荷造りを終えて


 ――あのあと、レオンハルトさまは私を部屋まで送ってくれて、去り際にもう一度、唇を重ねた。……寝付けなかったのは言うまでもない。それでも短時間は寝たと思う。たぶん。


 朝にメイドたちに起こされて、「昨夜、なにかございましたか?」とたずねられるくらいには、表情を取り繕えていなかったのだろう。いや、無理だろう、たった数時間前のことを思い出さないなんて出来ないわ!


 私が顔を真っ赤にさせたのを見て、ピンと来たのか、メイドたちはみんなあたたか~い視線を向けてきたので、誤魔化すように「今日は昨日の荷造りの続きをするわ!」と宣言した。


 メイドたちはにこにこ……いや、にやにや? と笑っている。見透かされているようでなんだか恥ずかしい。


 ドレスに着替え髪を整え、化粧で肌のコンディションを誤魔化し(眠れなくてくまが出来ていた)、朝食のために食堂へ。両親はまだ帰って来ていなくて、ふたりだけの食事だった。


 レオンハルトさまは私に気付くと、爽やかな笑みを浮かべる。


「おはようございます、エリカ嬢」

「おはようございます、レオンハルトさま。……昨夜は、ありがとうございました」

「いえ、こちらこそ」


 なんて会話をして、ふたりして顔を赤くさせる。だってまだ、感触を覚えている。そんな私たちのことを、使用人たちはみーんな、あたたか~い目で見ているものだから、なんだかすっごく気恥ずかしい。


 ――とも言えないから、とりあえず食事をしようと椅子に座る。レオンハルトさまも。すぐに食事が運ばれて、黙々と食べる。


 食事を終えて、今日はこれからどうするのかを聞かれたので、荷造りをすることを伝えた。本当はメイドたちに全部任せればあっという間に終わるのかもしれないけれど、嫁ぐための準備だもの。出来る限り、私自身が選びたい。


 ……ダニエル殿下からもらったものは、デイジーさま経由で返そうかしらとも考えている。あの宝石たちを受け取るのは私ではなく、アデーレだろう。アデーレが要らないと言うのならば、まあ宝石なのだし使い道はあると思う。


「では、わたしは少し出掛けてもよろしいでしょうか?」

「どちらに向かわれるのですか?」

「ちょっと鍛冶屋に。どんなものが置いてあるのか、気になっていて」

「フォルクヴァルツと同じようなものかもしれませんが……」

「趣味のひとつなんです、剣や鎧を見るの」


 そう言って微笑むレオンハルトさまは、まるで少年のようだった。剣や鎧を見るのが趣味……。むしろ、国境を守るフォルクヴァルツの辺境伯だからこそ、より良い質の武具を見たいのでは? と考えた。


「ゆっくり見てきてくださいませ」

「ありがとうございます。エリカ嬢は、屋敷から出ないのですよね?」

「ええ」

「では、レームクール伯爵と伯爵夫人が戻られたら、向かいます」


 メイドたちもいるし、屋敷内にひとりでも大丈夫なんだけどなぁと思いつつ、私のことを思って言ってくれているのだろうなぁ。優しい人だ。


「お気遣いありがとう存じます、レオンハルトさま」

「さて、なんのことでしょう?」


 私の言葉に、彼はそう返した。その口調はとても軽くて、私がなにに感謝しているのか理解した上で、気にしないようにしてくれているみたい。……ダメね、一度好きになるとどんどんと深みにはまっていく。


 レオンハルトさまと出逢って、恋を知った。そしてこれから、その恋を愛に変えていく。ふたりで想い合っていけたら、きっと良い夫婦関係を築き上げられる――そう遠くない未来を想像して、小さく笑みを浮かべた。


 そして、お父さまとお母さまが帰って来てから、レオンハルトさまは出掛けて行った。それを見送り、荷造りの続きを始めようとすると、お母さまに声を掛けられた。


「エリカ、ちょっとこっちに」


 手招かれて近付いたら、手首を掴んでスタスタと歩き出す。お母さまの部屋に入り、ぱたんと扉を閉めると掴んでいた手を離し、戸棚から小さな箱を取り出した。


「お母さま? これは?」

「お母さまの家に代々伝わる、アクセサリーなの」


 そういうお母さまの声は弾んでいて、首を傾げる。そういう話を聞いたことがなかったから、少し驚いた。


「これはねぇ、お母さまが受け継いだものなのよぉ。祖母から母へ、母から娘へって受け継ぐもの。――嫁ぐときに、渡すものなの」


 お母さまは小さな箱の中身を見せてくれた。


「ブローチ?」


 オレンジ味のピンク色。美しいその宝石を見て、思わず感嘆の息を吐いた。


「ええ。この宝石にはね、『夫婦のお守り』、『慈愛』、『安心』という石言葉があるのよぉ」


 小さな箱からブローチを取り出し、そっと私のドレスにつける。


「――あなたの子が女の子だったら、その子に受け継がせてね」


 にっこりと微笑むお母さまに、私はなんだか目頭が熱くなった。お母さまに抱きついて、お母さまたちの娘であることを嬉しく思うことを伝えると、お母さまも涙を流してそれから私の頭を撫でてくれた。


「幸せになりなさい。あなたの幸せが、お母さまたちの幸せなのだから」


 小さな子どもに諭すような優しい声。鼻の奥がツンと痛む。こうして私のことを思いやってくれるお母さまと離れて過ごすことになるのが、少し切ない気持ちにさせた。でも、それでも。私は――……


「幸せになります、絶対に」


 彼とともに生きることを、望んだ。


 顔を上げてお母さまを見る。それから、お母さまはふふっと笑みを浮かべて、「荷造り手伝うわぁ」と言ってくれた。このブローチ、大切にしよう。


 自室に向かい、メイドたちとお母さまに手伝ってもらって昨日の続きを始める。私の胸元に付けられたブローチを見たメイドたちが、ほんの少し寂しそうな表情を見せた。


「エリカがここから離れちゃうのが寂しいのよねぇ」

「はい、奥さま」


 お母さまの言葉に同意するようにうなずくメイドたち。また目頭が熱くなる。それを誤魔化すように荷造りに集中していたから、思っていた以上に早く荷造りが終わってしまった。


 レオンハルトさまに三日あれば、と言ったのに予想以上に早く終わってしまったわ……。と言うのも、「あとで必要になったら手紙をちょうだい」というお母さまの言葉があったからだ。


「エリカはお母さまの子なんだから、いつでも頼ってちょうだいねぇ」


 ふわりと笑うお母さまに、私は元気よく「はい!」と返す。離れていても、私は『レームクール』の娘なのだと、伝えてくれているのだろう。


「すぐに向かうの?」

「そうしたいのはやまやまですが……、もう一度陛下たちにお会いしてからが良いでしょうか?」

「うーん、エリカはもうあの人の婚約者じゃないし、大丈夫だと思うけれど……?」


 名前も呼びたくないのですね、お母さま。しかもそんなに顔をしかめて。


「結婚式には呼んでちょうだいねぇ」

「もちろん、呼びます。お母さまたちに、見てもらいたいもの」


 私が幸せになるところを。だってそれがきっと、最高の恩返しになると思うの。


 レオンハルトさまとの結婚式を想像して、思わず顔が赤くなる。そんな私の様子を、みんな見守っていた。

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