そして始まる、私たちの物語! 3話


 レームクール邸が完全に見えなくなってから、私は前を向いた。レオンハルトさまが優しい瞳で見ていたことに気付いて、思わず顔を赤くさせる。――この感覚、慣れる日は来るのかしら?


「エリカ嬢、……大丈夫ですか?」

「……ええ。永遠の別れではありませんもの」


 それでも、両親の元から巣立つのは、寂しさを感じてしまう。


「ゆっくりとフォルクヴァルツに向かうルートなので、ついでにいろいろな場所も見ていきましょう」


 私に気遣ってくれているのかな? と思ったけれど考えてみれば彼はフォルクヴァルツ辺境伯。自分の治める領地や周りの領地を見て回りたいのかもしれない。


「それは楽しみですわ」

「結婚前にエリカ嬢のことを領民たちに知らせておきたいですし……」


 ――私の存在を知らせる? と目を数回瞬かせた。すると、レオンハルトさまはすっと視線を馬車の外へ向ける。思わず同じ方向に視線を向けると、――な、なにあれ!?


「……うーん、一度ここで止まりましょうか」

「は、はい……」


 御者に馬車を止めてもらう。……人が少ないとはいえ街道になんで、彼女がいるの!? しかもなんか、怖いんですけど!? どうやって塔から抜け出したのか、なにかを睨むようにこっちを見ているとか、乙女ゲームではなくホラーゲームの中だったと言われても納得するシチュエーションよ!?


 馬車が止まったことにより、彼女――アデーレが近付いてきた。レオンハルトさまはバンっと扉を勢いよく開け、彼女に向かって行った。


「レオンハルトさまっ!」


 思わず叫ぶ。そ、そうだ懐剣かいけん! 使い方なんて教わっていないけれど、近付いてきたら振り回そう。


「――どうしてそんなに、エリカ嬢を狙うのですか?」


 アデーレは男爵令嬢だ。そんな彼女がレオンハルトさまに敵うはずなく、あまりにも呆気なく彼女は捕まった。手首を掴まれて、アデーレが暴れている。


 懐剣を握りしめたまま、レオンハルトさまに近付いていく。


「どうしてっ、ダニエルルートに入ったのにっ! あんたのほうが幸せそうなのよ!」


 彼女がそう叫ぶ。……やはり、彼女は転生者なのだ。


「――私が幸せだと、あなたになにか不都合があるの?」


 ピタリと足を止め、こちらを睨むように見上げるアデーレに問いかける。彼女は表情を歪めて、笑う。


「当然でしょう。わたくしは、『エリカ・レームクール』が大嫌いなのだから!」


 ――彼女は、乙女ゲームの中の私を嫌っているのだろうと思う。だって、嫌われるほど彼女に関わっていない。レオンハルトさまは「なにを言って……」と眉をひそめた。


「ゲーム内であなたがどれほどわたくしに酷いことをしたと思うの!? 断罪されて当然のことを、していたのよ!」

「ゲーム……?」

「この世界はわたくしのもの! わたくしが幸せになるための場所! 『エリカ・レームクール』は不幸になるべき存在なのよ!」


 声を高らかにそんなことを口にするアデーレに、頭が痛くなった。ゲーム内の『エリカ・レームクール』と、この世界の『エリカ・レームクール』は同一人物ではないの。


「アデーレ嬢、この世界は、誰のものでもないでしょう。私たちはこの世界で生きているのだから、ひとりだけのために、世界は成り立たないわ」


 淡々とした口調でそう言うと、アデーレはギロリと睨みつけてきた。


 ――大丈夫、怖くない。


「あなたは、きちんと『私』を見てくれていたかしら?」


 ダニエル殿下の婚約者だった頃、私はあなたに近付かなかった。ゲームの『エリカ・レームクール』がしてきた悪事に手を染めなかった。それだけでも、わかるだろう。私が――この世界の、『エリカ・レームクール』が、断罪されるいわれ無いことを!


「う、るさい、うるさいっ、わたくしは、この世界の主人公なのよ!」

「……彼女、錯乱さくらんしているのですか?」


 アデーレと私の会話を聞いていたレオンハルトさまが、困惑したように視線をこちらに向ける。私は彼女が正気だと理解しているけれど、レオンハルトさまにとってはそう見えるわよね。


「――ええ、恐らく。私、アデーレ嬢とはあまり会話したことありませんし、ここまで憎まれているなんて、悲しいですわ」


 レオンハルトさまから見えないように顔を背ける。アデーレは、ぶつぶつとなにかを呟いている。耳を澄ませると、「そんなはずない、わたくしが主役、幸せになるのはわたくし」と聞こえてくる。


「レオンハルトさま、アデーレ嬢をこのまま拘束してくださいますか?」

「え? は、はい」


 私に手出しを出来ないように、きつく彼女の身を拘束するレオンハルトさま。私は、彼女に近付いて耳元でささやく。


「――あなたひとりがヒロインだと、思わないことね」


 この世界で生きているひとりひとりが、ヒーローでヒロインなのだから。


 その言葉を聞いて、アデーレは弾かれたように顔を上げて、悔しそうに表情を歪め、がくんと項垂れ涙を流した。


 その後、塔から抜け出したアデーレは城の騎士たちに引き渡され、私たちは再びフォルクヴァルツへ向かうことになった。馬車に乗り込み、背もたれにもたれかかってしまう。


「エリカ嬢、隣に座っても?」

「は、はいっ」


 ハッとしてきちんと座ろうとしたけれど、レオンハルトさまに「そのままで良いですよ」と優しく言われた。


 私の隣に座るレオンハルトさまは、御者に合図を送り馬車を再び走らせる。動き出してから、そっと私の頬に手を添えて、「大丈夫ですか?」と小首を傾げて聞いてきた。


「平気ですわ。レオンハルトさまも、大丈夫でしたか?」

「オレはまぁ、慣れているので。彼女の爪がちょっと当たったくらいだったので、平気ですよ」

「爪が? き、傷になってはいませんか?」


 私が傷を見せて欲しいと何度もお願いすると、根負けしたレオンハルトさまが手を見せてくれた。アデーレの爪で引っ掻かれたようで、じんわりと血が滲んでいた。ハンカチを取り出して、レオンハルトさまの手に巻き付ける。


「――ごめんなさい、レオンハルトさま。私のせいで……」


 明らかに、アデーレの狙いは私だった。私のせいで怪我を負わせてしまったことが心苦しい。しゅんとした私に、レオンハルトさまがこつん、と額を合わせた。


「――ありがとうございます、エリカ嬢」

「……え?」


 お礼を言われる覚えがなくて、戸惑った声が出た。レオンハルトさまはふっと目元を細めると、添えていた手とは反対方向の頬に唇を落す。


「れ、レオンハルトさま?」


 一気に体温が上昇した気がする。絶対に今の私、顔が真っ赤だわ!


 彼のことになると一気に赤くなっちゃうのはなんでなの!? いや、それほど好きになったということなんだろうけれど……!


「オレのことを心配してくれたのが、嬉しくて。好きな人に心配されるというのは、こんなにも心が満たされるものなのですね」

「――……ッ」


 レオンハルトさまが本当に嬉しそうに言うものだから、なにも言えなかった。

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