11.アレクの怪我



「みんな伏せろっ!」

 突然、ランドルクの緊迫した叫びが辺りに響く。

 ドラゴンが感情に身を任せ、翼をもたげ暴れ出したのだ。

 極めて危険な状況に騎士達は、さきほどの激しい竜巻のような羽ばたきを思いだし、素早く身を伏せた。

 しかし、一人遅れた者がいた。


 ――― アンジェリナ姫だ。

 

 最前にいたアンジェリナは、諸にドラゴンの起こした暴風に煽られた。

 さきほどとは比べものにならない強い風に、一同はなす術がない。

「きゃぁぁぁーっ!」

「アンジェリナ姫っ!」

 見えない壁に叩かれたように、姫がものすごい勢いで、森の方へ吹き飛ばされる。

「…アレク…助けてっ!……」

 遠くなる意識の中、アンジェリナはそう呟いた。

 背後には、ドラゴンが暴れた際に折れた木々が散乱している。

 このまま、打ち付けられれば姫の命も危ないだろう。

 姫は、ぎゅっと目を閉じ、体がバラバラになるような、強い衝撃を覚悟した……。


  *

 

 ドッという鈍い衝撃でアンジェリナの動きか止まった。

「痛ったぁく…ない?」

 アンジェリナは、覚悟していたほどの衝撃がなく驚いた。

 それと同時に、背後にある優しい気配に気がついた。

(まさか……そんなことって……)

 ゆっくりと振り返ると、アレクがアンジェリナを木々にぶつからないように、しっかりと抱き止めていた。

「姫、お怪我はありませんか?」

 先ほどの戦いで、少し顔を汚したアレクが穏やかに話しかけた。

「うん、大丈夫どこも痛くないわ」

「……よかっ…た……」

 言い終わらないうちに、アレクが真っ青になって、姫の腕の中に崩れ落ちた。

「えっ……!? アレクッ、アレクしっかりして!」

 アレクの背に手をまわした姫の顔から、血の気がサッと引いた。

 自分の両手が、彼の血で真赤に染まっていたからだ。

 よく見れば、アレクの足下は姫のいた場所から直線に跡が付いている、靴も摩耗していた。

 アレクは、身をていして、アンジェリナをかばい、倒木の木片で大怪我を負った。

「いやぁ! アレクッーー!」

 ぼろぼろと泣き崩れるアンジェリナを後目に、すばやくランドルクが来てアレクの傷の具合を見始めた。

「思ったより傷が深い。出血が多いな……」

「そんな……」

 いつもはかなりまわりに気を配るランドルクが、取り乱す姫にも構わずアレクの治療を始める。

 それだけ、アレクが危険な状態だとアンジェリナも悟った。

 

「どうして……アレクまで私のこと置いて行くの……?」

 アンジェリナはいまだに帰らない父王のように、アレクも遠くへ行ってしまうように感じ、取り乱す。

「イヤだよ。アレク、目を開けてっ!!」

 アンジェリナの悲痛な叫びに、ドラゴンが打たれたようにハッと目を見開く。

 それは、あまりにもドラゴンの叫びと似ていた。

(この娘、あの歌の意味がわかって歌っていたと言うのか?

 そして私は、この娘の大切な者を奪い、私と同じ痛みを味合わせようとしているのか?)

 ドラゴンは、悲痛に泣くアンジェリナの姿に、自分を重ねた。

 

 *


 ――――ドラゴンから大切なひとを奪ったのは、長い長い時の流れだった。 

 誰を恨んでも仕方のないことだとわかっていたが、私はまだ若い竜で彼女はもう寿命の近い神竜だと言うことを覚悟していなかった。


 彼女と過ごした日々は瞬きするほどの短い時間でしかなかったが、安らぎに満ちていた。

 彼女は、あらゆる知識を教えてくれた。

 竜の掟、世界の始まり、歴史、魔法、人間の言葉……あらゆる知識を教えくれた。

 歳の差などは関係ない。彼女は私の師であり、恋人だった。

 だった! そう、もう彼女はいない。

 寿命で亡くなったのだ。

 天寿を全うする竜は少ない。さらに、長寿の竜だ。死というもの自体、そうそう出くわすことはない。

 彼女は、悲しみの癒し方など教えてはくれなかった。 

 仲間も同族も知らない私は、一人孤独に耐えるしかなかった。


 闇……闇……闇……。


 彼女のいない世界など想像もしていなかった。

 絶望の縁で、私はただ叫ぶことしかできなかった。

 涙もでない、いや枯れたのだ。もう……。

 遠い西の地からここへたどり着いたときには、衰弱しきって動くのもままならない状態だった。

 やっと、彼女が迎えに来てくれると思って待っていたのに……彼女は、毎夜夢に出てきては笑顔で説教をして帰っていく。

『一つの悲しみに縛られないで……生きていれば楽しいことがたくさんあるわよ』

 私は、そんな彼女にお願いだから一緒に連れていってくれ! と懇願するのだが静かに首を振るだけで、決して聞き入れてはくれない。 

 そう、死を聞き入れてはくれない……だから、嫉妬して八つ当たりをしていたのだ。

 私よりずっと、短き炎の人間の子に。

 同族が多く、楽し気な人間たちに……。


『ばかね。たとえ瞳にはうつらなくとも、私はあなたの胸の中にいるでしょう? はるか彼方にいたとしても、あなたをずっと想っているわ』

(そうだ、あの姫の歌……まさに彼女の言葉だった!)

 私は、忘れていた。


 嘆き悲しむことは決して彼女の望むことではないことを……。

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