第3章2節


 

 道端で拝借したバイクは快調に走る。枯葉の上を、砂利の上を、アスファルトの上を。

 

 どうにも前を見たい気分ではなかった。それでも見なければならない――いや、たとえ目を瞑ったとしても、森の匂い、小石を跳ね上げる感触、ヒトの会話する声。そのどれか一つでもあれば、あの夢想から追い出されてた筈だ。

 

 その証左に、道中で一度だけ夢想の視界に戻った時のこと。その四分間は茂みに潜んで休息を取っていたけれど、「引き返すならこれが最後だぞ」と、延々語りかけられているようだった。

 

 つまりは、この「引き返す」って言葉が、夢想の外に出たからこそ使うものだ。

 

 それで、今でも家出を引き摺ったまま、何処からか雨漏りでもするようにクダラナイ考えが降ってくる。

 

 もしも、【パノプティコン】が目に見えたのなら、私はそいつを敵として戦えた、とか。

 

 もしも、私が同化できたなら何も知らず、テキトウな居場所を得られていた、とか。

 

 もしも、私が本物の化け物であったなら終わりなど訪れず、何を偽る必要もなかった、とか。どれもこれも実にクダラナイ雑音だ。

 

 だから、それらはこの身体を除いて払える唯一の対価であって。

 

 どこまでも、私には不釣り合いな幸いなのだと思う――鍵を回してエンジンを切った。

 

 案の定、街まで出てしまえば地図なんて必要なかった。

 

 郊外からでも一目でソレと分かる鉄塔をあてにすれば、高台から周囲を見下ろすように、そいつを携えた御立派な高層建築が鎮座していた。

 

 そのロータリーで、鍵を刺したままバイクを下りる。

 

 深く息をして、準備体操をするように筋を伸ばした。陸の運転はあちらこちらに気を配らなけらばならず、どうにも不向きな気がしてならない。

 

 今度があったなら素直にタクシーを手配しよう。そんなことを頭に浮かべながら、矢鱈と大きなガラス扉を押し退けた。

 

 受付を通り過ぎる。何か話しかけられた気もするけど、面倒なので無視をした。

 

 御丁寧に置かれた案内板へ目をやってから、正面の階段を一段ずつ踏みしめる……思いのほか消耗が激しい。

 

 どうにかこうにか予定の部屋までやってきて、その扉を前にもう一つ息を入れる。

 

 ノックもせずドアを開けると、事務用デスクへ御行儀良く着いた人々が十ほど見て取れた。

 

 そして、その背中達が形作る通路の先へ目をやれば、この部署を統括しているだろう人間がピタリと目に留まる。

 

 そいつを目がけて通路を歩く。節目のないファンの音に対して、私の足音は一際大きく響く。

 

 回り込んで統括の後ろに立つと、白髪交じりの後頭部越しにブラウン管が見えた――喫茶店に置かれたテレビゲームのように【絵】が表示されている。

 

 そこから伸びる配線はキーボードと、申し訳程度にボタンが二つ付いただけの入力装置……そうか、実物はこんなマシンだったのか。

 

 あのオーバーな、まるで『世界が変わる』とでも言いたげな広報は、今となっては笑い話にもなりやしない――いや、きっとただただ信じていたのかな。

 

 何にせよ、その二十年は最新機種であり続けているコンピュータ、そいつがデスクの左半分を占めていた。もう半分には随分と黄ばんだ書類が積まれていて、見てくればかりは活気に満ちている。

「鍵は何処にある」

 

 眼前の後頭部へ投げかけた。もちろん、当の男でさえこちらを見ようともしない。

「そちらの棚にありますよ。許可証はお持ちですか」

「いや、そんなものはない」

「でしたらお渡しすることはできません」

 

 機械音声の方がいくらか愛嬌があるだろう。そんな声色でそいつは答えた。

「そうか分かった、ところで鍵は棚にあるもので全てかな」

「そうですね」

 

 それだけ分かれば十分だ、聞くが早いか棚を物色する。

 

 手あたり次第、その存在意義すら疑わしい鍵達を片っ端からポケットへ詰める。

 

 以上で用事も済んだから、この場を立ち去る――。

「持ち出してはいけません。戻してください」

 

 鍵が出す音を聴いてか、流石に静止されてしまった。だからなんだということもないけれど。

「困ります。戻してください」

 

 足を止める。そちらへ顔だけを向けると、男もこちらを向いていた……なんとなく遊びたくなった。

「止めたいなら、せめて椅子から立ったらどうかな」

「そうしたら返却して頂けますか」

「なるほど、ごもっともだ。たしかに必要ないね」

「分かって頂けて何よりです。早くキーを戻してください」

「そう言われても戻すつもりはない……だったなら、『戻してくれ』と言い続ける必要もないんじゃないかな」

「いえ、キーの管理はワタクシの責務です」

「それはまた、模範的な素晴らしい社員だ」

「はあ、ありがとうございます。普通だとは思いますが」

 

 男は異邦人へでも向けるような白々しさで、こちらを眺める……はてさて、何か面白い問いはあっただろうか。

「そうか。ところで鍵を戻す前に一つ尋ねるけど、貴方は『いただきます』って言葉は誰の為に言うんだと思う」

「はあ。一般的には食物や食物に関わった人々に対してかと」

 

 ミノリは、どんなニュアンスで不思議がってたか……まあ、「食物の目線に立ったなら」と、そんな筋書だった気がする。

「なるほど、そうかもしれないね。けれど、食われる側の実情を考えると可笑しくないかな。彼らにしてみれば一方的に、自分勝手で殺されて、その上骸を煮るだの焼くだの貶められる。それで、我ら加害者が何を言うかといえば『ありがとう』なわけだよ」

「そうですね」

「ちなみに、貴方へ同じようなこと。例えば、強盗にあって殺された上に自宅を焼かれたら『ありがとう』と言われたいのかな。まあ、死人には口も耳も無いんだけど」

「さあ、考えたくもありません――失礼ですがお疲れなのでは。お休みになられた方が良いと思います」

「どうも、御忠告ありがとう、まったくもってその通りだ。君達は本当に間違えを言わないね……それじゃあ御言葉に甘えて、御暇をいただくとするよ」

 

 そうやって適当に言葉を投げやり、来た道をなぞって戻る。後ろから声をかけられた気もしたけれど、面倒なので無視をする――結局、部屋に入って以降、その声をおいて他を聞くことはなかった。

 

 扉が閉じ切ったのを確認して、社会科見学でもするように廊下を歩く。外観は見ていた筈だけど、内部は思いのほか広いようだ。

 

 当て所もなく歩いても仕方がないと足を止める――何処に置かれているものかと、記憶を探った……たぶん階段の付近にあるだろう、それが理にかなっている。

 

 その考えは運良く的を得ていたようで、階段の前にはエントランスよりか詳細な案内が示されていた。どうやら、もう二つも上れば着きそうだ。

 

 

 人工灯に照らされる、カーテンの閉まった辛気臭い部屋。

 

 きっと、ヒトの生きる目的がサイワイにあるとするなら、私と違って彼らは正しい。彼らは幸福を発明したのだ――だってそうだろう。

 

 問題は、それ以上を求めるから問題と呼ばれるのだ。どっかの誰かさんから見て違和感ばかりだと思えても、当事者が気にしないのなら、少なくとも彼らにとっての問題ではない。

 

 ヒト如きに蜘蛛のサイワイなど分からないし、蜘蛛如きにもヒトのサイワイなど分からない――どちらが私で、どちらが彼らなのか、なんてどうでもいいか。

 

 サイワイとは変わらないこと、求めないこと、疑わないこと。高々それだけが、あちらとこちらを分かつ境界なのかもしれない。

 

 彼らは一人で完結している、そう見えてならない。それはどうしようもなく、利口で利己的で……私には分からない。

 

 どうして彼らは、それを孤独だと呼ばないのだろう。

 

 どうして、寂しさを感じてくれないのか……ドウデモイイ。そんな彼らとの間で自分を定義している私は、完全に矛盾し破綻しているのだ。それを信じられてさえいれば良い。私は、そんな彼らをうらやましく思わない。

 

 どれだけ愚かだろうが、せめて自分の為の犠牲くらいは誤魔化したくはない――ふと、蜘蛛の巣の合間に埃の積もった蓋が見えた。

 

 使われたことはあるのだろうか。適当な布切れを振り回して埃やらを払い除ける。

 

 見やすくなった蓋は十センチ四方の雲った板ガラスで、その下に黄色いボタンが滲んで映る。

 

 その横に設けられた鍵穴へ、借りてきた鍵を順々にあてがった。

 

 ハズレ。ハズレ。ハズレ。ハズレ。ハズレ。アタリ……当たりだとは思うけど、回らない。

 

 部屋を開けたものを含めて、残った鍵を手短な机にジャラジャラと出した。けれど、似たような鍵も見当たらない……シンプルに潤滑油でも必要なのだろう。

 

 何かないかと周囲を見渡す――適当なパイプ椅子が目に留まった。

 

 尖ってはいないが十二分だ、それを手に取って高々と掲げる。

 

 それで、自由落下の加速に任せて板ガラスを叩き割った。まるで時計店へ押し入った強盗か、もしくはプロレスラーにでもなった気分だ。

 

 見通しが立ったので、右の壁に鎮座する機材へ歩み寄り、スイッチを上へ弾く……「起動」を示す赤いランプだけが暗闇に灯る蝋燭みたいに浮き上がった。

 

 夏頃の記憶を掘り起こして、このブースだけへ流れるように調節装置を操作する。

『あーあー、テステス』

 

 適当に発声しながらフェーダーを動かす――このくらいで十分だろう。

 

 調整を終えて、今更ながら外界へ流れてはないかと機材から離れた。

 

 それで、遮光カーテンを開けて外界を見ようとする――差し込む光線の眩しさに右手が割って入る……どうしてか、空は虚しいほどに綺麗だった。

 

 別に、少しも変わってない筈だ。風防越しに眺めていた頃から一ヶ月やそこらしか経っていないのだから。

 

 いつの間にやら、太陽は沈んで行って山々に隠れている。だからそれらの山々はどれも暗い灰色をしていて、のっぺりした大きな壁がいくつか重なっているようで。

 

 そんな壁とは対照的な鮮やかさを体現したキャンバスが、その頂上から世界の全てを丸々包むように張られている。

 

 その下地は昼から夜へのグラデーションで染められ、そこへ山を越えて来たからだろう。少しばかり縦長に引き延ばされた雲が、空白を惜しむようにならんでいる。

 

 その雲達は、山の向こうから漏れ出る明かりを取り囲むように暖かく照らし出されていた。

 

 この世界が――一枚の絵画のように凪いでいた……ただ、それだけだった。

「……遅かった。僕らは、ほんの半歩だけ、」

 

 ふざけるな、私は私だ、何を腑抜けたことを――そんなクダラナイものは置き去って、踵を返した。

 

 通り掛けに左手で黄色いボタンを押し込んで、マイクの前へ凭れるように両手をつく。

 

 ジーっと鳴る不快な電子音に続き、トリプルエークリアランスを示す緊急放送チャイムが流れ出した。

 

 目蓋を閉じて、そいつが終わるのを待つ…………。……終わってしまった。

 

 だから、始めなければならない。

『臨時ニュースを申し上げます、第七〇三島。第七〇三島にて、狂人病の病原が確認されました。当該地域では速やかな――』

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