アデーレの言ったこと 3話


 それにしても、レオンハルトさまはどうして私に会いに来てくださったのかしら? と目で問うように見つめていると、彼はお茶を一口飲んでから、口を開いた。


「出来るだけ早く、エリカ嬢とフォルクヴァルツに向かいたいと考えています」

「……本当ですか?」


 思わず目を丸くして、聞いてしまった。だって、私は本当にこの王都からレオンハルトさまが治める領へ行きたいと考えていたから。


「ええ。エリカ嬢のご両親も賛成してくださっています。なので、準備が整い次第、フォルクヴァルツへ行きたいと考えているのですが、その、エリカ嬢は本当によろしいのですか?」


 なにが『よろしい』のかしらと首を傾げると、レオンハルトさまは眉を下げた。


「慣れ親しんだ土地から去るのです。それに、フォルクヴァルツはあなたが思うような場所ではないかもしれません」

「――大丈夫です」


 自分の声が、柔らかく響いた。レオンハルトさまを安心させるように微笑み、私はお茶を一口飲んで喉を潤してからじっと彼を見つめた。


「私は大丈夫です、レオンハルトさま。だって、好きな人とともに歩むことを選んだのですから」


 カップを置いて、胸元に手を添える。そっと目を伏せてそれから顔を上げて、真っ直ぐに彼の視線を受けた。


「エリカ嬢……」


 どこか驚いたようなレオンハルトさまの表情。その表情がとても愛おしい。――誰かを好きになるって、こんなにも幸福な気持ちになれるのね。


「私はあなたと、フォルクヴァルツで生きていきます。そして、フォルクヴァルツをより良い場所にしたいです。それが、今の私の夢なのですよ、レオンハルトさま」


 照れたように頬を染めてしまう。きっと、レオンハルトさまと一緒なら、どんな苦悩でも乗り越えていけると思う。彼が私を支えてくれるだろうと、確信めいた自信があった。そして、私も彼を支えるつもりだ。夫婦は、支え合うものだから。


「なら、いろいろと急ぎましょうか。アデーレ嬢が言っていたことも気になりますし」

「そうですね……」


 ゲームの通りに進行はしていないから、大丈夫だとは思うけれど……。きっとこれから、ますます慌ただしくなるだろう。アデーレも、塔で頭を冷やしてくれていたらいいのだけど……。塔にいる間はたぶん、大丈夫だろうから、アデーレが出て来る前にフォルクヴァルツに向かいたいところね。


 私はヒロインじゃないから、不思議な力なんて持っていない。


 あの乙女ゲームでアデーレがヒロインだった理由は、不思議な力が使えたからだった。――でも、その不思議な力の欠片も、アデーレは見せていない気がする。


 どういうことなのかしら……?


「難しい顔をしていますが、どうかしましたか?」

「いえ。本当に……、早くフォルクヴァルツが見たいですわ」


 緩やかに首を振って、にこりと微笑んでみせると、レオンハルトさまは小さくうなずいた。


 そのあとすぐに、食事の準備が整ったとメイドが知らせてくれたので、レオンハルトさまと一緒に食堂に向かう。手を繋いで歩くだけでも、こんなにドキドキするんだ、と甘い恋の蜜に心が浸かったみたいに感じた。


 食堂にはお父さまとお母さまがすでに座っていて、私たちが手を繋いでいるのを見て微笑ましそうに目元を細める。


「うふふ、すっかり恋する乙女の顔ね」

「えっ」


 思わず頬に手を添えてしまう。お父さまが「良かったなぁ」と穏やかに言ったけれど、私の顔はそんなに恋をしているように見えるのかしら、と戸惑う。ちらりとレオンハルトさまの顔を見ると、彼はじぃっと私を見つめていて、鼓動が跳ねた。


「わたしの顔はどうでしょう?」


 それから、お母さまに向けて顔を見せるレオンハルトさま。お母さまはキョトンとした表情を浮かべてから、くすくすと笑った。花が綻ぶようなその笑い方は誰をも魅了するように思えた。さすがお母さま。


「そうね、とても良いと思うわぁ。互いのことを想いあっていることが、わかるもの」


 にんまりと弧を描くお母さまの口元に、お父さまが「とりあえず、食事にしようか」と椅子に座るよううながした。


 お父さまとお母さまは、レオンハルトさまにフォルクヴァルツがどういうところなのか聞いていた。私が知っているフォルクヴァルツ領は本で得た知識だから、レオンハルトさまの話はとても興味深かった。


 辺境地は戦争時に狙われやすいけれど、フォルクヴァルツの守りはどこよりも優れていて、堅実な戦法を用いてあの地を守っているらしい。フォルクヴァルツには港もあるから、活気があり、美味しい魚料理が自慢とも。


「あらぁ、それは一度食べてみたいわねぇ」

「エリカの結婚式にはいくから、そこで楽しむのはどうだろう?」

「良いわねぇ。そう言えば、いつ向かうかは話し合ったのかしらぁ?」

「出来るだけ早く、とは考えています」


 ちらっと私を見るレオンハルトさま。こくりとうなずくと、お父さまもお母さまも「そう」と優しく微笑んだ。


「寂しくなるわねぇ。でも、エリカが幸せになれるなら、お母さま、嬉しいわぁ」


 お母さまは目元を細めて私を見つめる。お母さまからの愛情を感じて、私はなんだか切なくなった。


 エリカ・レームクールとして過ごしてきた十八年間。両親は私のことを、支えてくれていた。その恩を、どうやって返せば良いのだろう?


「フォルクヴァルツには、王都にないこともたくさんあるだろう。たまにでいいから、そのことを手紙で教えてくれないか?」

「お父さま……」

「エリカが幸せに生きることが、一番の恩返しだと思って暮らしなさい」

「……はい。ありがとうございます」


 私の考えを読んだのか、そう言ってくれたお父さまに私は目を伏せて頭を下げた。


 ――私、エリカ・レームクールに生まれ変わって良かった。こんなに家族に愛されて、嬉しい。


 だからこそ、私たちがフォルクヴァルツにつくまで油断はできない。私は必ず、ハッピーエンドを掴み取ってみせる。


 そう考えて――顔を上げた。


「――レオンハルトさま、付き合っていただきたいことがあります」

「わたしでよければ」

「ありがとうございます」

「それで、付き合って欲しいこととは?」


 と、尋ねる彼に、私は笑顔を浮かべてこう言った。


「デイジーさまとのお茶会です」


 目を丸くするレオンハルトさまと、驚いた表情を浮かべる両親。デイジーさまに、聞きたいことがある。でも、ひとりで王城に向かうのは勇気がいる。


 だから――レオンハルトさまに、付き合ってもらいたかった。

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