺なんか元々したくないんだよ。俺は生きていたいんだよ。どう

にかして刑務所の中でも生きて行きたいんだよ」

涙がですぎて鼻からもでてきて、まるで幼児が大泣きした時のようで、

止めたいのだが感情が高まりすぎてどうしようもなかった。

40代の大人が鼻水を垂らしながら必死で怒っている。

里中の怒りは止まりそうになかった。

「なんで話くらい聞いてくれないんだよ。博士かなんか知らないが、

人との話そっちのけで!またくだらないパソコンゲームでもしたいの

か!」

「すみません」いつの間にか奥の部屋から戻ってきている岡田は、

里中の剣幕におされて深々と頭を下げた。

「ふざけるな! 馬鹿にするなよ!」里中の唾か涙がよく分からない

ものが、岡田の顔にバシャバシャと大雨のように降りかかっているの

だが、岡田は逃げもせずに頭を下げ続けた。

里中は、それを見てようやく気持が落ち着いたのか、腕で涙をゴシ

ゴシと振り払った。身体はまだヒクヒクと動いていた。


岡田は神妙な面持ちで、視線をゆっくりと助手の上崎の方に向けた。二人の顔は、やがて何かを審査するような顔になりお互いうなずいている。怒鳴られた岡田と上崎の顔が今度は満面の笑顔に変わっていった。 

「どう思う?」

「私は文句ナシで合格ではないかと?」と上崎は微笑んだ。

「もちろん私もそう思う」

岡田は力強くうなずいた。

「は?」

里中は何のことか分からずきょとんとしていた。

無理もなかった。今まで里中を追い出そうとした二人が、目を涙でいっぱいにして合格と言っているのだ。


岡田は力強く里中の手を握り締めた。

「よし、これで5人が決定だ!」

今まで無愛想だった岡田の顔が興奮していた。

「はい、博士!」と上崎はピョンピョンと小躍りして喜んだ。

「なんなんですか?いったい?」里中はまだあっけにとられていた。

「おめでとう。あなたは合格だ! 我々と一緒に刑務所に楽園をつく

ろう! お願いします」

岡田と上崎は何回も頭を下げ、冷たい対応をした理由を説明した。


結局、ネットの情報はほとんど真実だった。

自給自足の自分達の理想の村をつくる計画をしていること、ネットの掲示板にメンバーを募集する為に意図的に岡田達で書き込んでいること、計画は、里中にとって理想的なものだった。

そして先程の茶番は、「単なる冷やかし目的の訪問」の選別の為だった。最初は冷たい態度を取り、移住の熱意を確かめていたのだ。

里中は無愛想な理由が分かってようやく安堵した。

と同時に、どん底の状態に希望の光が見えてきたことに歓喜した。


里中は廃れた研究室のテーブルの真ん中で期待を膨らませていた。

先ほど大泣きしたので赤い目をしているが、時折、顔が笑顔になって

いるのが、彼自身でさえ気持ち悪かった。

いろんなことが頭に浮かぶ。 いったいどんな人達が刑務所移住計画

に賛同しているのだろうか? 

里中は事業に失敗した情けない社長だが、岡田博士は有名な大学教授だ。今日会う他の二人も何かの分野でずば抜けている人達に違いないと思った。

「エリート達に加わることができるのだ」と、勝手に思い込み、また

自ら微笑んだ。

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