14 佐久間 新年

 神社は空いていた。年が明けて、十日以上が経ち、ようやく初詣に来た神社は、もう人は疎らだった。年明けから連日晴れていたのに、今日は久しぶりに、あいにくの曇天。


 小夜さんは、暖かそうなグレーのロングダウンを着て、待ち合わせ場所に来た。白衣じゃない小夜さん。やっぱりきれいな人だな、と思う。長い髪を下ろして、耳にかけている。小さな青いピアス。


「来てくれて良かったです。ドタキャンされるかと思いました」


 冗談めかせて言う。


「さすがに、ドタキャンなんてしないよ。子供じゃないんだから」


 クリスマスを断られた僕は、初詣は一緒に行ってほしい、と半ば強引にお願いした。初詣ならデートっぽくないと判断したのか、小夜さんは了承してくれた。


 お賽銭を投げて鈴を鳴らす。あまり作法は気にしないのか、小夜さんはパンパンと手を叩くだけで、さっさと参拝を済ませた。僕は急ぎ気味に、でもちゃんと作法に倣って参拝を済ませて、小夜さんのあとを追う。


 二人並んで少し歩く。長い参道は白い砂利道で、お正月ならもっと出ていたであろう出店が、少し残っている。りんご飴、綿あめ、やきそば。


「何か食べますか?」


 小夜さんは出店を眺めて「うーん、いいや」と言い「らくがきせんべいがあったら、食べたかったな」と言った。


「らくがきせんべいって何ですか?」

「知らない? えびせんみたいな平べったいおせんべいに、シロップで絵をかくの。そこにカラフルな甘い粉みたいなのをかけてもらって、完成」

「食べたことないですね」

「時代ね」


 ふっと笑う小夜さん。久しぶりに笑うのを見た気がする。でも、自嘲めいた笑い。僕が見たいのは、こんな笑い方じゃない。


「小夜さん」

「なに」


 立ち止まって、小夜さんを見る。


「結婚を前提に、僕と付き合ってください」


 突然すぎる僕の発言に、小夜さんは眉間にしわをぎゅっと寄せた。


「何それ、急に」

「本気です。僕は小夜さんが好きです。お付き合いしたいと思っています」


 小夜さんは、鳥居のずっと向こう、重く曇った空よりもずっと向こう、遥か遠くを眺めてから、ゆっくりと僕を見た。そして「やっぱりそうだったんだ」とぼそっと言った。


「結婚を前提にって言うけど、佐久間くんの思う、結婚って、どんなの?」


 真剣な、悲しそうな顔をしていた。あまりに辛そうに話すから、僕が何も言えずにいると小夜さんは小さな声で続けた。


「例えば、お互いが好きで、一緒に暮らしていて、でも、それだけじゃ幸せな結婚じゃないでしょ。夫婦になって、子供が生まれて、みんな仲良く暮らしていて、子供が大きくなって、その成長を見守って、それが幸せな結婚でしょ?」

「まぁ……そうです。僕は小夜さんと結婚したいし、できれば子供もほしいし、おじいちゃんおばあちゃんになって一緒に孫をかわいがって……そうやって死ぬまで一緒にいたいです」


 さーっと風が吹き抜けて、神社の木々を揺らす。海が近いから、少し潮の香りのするその風が、小夜さんの何もかも、一緒に洗い流してどこかに飛ばしてしまったように見えた。小夜さんの髪がなびく。僕から視線をはずし、僕のうしろ、遠く、去っていった風を追いかけるように遠くを眺めて、それからまた僕を見て、珍しく、静かににっこりと笑った。僕にはその笑顔が、防護壁のように思えた。一瞬で、閉ざされた気がした。


「ありがとう、佐久間くん。でも、私はもう結婚するつもりはないし、ましてや佐久間くんが思う幸せな結婚はできないから、ごめんね」


 やたらにこやかなのが、余計に距離を感じさせる。


「私が今日一緒に初詣に来たのは、もう『困ったときの佐久間くん』をやめるね、って話そうと思っていたからなの」

「なんですか、それ」

「困ったときに、すぐ佐久間くんに頼ってしまう癖を、直そうと思って。付き合ってるわけでもないのに、食事に行ったり遊びに行ったり。もう、そういうことはやめようって、言おうと思っていたの」

「やめないでいいいじゃないですか。僕はこれからも困ったときはそばにいるし、困っていないときも、そばにいたいと思っています」

「ありがとう。でも、もう決めていたの。それを伝えにきたの。ごめんね。私が佐久間くんと仲良くしていたのが悪かったと思う。もっと早く佐久間くんの気持ちに気付いて、ちゃんと態度で表すべきだった」

「小夜さんは何も悪くないです。小夜さんの態度がどうであっても、僕は小夜さんが好きです」

「私もう四十歳だよ。佐久間くんの言う、幸せな結婚はできない」


 さっきより強い風が吹き抜け、小夜さんの髪を乱した。木々がざわざわと音を立てて揺れている。


「僕が、諦めないって言ったらどうするんですか?」

「今までみたいには、佐久間くんと話さなくなるわ。だって、好かれていることを知っておいて、今までみたいに仲良くはできない。私には、何もできないんだから」

「迷惑ってことですか?」


 風になびいて顔を隠す髪を手でゆっくりとかきあげて、小夜さんは悲しそうな顔でそっと笑った。


「迷惑じゃないけど、辛いわ」


 空気が湿っていて、さっきより色の濃い雲が流れて空を埋めていった。雨が降りそうだ。


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