そして始まる、私たちの物語! 1話


 翌朝、いつものように身支度を整え(長距離の移動だからドレスは楽なものを選んだ)、お母さまからいただいたブローチを身に付け、さらにお父さまからいただいた懐剣かいけんを忍ばせて食堂まで歩く。身支度を手伝ってくれたメイドたちは寂しそうに微笑んでいた。


「――エリカお嬢さま」


 メイドのひとりが私の名を呼んだ。足を止めると、彼女は穏やかな笑みを浮かべていて、目にはうっすらと涙の膜が。私がレームクールを去ることを、寂しく思ってくれているのだろう。


「お嬢さまの幸せを、願っております」

「……ありがとう。お父さまたちを、よろしくね」


 この前も同じようなことを言ったけれど、念押しするように伝える。すると、彼女たちは真剣な表情でこくりとうなずいた。


 食堂の扉を開けてもらい、自分の椅子に座る。お父さま、お母さま、レオンハルトさまがこちらを見たので、にこりと笑みを浮かべて、


「おはようございます」


 と、挨拶をした。


「おはよう」

「おはようございます、エリカ嬢」

「おはよう、よく眠れたかしらぁ?」


 お父さま、レオンハルトさま、お母さまの順。


「ええ……と、言いたいところですが、ワクワクしてあまり眠れませんでした」


 それは本当のこと。私、物心がついた頃からこの家で暮らしていたから……。ここから離れることになるのは、ダニエル殿下との婚約のときに覚悟していたけれど、こういう形で離れるとは考えてもいなかったからとても不思議な気持ちになった。


 でもね、離れることになるのに、後悔はないの。


 私の好きな人と一緒に暮らせるのだもの。お母さまも、レームクール家に嫁ぐとき、そんな感じだったのかな?


「朝食を食べ終えてすぐに向かうのかい?」

「その予定です」

「……寂しくなるわぁ。お手紙、たくさん書いてちょうだいねぇ。お母さまもたくさん書くから」

「もちろんです、お母さま」

「たまにはお父さまにも出してくれよ?」

「ふふ、お父さまにも書きますわ」


 私たちの様子を、レオンハルトさまは微笑みながら眺めていた。


 その日の朝食は、朝から豪華だった。料理長が張り切って作ってくれたみたい。


「ところで、ふたりだけで行くのぉ?」

「護衛は必要ないのかい?」


 レオンハルトさまに視線を向ける両親。レオンハルトさまはその視線を受けて、「途中で合流する予定です」と答えた。途中で?


「王都から出たあとに合流する予定なんです。護衛には、ちょっと調べてもらっているものがあったので」

「調べてもらっているもの?」


 首を傾げて尋ねると、レオンハルトさまはこくりとうなずいた。そして、言おうか迷っているように視線を彷徨わせてから、私を見つめる。


「エリカ嬢が、アデーレ嬢のことを気にしているようだったので……」


 アデーレのことを調べてもらっていたの!? と驚いて目を丸くしてしまった。


「あの子、まだ塔にいるはずよぉ?」

「ええ。ですが、念のため。邪魔されたくありませんし」


 レオンハルトさまの言葉に、頬がじわじわと熱くなる。お母さまは「まぁ」と目を輝かせ、お父さまはなにかを考えるように口元に手を置いた。


「アデーレ・ボルク男爵令嬢は、頭を冷やすために塔で過ごしているけれど、あのままダニエル殿下と結婚するのかねぇ?」


 お父さまが悩むように口にする。


「彼女と結婚することを選ぶのなら、それはそれで愛だとは思うわよぉ?」


 お母さまが頬に手を添えて、ゆっくりと息を吐く。その表情から察するに、『どうでも良い』って感じかしらね。レオンハルトさまが私たちを見渡して、眉を下げた。


「ダニエル殿下は本当に彼女のことが好きなのでしょうが、アデーレ嬢のほうはどうでしょうか? わたしには、彼女はなにかに憑りつかれているように見えるんです」


 ――否定はしない。できない。彼女のあの感じだと、本当に憑りつかれているように見えるもの。自分が国母になると信じて疑わないのは、ヒロインであることを知っているからだろうけど。それを口にしてはいけないと思うのよ。


「デイジーさまも頭が痛いでしょうねぇ。陛下もでしょうけどぉ……」


 お母さまがデイジーさまのことを心配しているみたい。確かに大変だと思う。


「王太子を決めるのを、先にしていて良かったのかもしれないな」

「そうねぇ。こうなったら、陛下にはまだまだ元気でいてもらわないと困るわねぇ」


 頬に手を添えて目を閉じるお母さま。ゆっくりと息を吐くと、ちらりとレオンハルトさまを見た。


「エリカのことをお願いします」

「――はい、お任せください」


 すっと胸元に手を置いて、軽く頭を下げるレオンハルトさまに、お母さまは満足そうにうなずいた。


「一体どんなことを調べてもらっていたんだい?」

「アデーレ・ボルク男爵令嬢と、ダニエル殿下がどうやって恋仲になったか、を主に。曲がり角でぶつかったのが出会いだったそうですよ」


 ――少女漫画かな? 遅刻遅刻~って食パンを咥えて走るやつ。実際そんな人を見たことはないけれど。それに、私たちが通っていた学園は貴族しかいなかったから、さすがに食パンを咥えて走る人はいないだろう。貴族がそんなはしたない姿を見せるわけにはいかないのだから。


「良く調べたわねぇ」

「記憶力が良い人たちのおかげですね。どうやら、アデーレ嬢はダニエル殿下を狙ってぶつかりに行ったようなので」

「……計算された出会いだったと?」

「恐らく」


 ……ゲームでヒロインと攻略対象の出逢いってどんな感じだったっけ。アデーレが転生者だとしたら、曲がり角でぶつかって、が正解だったのかな?


 私の記憶曖昧だなぁ。この世界に転生して十八年も経つのだし、曖昧になるのも無理はない。


「ダニエル殿下を狙って接触していることは良いのですけれど、彼女の場合……なんと言うのでしょうか、男を手玉に取ることに集中していたようで、授業中でもいろいろあったようですよ」

「……知りませんでした」


 彼女に興味がなかったのも事実だけれど、それどころじゃなかったと声を大にして言いたい。そして、レオンハルトさまから聞く内容が噂話で耳にしたことあるなぁと思って、私は肩をすくめた。事実だったんだ。なにをしているの、アデーレヒロイン

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