逃飛行の始まり

「私は……、───ベルンについていきたい。もしそれが夢だとしても、私はその夢がみたい。楽しい夢を、見ていたいの」


 その願い、この仮面の魔女がしかと聞き入れました。


 私は手に杖を持つと、それを地面にトンと突き、声をあげます。


「───我は解き、結ぶ」


 地には大きな魔法陣が出現し、血が通うように緑の波紋が、線に沿って流動を始めました。


「神のみに許される禁忌の銀、我が手で掬うことを認めたまえ」


 辺りに露出していた鉱石は七色の輝きを放ち、広間には鐘の音が響き渡ります。私は膨大な魔力の渦に毒されないよう、全神経を杖を握る手に集中させ、ひたすら唱え続けました。


「干渉・解体・構築・定着・移行・更新………………、譲渡・探求・収集、そして再構築……」


 額からは汗が滝のように流れ落ち、言葉を紡げば紡ぐほど、意識は段々と遠退いていきます。


 ───あぁ、そうだ。大事なことを聞くのを忘れてましたね。


「……ミカ、あなたは夢の中で、どんな動物になっていますか?」


「それって……」


「犬ですか? それとも鳥ですか? あぁ、兎なんてどうでしょう。きっと、よく似合いますよ」


 私は必死に平然を装いながら、とにかく思いつく動物の名を挙げました。


 あとは、そうですね……、蛇とか蝶とか鼠とか。いっそドラゴンもいいかもしれませんね。


 飛竜に生まれ変わるのなら、是非私を背中に乗せてほしいです。箒で飛ぶのにも魔力を使いますので。



「私、猫がいい。黒い猫になりたい」



 ミカは言いました。黒猫になりたいと。


 私が理由を尋ねると、彼女は笑いながら答えました。


「だって、魔女の相棒は黒猫じゃなきゃ映えないよ」


 たしかに、そうかもしれませんね。私も丁度そう思っていたところです。


 旅に連れる友達は、一匹の猫がいいと。


「───理の欠片を、今書き換えよう……、『リビルド』!」


 その名を放った瞬間、七色の光は一つになり、白の閃光が視界を全て塗り潰しました。


 何も、見えません。


 何も、聞こえません。


 でも、わかります。ミカの声が、私には届きました。



『ベルン、ありがとう。私はここから、旅の夢をずっと───……』



 ミカは緑の丘の上に立っていました。とても穏やかな顔で、こちらに手を振ってくれています。


 私は手を振り返しました。やがて目に映る景色は薄くなり、段々と見えなくなっていってしまいます。


「ミカ。これからお供、よろしくお願いしますね。私の果てなき旅路の───いや、果てなき " 逃飛行 " の」


 私の言葉に、ミカは何かを口にしましたが、私にはそれがなんと言っているのか、聞き取ることができませんでした。


 でも、構いません。


 彼女の続きは、きっと「この子」が語ってくれることでしょう。


 一人と一匹、私たちはその場を去りました。




 時は移り、某月某日。


「ひゃあー、やっぱり風が冷たいですね」


 私は吐く息を白く染めながら、とある北の国を訪れていました。女神の名を冠するこの国は、私にとって初めての外国です。


 右を見ても左を見ても、そこにはファンタジアにあったものとは全く異なる街景色が。レンガ造りの家屋が連なる我が祖国とは違い、この国では木の香りが漂います。


 私は視界の端に見えた建築物に目をやり、それを遠目から観察し推察しました。


 ───なるほど、この国では木で作られた建物が主流のようですね。となると、その他の生活様式なんかもこの国独自のものが採用されているのかもしれません。


 私は溢れる好奇心を抑えることができそうにもなく、人でごった返す大通りを容赦なく駆け出しました。


「ほら、早くしないと置いていきますよ、『ミカ』!」


 振り返ると、そこには一匹の黒猫……私と旅を共にする相棒の「ミカ」が、呆れたような顔で大あくびをかましています。なんともまぁ、生意気なやつですよまったく。


 私はそんなミカの首根っこをガシッと掴み、三角帽子の上にちょんと乗せると、ニャーニャー喚くのにも構わず再び走り出しました。


 立ち止まるなんてありえません。この国でやりたいこと、まだまだ沢山あるんです! うかうかなんてしてられませんよ!


「まずは『蜂蜜が美味しいパン屋さん』を探しましょう! さて、しゅっぱーつ」


 こうして、私と一匹の " 逃飛行 " は始まりました。───楽しさを求め、退屈から逃げるための。



 ……あ。タイトルの「逃飛行」は、「逃避行」の誤字とかじゃないですよ? " 逃げるための飛行 " と書いて「逃飛行」です。



 それが私、「仮面の魔女ベルン」の物語なのです。



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