3 小夜 初夏

 家に帰ると、ポットが玄関まで出迎えてくれる。どこで寝ていても遊んでいても必ず玄関まで来てくれる。少し毛の長い大きな茶トラの成猫。

 拾ったときは痩せ細ってガリガリだったのに、健康に大きくなって6キロにまで育った。少し肥満なので最近はダイエットフードに変えている。のっそりと歩く温厚な甘えん坊だ。抱き上げるとずっしり重い。


「ただいま。一日お留守番ありがとう。ほんっとにポットはかわいいね」


 ポットを抱き上げたまま首のあたりに顔を埋めて背中をもじゃもじゃ撫でる。しつこくされてもポットは嫌がらず、私の額をなめたり耳をかじったりして飼い主の癒しに貢献してくれる。


「ポットはお留守番できてえらいね。かわいいかわいいポットちゃん、小夜ちゃんを癒してね」


 頬の毛をゆるくひっぱったりお腹の毛をもじゃもじゃにしたりお腹に顔を埋めて匂いを嗅いだり一通りポットをかわいがる。ポットは喉をグルグル鳴らして甘えてくれる。

 ポットを膝から解放すると服が毛だらけになった。


 冷凍保存してあるご飯とレトルトカレーで夕飯を済ませ、コーヒーを淹れ、ソファに座ると大きなため息が出た。そろそろ初夏だというのに、春みたいに体も気持ちも重い。本物の五月病だろうか。


 明日は陽菜ひなが遊びにくるんだ、と思い出し、普段は人に会うのが億劫なタイプだけれど陽菜に会うのは楽しみだな、と思う。陽菜が読みたがっていた本を探しておかないといけない。本棚の前には、入りきらない本や漫画が積み重ねられている。


 私の部屋は、単身者向けアパートで、六畳の洋室に四畳ほどのキッチンがついた1K。もう少し広いところにすればよかった、という気もするけれど、五年前、ここに引っ越してきたときは、そんなことはどうでもよかった。ただ、とにかく早く入居できるところを探していたのだ。人の多いところは嫌だった。すぐに入居でき、近くに大きな公園があって緑も多かったので、特に悩まずここに決めた。不動産屋の担当者が「ほかにも紹介でしますよ」と苦笑するほどの即決だった。でも、私にはとにかく新居を早く決めて引っ越さないといけない事情があったのだ。引っ越してすぐ、近所の公園の繁みで、ポットを拾った。


 荷物はほとんどなく、小さな冷蔵庫とレンジと小さなテーブルだけで始まった私とポットのここでの生活も、今ではどうにか人並みになった。殺風景だった部屋も今では生活感に溢れ、かなり散らかった。鍋やフライパン、食器も少しは増えた。洋服も少しは買った。小さなソファも買った。五年というのは、それだけの年月なのだ。室内に干された洗濯物、ポストカード、好きな絵のジグソーパズルを完成させて額に入れたもの(ゴッホの夜のカフェテラス)、陽菜にお土産でもらったシーサーのぬいぐるみ、お正月に会った姪っ子がクレヨンで描いてくれたうさぎの絵、そして床に積み上げられた本や漫画。


「本は増殖するって言ってる人がいたけど、本当ね」


 片付けようとして一番上に積まれれている漫画を手にとり、そのまま読み始めてしまった。とっくに冷めてしまったコーヒーのカップに手を伸ばす。本も漫画も、あっという間に物語の世界へ連れていってくれる私の強い味方だ。

 ポットはいつのまにか、先に私のベッドで眠ってしまった。


 翌日も晴れて、きれいで平和な初夏。平凡な日。


「こーんにちは」


 十一時ちょうどに陽菜が来た。


「あ、いい匂い」


 手足がすらっと長く、黒髪がきれい。陽菜は中学生の女の子だ。私がポットを拾ったとき、実は陽菜のほうが先にポットを見つけていたのだ。でも、まだ小学生だった陽菜は猫を飼うことができず、拾った私の家にポットを見に来るようになったのだ。それ以来、ずっと仲良くしている。だから、ポットは、私の家で飼っている二人の猫なのだ。

 陽菜はさっそくポットを抱き上げて毛をもじゃもじゃにして撫でまわしている。 


「お昼、ミートソーススパゲティでいい?」

「嬉しい、サヨちゃんのミートソース大好き」


 ポットは嬉しそうに陽菜に撫でられて伸びている。


 休日は自炊することにしている。簡単なものばかりだけど。ミートソーススパゲティは陽菜が好きなので、会う日はよく作る。挽肉と玉ねぎを炒め、缶詰のホールトマトで煮て、コンソメとケチャップで味付け。簡単だけれど、美味しい。


「あ、サヨちゃん、これお父さんが出張行ったお土産、うちにいっぱいあるからおすそ分け」

「八つ橋! ありがとう、大好き」

「よかった。私これ、ぶにゃぶにゃしていてあんまり好きじゃないの」


 陽菜の父親は出張が多いらしくよくお土産をくれる。


「陽菜、そこ、読みたがってた本、置いてあるから忘れないうちに鞄に入れちゃって」

「あー例の新作! ありがとう。おもしろかった?」

「おもしろかったよ。私はかなり好き」

「あー、じゃあ絶対おもしろいじゃん。ありがとう、楽しみ」


 陽菜といつもの会話をしてくるうちに自分が少し元気になってくるのがわかった。ミートソーススパゲティを食べたら、公園に散歩に行こう。そして最近読んだおもしろかった本や映画の話、陽菜の好きな絵の話をたくさんしよう。


「それにしても、相変わらずサヨちゃんちは散らかってるね」


 陽菜は笑いながら、結局全く片付けられなかった本や漫画をすみに寄せた。


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