第3話 最高刑務所

2026年に日本国政府が、刑務所のシステムを劇的に変更した。

財政赤字削減の為に懲役10年以上の重度な犯罪を犯したものは、

最高刑務所に入れられることになった。政府は財政赤字に悩む過疎化の市町村の一部を、そのまま高い塀で地区ごと囲みこんで刑務所に変えた。そこが、私のいる神社の周りの地区なのだ。

最高刑務所はむしろ「最終」刑務所と呼ぶにふさわしかった。

そこには「出所」というものが無いのだ。「一度入れば二度とは出ることが出来ない施設」が最高刑務所なのであり、政府は、重犯罪人達が、これらの施設で飢えて死ぬことを想定して、このシステムをつくりあげた。       

以前から、この国の刑法の甘さを嘆いていた轟にとっては、理想的な制度の変化だったと言えよう。     

2020年の終わり位から、これまで過剰なまでにごり押しされた

犯罪加害者保護の風潮から、被害者家族の気持を重視する方向に国民の気持が変化していった。たった一つの事件が大きく国民の考えかたを変えたのではなく、定期的に起こる動機のない無差別殺人事件やその他の凶悪事件の数々が国民を激怒させた。

例えば、老人ホーム・幼稚園・小学校等への弱者への大量殺人・

路上での連続殺人事件・祭りの大量毒殺事件・地下鉄化学薬品殺人事件などである。 その中には、犯罪者達自身で自殺をするのが恐いので、刑によって殺人を望む犯罪者達も沢山存在した。そのわがままな主張が報道で拡散されるに連れて、憤る世論が政治家達にこの制度をつくらせた。

轟もこんなに世の中がうまい具合に、彼の望む方向に進んでいくとは思いもしなかった。


 今から伝える話はこういう話なのです。

ここで神木の意見を聞きたい人がいるかもしれない?

「誰がいい人間なのか? 悪い人間なのか?」

 しかし私は答えない。

正義か悪かの判断は時代で変化していく。 ある人間を単純に善か悪かで線を引くのは不可能だと思う。善悪の判断は、あなた自身がしてくれれば良いと思う。私見は控えさせていただこう。

私は所詮一本の木、ありのままの話を中立的にさせていだだく。

話を戻そう。

 このシステムによって莫大な刑務所の管理費と重犯罪者達を社会から一掃することができた。導入時は、少数派の議員達が、国会で反対してみたが、与党の政治家達に相手にされることは無かった。

この最高刑務所のシステムは、国の財政赤字の削減には非常に適したシステムだった。

全国13ヵ所にある最高刑務所の一つが福岡にあり、その刑務所長が轟だった。部下に副所長(役職では課長)である石川がつき、下に主任の坂上と太野その他8名のスタッフがおり合計12名。このわずかな人数で広大な刑務所の敷地を管理している。かなり多忙な業務を行っているようにも思えるが、ここの刑務官がやる仕事は実際のところほとんど無い。

刑務官達の日々の仕事は「入所の立会い」と「モニターを眺める」だけ、高圧電流がはりめぐられた高い壁の向こうから入所者達をひたすらモニターで監視するのだが、実は、モニター監視さえも自動化されているので、多少サボってもシステムが動いてさえいれば何の問題もない。強固すぎるほど強固なこの刑務所は、監視する必要さえもない。


こういう形態の刑務所を認めた日本政府、政治家達、日本国民は、

「倫理的・財政的な理由から、犯罪者の改善更生、社会への円満な復帰を完全に諦めた」と言える。

最高刑務所では、犯罪者が飢えて死ぬことが前提とされた。

当然ながら政府がこの刑務所の中の犯罪者達の管理にモラルを求めるわけがない。ここで餓死した犯罪者の屍の回収を行うわけでもなかった。

 日本国が、この突き抜けた制度を始めた時は、世界中、特にヨーロッパを中心に「犯罪者の人権を守れ」の非難があったが、国内の世論はまったく揺るぐことがなかった。

 そのような状況の中で、福岡の最終刑務所の全てを任されている轟にとって、犯罪者達の生命は、轟の物と思い込んでも不思議ではなかった。基本的に世間の興味は刑務所内にはなく、入所すれば犯罪者達はすぐに餓死するものだと信じられている。そういう理由から轟の人間ハンティングが簡単に成り立ってしまうのだ。このような状況は轟の人間性を変えていった、彼の存在は刑務所では神のようなものだった。

 

 ただ、先月から少しずつその風向きが変わってきた。そのせいで轟は最近不機嫌になっていた。

昨年、国会で新たな法案が通過し、今年から犯罪者だけでなく「自殺希望者」までもが最終刑務所に入所できるようになった。この法律ができた理由は、自分では命を終らすことができない困った者達が、

凶悪な犯罪を起こして、刑の執行により命を終らせるのを防ぐ為のものだった。

その法律自体は、最終刑務所には何の影響を与えないと思われたが、ごく一部の人権派の国会議員数名の強い計らいにより多少状況が複雑になった。

それらの国会議員の主張では、「自ら自殺をするものは、まだ犯罪者ではないので、その入所者の命がつきるまで最低限の生活を保障すべき」というものだった。

聞こえの良い主張だったので法案は賛成多数で国会を通過した。

しかし、この制度が轟や刑務所にいろいろな災いをもたらした。まず、自殺志願者で入所する人のほとんどは一般の世の中についていけない人達ばかりだった。

 その自殺志願者のみに携帯を許された「箱」は通称「命の箱」と呼ばれた。自殺するまでの間の食料や衣類・そして睡眠薬等を入れることができる、いわゆる安楽死の為の箱だ。

 ただ、安楽死の箱は実際安楽死の為には使われず、凶悪な犯罪者がそれを略取している。本来、すぐに餓死するはずの犯罪者達が生き延びているという現状だ。すなわち、ほとんどの犯罪者達が入所して、餓死していくだけの刑務所だったのが、凶悪な犯罪者達が死なずに少しずつ増加しているのだ。

 日頃から「いかなる犯罪者は死ぬべきである」と考えている轟は、それを理由に人間ハンティングを行っているのである。


国会や法案だのややこしい話ばかりだが分かってもらえたら嬉しい。

 

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