13 小夜 冬
「クリスマス、空いてますか?」
佐久間くんに聞かれたとき、思わず身を硬くした。更衣室を出たら廊下にいたから、すごく驚いたし、こんなことするのは佐久間くんらしくない、とも思った。もっと慎重で、適度な距離を保ってくれる人だと思っていた。
私は、自分が思わせぶりな態度をとっているんじゃないか、と自覚した日から、佐久間くんと二人になることを避けてきた。そのことで佐久間くんが、私への好意(もしあるのだとしたら)を諦めてくれたらいい、と都合よく願っていた。でも……
「クリスマスの夜を、僕にください」
あんなの、「デートしてください」と同義だ。そのくらい、いくら鈍感な私でもわかる。いや、少し前の私だったら平気な顔して一緒に食事に行っていたのかもしれない。その行動が相手にどんな感情を起こさせるか、ここまで気にしたことはない。それもこれも、「佐久間くんと一緒にいると気持ちが落ち着く」なんて言ってしまった私の自業自得であるし、そのせいで仲の良い同僚を失うのは全くもって腑に落ちないのだけれど、こんなことになってしまったんだから、もう佐久間くんとの友情は諦めるしかない。
佐久間くんは寂しいときの便利屋さんじゃない。
「年末年始仕事だから、クリスマスは実家に顔を出さないといけないの。姪っ子が楽しみにしてるから」
かろうじて笑顔を作って、佐久間くんの誘いを断った。
いつ帰っても、実家は実家特有の匂いがする。
出迎えてくれる母の足元で、母の愛犬が興奮して飛び跳ねている。灰色のミニチュアシュナウザー。賢くて甘えん坊でやんちゃだ。少し長い毛が巻いていて犬特有の土のような匂いがする。
リビングで母と紅茶を飲んでいると玄関がガチャンと開いて「ばーば! こんにちは!」という姪の声が聞こえた。
「賑やかなのが来たわよ」
母が笑う。
弟は三十五歳という年齢らしくお腹が出てきている。でも、屋外の仕事なので、冬でも日に焼けているし、太っているというより、ガッチリしている感じだ。弟の奥さんは専業主婦で、おしゃれな今時のママという感じ。三十歳になったばかりで、今日も二十代の若者のような恰好をしている。姪は確か五歳くらいだろうか。私が今のアパートに引っ越ししてすぐに生まれた気がする。
人の家の子供の成長は早い、というが、本当にその通りで、親戚であっても年に二、三回しか会わないから、いつのまにかどんどん大きくなる。
弟が私を見るなり「お、クリスマスなのに実家に来ちゃう寂しい独り身がいるぞ」と冷やかす。弟の憎まれ口は気遣いの裏返しと知っているので、私は「うるさいな」とだけ返して笑ってみせる。何にでも興味をもつ年齢なのか犬を撫でていた姪が「ヒトリミって何?」と聞くと「いいから手洗ってきなさい」と、弟の奥さんが姪を洗面所に追い立てるのでおかしくなってしまう。私は、自分が独身だということなど、何とも思っていないのに。
夕食は豪勢だった。母が焼いた大きなチキンを見て、姪が「すごーい!」と声をあげ、弟の奥さんが彩り豊かなサラダを取り分ける。弟が買ってきてくれたケーキを、食後にみんなで食べた。
お腹いっぱいになった姪は、犬を撫でながらテレビゲームに夢中だ。難しいらしく、弟に「パパ、ここやって」と何度もせがんでいる。
そんな光景を眺めながら、私は母とお茶を飲む。そうだ。これが実家の過ごし方だ。久しぶりに触れる、家族という名の空気。それはとてもこそばゆいのだけれど、やはり居心地の良い不思議な空気だ。
「ねえ、私の名前の由来って、小夜曲の小夜?」
「あら、どうしたの、急に」
「いや、友達に聞かれて。きれいな名前だね、ってほめられたの」
私を好きかもしれない佐久間くんという男の子に。
「お父さんがつけたのよ、小夜の名前。由来は小夜曲じゃなくて、
「小夜時雨? そんな言葉、初めて聞いた」
「そうよね、お母さんもそのときまで知らなかったわ」
そう言って母はお茶を飲む。カップを持つ華奢な手。いつの間にかシミの増えた、裁縫の得意な、器用な母の手。
「寒い季節の夜に降る雨のことをそう呼ぶんですって。あんたは、産声も小さくてね、ちょっと儚いような赤ん坊だったから、小夜時雨って静かな響きがぴったりで、お母さんも賛成したのよ」
「ふーん。小夜時雨か」
だから私は雨が好きなのかな、と思った。
「ああ見えて、ロマンチックな人なのよ」と笑う。
父はとうに還暦を過ぎても、現役で現場仕事をしている。その仕事を弟が継いでいるのだが、今日はお得意先との飲み会があると言っていた。
いつの間にかゲームを手放して、そばでじっと話を聞いていた姪が「ねぇロマンチックって何?」と聞いてくる。母が「きれいなものが好きってことよ」と姪に話している。
きれいなものが好き。それは何て素敵なことなのだろう。きれいなものを愛せる感性。私は、まだ持っているだろうか。
小夜曲じゃなくて小夜時雨だったよ、私の名前の由来。心の中だけで佐久間くんに報告して、私は弟が真剣になっているテレビゲームに参加した。
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