ざまぁの選定者~許婚に婚約破棄された侯爵令息のある不思議な体験~

八重

婚約破棄のその先に

「ローベル様、あなたとの婚約を破棄するわ」

「アニエスっ! どうしたんだいいきなり!」

「もうあなたにはうんざりなのよ、私を裏切って浮気したでしょ! そんなあなたと一緒にいられないわ、さようなら」


 そう言って僕の前から姿を消したアニエス。

 浮気なんてしていないし、言いがかりもひどいぞ!


 僕の中で段々怒りがこみあげてきて、体中が打ち震えて止まらない。

 なぜ僕が婚約破棄されなければならないんだっ!



 怒りで我を忘れながらそう思っていると、ふと知らない場所にいることに気づいた──


「どこだ……ここ」


 まわりを見渡すと小鳥のさえずりや動物の鳴き声も一切しない、不思議な森の奥。

 おかしい、先ほどまで僕はアニエスの家にいたはずなのに、なぜここに……。

 すると、自分の真正面の少し先に古そうな教会があるのが見えて、不思議と僕の足はそちらに向かって行く。


 恐る恐るその扉を開けると、なんとも古い建物らしくギイーっと大きな音を立てる扉。

 中に入ると森の中の教会なだけあって薄暗くそして、厳かな雰囲気だった。


 こんなところに教会があったなんて……。


 僕はそのまま教会の中を歩くと、コツコツと足音が響き渡る。

 あたりを見回すが人は見当たらず、僕一人のようだ。

 最奥にたどり着くと、大きな十字架が立っておりその大きさと雰囲気に圧倒される。


 教会か……。

 この十字架に祈れば僕のこの怒りや苦しみも消えるのだろうか。


 僕は膝をつき、両手を絡めて祈りを捧げる。


 どうか、この苦しみから解き放ってください──





「救いをお求めですか?」



「うわっ!!」


 急な声に僕は身体を大きく飛び上がらせてそのまま尻餅をついた。

 気づくと目の前には若いご令嬢が立っており、彼女のラピスラズリの瞳は僕をまっすぐに映し出していた。

 なんだ、先客がいたのか。

 ん? いや、救いをお求めですかっていったか?

 なんだかただの令嬢ってかんじでもなさそうだな。


「それはあなた次第です。あなたの中にあるものだけが全て。私はそれを聞くだけ。あなたの生まれた時からのことを思い出したらあなたの救いが見えてくるかもしれません。私は選定者。正しき罪が正しきように裁かれるように正す者」


 生まれたときのことから思い出す?

 選定者?

 よくわからない。彼女が何を言っているのか、だがなぜか不思議と頭の中に小さな頃の記憶が流れてきて、僕は彼女に自分の生い立ちや事情を話していくことにした──



 そうだ、僕は由緒代々ワインの生産でこの国を支えてきたアルドワン侯爵家の一人息子。

 幼い頃に病気で母が亡くなり、厳しい父のもとで後継ぎとして育った。


「それで、アニエスに出会った……。アニエスは可愛らしいお人形さんのような丸い目をして、そして優しかった。10歳の時に婚約したときはすごく喜んだ」


 目の前にいる令嬢は僕の話を黙って聞きながら、手に持った鏡を撫でている。


 アニエスと僕はいつも一緒で、お互いの家に行って遊んで、たまに家を抜け出して遊んだりして叱られた。



『ローベル様、私はいつでもあなた様を思っております』

『ああ、僕もだよ、アニエス』



 僕の家の庭園で指輪を渡して、そして将来も誓い合っていた。

 幸せだった、この幸せがいつまでも続くと、そう思っていたのに。


「なのにっ!!!!! なぜっ!!!! なぜ、裏切ったんだっ!!!!! アニエス!!!!!」


 怒りが止まらない僕の前に令嬢がゆっくりと歩いてきて、僕に鏡を見せた。



「──っ!!!」



 そこにはアニエスがベッドに寝たままなんとも苦しそうにしていて、メイドたちが何か叫んでいる。


『お嬢様っ! 気をしっかりもってください』

『お嬢様っ!!!』


「なんなんだ、これは……」


 思わずそう呟く僕にさらに令嬢は鏡で何かを見せてくる。

 ぼわっと光り輝いて鏡が光ると、そこにはアニエスと父上が写っていた。


「アニエス? 父上となんで……」


 鏡を凝視すると、なにやら声が聞こえてくる。


『アニエス、本当にいいのかい?』

『はい、ローベル様はおじさまたちにご迷惑はおかけできません』

『だが、病気が治るまで待って式を挙げれば……』

『いいえ、私の病気はもう治りません。もう、この命は一ヶ月もないんです』

『では、こちらで婚約解消の手続きをしておく。でも、本当にローベルには黙っておいていいのか?』

『はい、ローベル様には次の婚約者様とこの先生きていってほしいんです。だから、私のことは嫌ってすぐに忘れてほしい』



「──っ!!!」


 僕は鏡に写されたものの数々が信じられず、その場にへたり込み、嘘だと呟く。

 そうだ、嘘に決まっている。そんなわけがない。こんな鏡が何を見せられるって言うんだ。何を……。


「この鏡に写されたものは真実です。でもあなたが見てきたものとは違う」


 アニエスはじゃあほんとに余命がなくて、それで気持ちを押し殺して僕に婚約破棄を言い渡したのか?

 そんな、そんなことって……。


 僕は令嬢の持っている鏡にすがってアニエスへの想いを告げる。


「アニエス……悪かった。僕は何もわからず怒って恨んで、それで君を一人にしてしまった。お願いだ、もう一度会いたいんだ。会わせてくれ」


 それを聞いた令嬢は僕に言い渡した。


「この教会は運命の教会。選定が終わればもとの場所にあなたの身体は戻る。そのとき、自らの行きたい場所を願ってください。そうすればその場所に行けるでしょう」

「行きたい場所……?」


 僕の行きたい場所、そんなの決まっている。そんなのただ一つ、アニエスのもとへ向かいたい!

 僕は目を閉じてアニエスのことを祈った──






 はっと目を覚ますと、そこはアニエスの家の廊下で、僕はただそこに立ち尽くしていた。


 夢だった? 教会での出来事は夢だったのか?

 そう思って廊下をゆっくり歩いて進むと、メイドたちがやけに騒がしく廊下を走っている。


 その中で一人のメイドが僕に気づくと、「ローベル様っ! アニエス様がっ!」と僕の両肩を掴んで息せき切って話す。


「アニエスが、アニエスがどうしたんだ?!」

「お部屋にいらっしゃいます、もう、もう……」


 僕は嫌な予感がして廊下を走り、角を曲がった場所にあるアニエスの部屋に飛び込んだ。

 そこにはメイドたちが数人と、ベッドの上に静かに眠るアニエスの姿があった。


 アニエス……本当に……君は……。


 近づきたいような近づきたくないような、現実を見たくない、そんな気持ちで溢れた。

 ベッドの傍に行くと、アニエスはもうやせ細っていて青白く、息も薄そうだった。


「アニエス」


 僕は静かに彼女の名を呼ぶと、うっすらと彼女は目を開けて僕を見ると、力なく驚いたように目を少し大きく開いた。


「ローベル……様……」


 絞り出したようなか細い声が僕に届く前に、僕が彼女を強く抱きしめて泣いていた。


「アニエスっ! 悪かった、君の、君の嘘に気づけなくて、僕は……僕は……」


 彼女はそんな僕の手を優しく握って最期に一言囁くような小さな声で言った。


「幸せになって」


 その言葉と共に、彼女は息を引き取った──




◇◆◇




 彼女の好きだったユリの花をお墓の前にそっと置いて手を合わせると、僕は心の中で祈った。


 10年あまり一緒だった彼女に、僕は何度助けられたんだろう。

 知らないうちにきっと何度も僕を救ってくれていたんだろう。

 僕は彼女に何ができただろうか。


 これからどう生きていこうか。


 ふとそんなとき、森の方からパイプオルガンの音がしたような気がした──

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