第4話 石川の憂鬱

今度は石川の話をしよう。             

石川はいつも耐えていた、毎日が憂鬱だった。

「石川君! 撃ってみろ、クレー射撃と一緒だよ、やってみたいんだろ? オリンピックでたんだよな」

轟の呼びかけに顔がひきつりそうだった。これが頻繁に続くのだ。

閉ざされた空間で限られたスタッフ変化のない「見張り」するだけの職場、退屈な場所だけに同じことが繰り返される。

石川は心を見せないようにいつも誤魔化していた。

彼女がクレー射撃でオリンピックに出場した事を知っていた轟は、

しきりと人間ハンティングを勧めてきた。勧誘されるたびにやわらかく断るのだが強い圧迫感を感じていた。

罪人を撃てば轟は喜ぶのは分かっている。でも撃ちたくない。

部下である二人の刑務官坂上と太野は、絶対権力者の轟に石川がどう反応するか興味があるらしく薄ら笑いを浮かべながら見ている。

石川はとても不愉快だった。 30代後半のこのノンキャリのくたびれた二人は、上司でエリートの石川を好意的に見るわけがなく、むしろ舐めきっていた。

轟は今日こそは自分の命令を実行させたいらしく、ねちっこく見つめながらライフルをゆっくり差し出した。 轟は何かにつけて石川を挑発してきた。忠実な犬でないのが気に食わないのであろう。いつものように嫌悪感を見せない完璧な女を演じ、内面的にも完全にコントロールした。

「いえ。結構です」

「かわいそうだと思ってんのか。怖いのか? 殺人が?」

轟は近寄って思いっきりバーボンと煙草の混じった臭い息を吹きかける。勤務中にもかかわらず飲んでいるのだ。

轟はニコリと笑った後、刺すような目線で見つめた。そしてライフルを仰け反るほどに彼女の顔の前に突き出した。

銃を黙って受け取れば、轟の機嫌は良くなるのはわかっていたが、

過剰に銃を突きつけられ石川はいつもの落ち着いた状態ではいられなかった。いささか呆れて大きく息をはくと

「私が銃を撃つ時は誰かが私に狙いを定めたときです」と見返した。

轟はニヤリと笑うと、冷静にライフルを構えて、その銃口を素早く

石川に向けた。

信じられない光景と言うべきか、誰が見ても引き金には轟の指がかかっている。それを引けば頭がスイカのように吹き飛ぶのは間違い無かった。轟はいつも罪人達を撃ち殺しているだけあって、銃の扱いの早さと鋭い目つきは尋常ではなかった。

 石川は無意識に腰のガンホルダーから小銃を抜き轟に向けた。

これで、どちらかが引き金を引けば血の海がひろがり、少なくとも一人は即死する。その瞬間は、上司が部下に銃を向けるという違反行為を指摘することよりも、自身の命を守ることしか考えれなかった。

すなわち、死に直結している人間の自然な防衛本能をもとに彼女は

危機に対応した。

 石川は心の揺れが轟に見透かされないように心を静めた。

 そして、この予想不可能な上司が自分の頭を吹き飛ばすかどうかを考えた。先に撃つわけにはいかない。が、ただ撃たれるわけにもいかない。変な汗が額からしたたり落ちてきたが目を閉じるわけにはいかない。

 周りから見ると、その未来はネガティブに見えるはずなのだが、

周りにいる坂上と太野は二人を止めることはせず、おもしろい格闘戦でも見物するかのごとく興味深く見つめていた。

 長い間、殺気だけが鋭くて、死ぬかもしれない空気感、二人が微笑み合う異常なアンバランス感、その我慢できないような沈黙の後、

「バーン!」と轟が勢いよく叫んだ。

そして、狂ったように笑い、大きな身体をくねらせて奇妙に挑発する

と、ライフルの銃口を石川から外した。


石川は厳しい目で睨み返しながらも内心ほっとしていた。

遊びのつもりなんだろう。 轟は自分になびかなかった石川の態度に

怒りを感じないようだった。むしろ楽しそうに見えた。

轟は死すら恐れないのだろうか? 

まるで死神が目の前に立ったように背筋がぞっとしていた。

この得体の知れない化け物のような男の前で、動揺していなかったことを見せ付ける為に、足の震えを隠し冷静にゆっくりと銃をホルダーに戻さなければならなかった。


「おまえ。ここに来て何年になる?」

何事も無かったかのように轟は尋ねる。

「もうすぐ1年になります」

「そうか」

轟は、普通に戻ったようだった。

アル中? 麻薬中毒? 多重人格? 精神異常者? 

典型的な病名で表せない? 何か一言で彼の異常さを表せたらと思ったが無理なのは分かっていた。 

この男の本性を掴めなかった。 ただの低脳な暴力馬鹿なら簡単に

対策は練れるのだが、この男には、つけ入る隙が無かった。

むしろ轟は完璧なくらい賢かった。

轟の喋り方は、ある意味魅力的にも聞こえてしまう。ただ、男性として好意を持つというタイプの魅力ではなく、完全に違う世界から来た。死や悪と直接直結したような、独特で薄気味悪い神々しさがあった。

その理由からか、轟の時折見せる優しさというものは、なんとも誘惑的でもあった。

「どうだ」

裏がある優しい笑顔で轟は喋りかける。

「どうだといわれましても? 仕事ですから」

これ以上、この男と話したくはなかった。話せば話すほど彼の世界に

引き込まれるような脅威があった。 

轟は計算したようなため息をつく。

「俺も最初はおまえみたいに拗ねてたよ。政府の役人として、もっと

表舞台で活躍したかった」

「そうですか」

「特に君は女だしな。もっと華やかな職場がいいんじゃあないか?

こんなゴミ貯めより!」

「はい」

轟の罠かもしれないと思いながら、自分の気持ちを包み隠さず言って

いることに少し驚いた。生まれた初めて銃口を頭に突きつけられたので、興奮しているのかもしれない。

「罪人だらけのゴミ箱の管理なんて!って思ってるんだろ?」

「はい、正直そう思いますね」

「君みたいなエリートが、なんでこんなところに来た?」

なんで今さらこんなことを聞くのだ、と疑いながら返事をする。

「よくわかりません。そういう辞令が出ただけだと思います」

「上司と不倫かなんかしたのか?」

そこで轟の目がいやらしく光り、彼の言いたいことを理解した。

「もしそうならば上司のあなたにその情報が行っていると思いまが?

それとも全部分かって聞いてますか?」

石川が、不倫をしてこの刑務所に左遷されているのを、轟は馬鹿に

したいだけなのだ。

「そうか、それもそうだな。俺のところに情報がね」

不思議がるフリをして楽しそうに笑いながら轟は答える。

本当に嫌な男だ。

「ご存知ですよね」

石川は怒りを通り越して、冷静にこの男がどこまで知っているのか?

を推測したかった。

しかし、轟はもったいぶるように別の話でごまかした。

「言うなれば俺は地獄の管理人だ。いや管理人なんてものじゃない。

俺は閻魔大王と一緒なんだよ。偉いんだよ、俺は! 俺を監視しに

くる暇な政府の役人なんていない。来るのは暇人のわけの分からない

人類学者やなんとか学者が馬鹿見たいな趣味の研究でくるだけだ。

石川は、そんなアホな奴等を気にするべきではない。

お前はいずれ喜んで人間ハンティングをする、間違いないな!」


石川は醜い男との不快な会話に付き合うのは止めて話を変えようと

考えた。

「所長、もうすぐ刑務所見学の時間ですよ」

「今日も見学者がいるのか、めんどうくさいな!」

轟は不機嫌そうな顔で、ライフルを投げるように刑務官の坂上に渡し、

ポケットからタバコを取り出すと、坂上が、高級クラブのボーイの様

にいそいそと火をつけた。

「早計大学の文化人類学者の岡田教授と助手の上崎の2名です」

 すかさず太野が報告した。

「またあいつらか? 何がうれしくてこんなとこに来るんだろうな」

早計大学の岡田教授と助手の上崎という男女が、最近、刑務所に連続

で訪問していた。轟はそれを快く思っていなかった。

ただ、石川にとっては学識のある者達の訪問は、狭く閉ざれた社会にいる中で、息抜きにはちょうど良かった。

「さあ? なんか賢い人達って基本いかれてますからね! 特にあの方達は、轟所長に会いたくて会いたくてたまらないようですから」

石川は状況を説明した。

岡田教授と上崎が、訪問の度に「轟所長とお会いしたい」と、お願

いしてることを、何度も報告してるのだが、いつも轟はその報告を無視していた。たぶん意図的なのだろう。

しかし、今日の轟は違った。

「会ってみようかな。そのいかれた人達に」

彼は怪しい微笑みを浮かべると、タバコをおいしそうにふかし始めた。

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