6.竜は鳴かぬ。 竜は泣く。
一つの咆哮が、黄昏時に響き渡る。
地を揺らす雷鳴の様な獣の鳴き声に、その場にいた一同に緊張が走る。
「ドラゴンですね……」
「ああ、てこずっている」
厳しい顔になる護衛騎士と侯爵。
「……泣いてるんじゃない?」
ドラゴンの叫び声を聞いても、耳を覆うだけで意外にも顔色を変えなかった姫が呟いた。
「えっ…鳴いている?」
「違うわ。泣いているの……悲しみ涙を流す方の『泣く』よ」
どうして分からないの? と言いたげにアンジェリナは答えた。
「……?」
眉をひそめるアレクに、アンジェリナはある歌のサビを歌う……。
『竜は鳴かぬ。
竜は泣く。
人には見せぬ、その姿。
だから吟遊詩人は鳴きません。
あなたにそっと歌うだけ……。』
姫が歌ったのは、先日の元気のいい歌い方とは違う、悲しげな『竜と人と吟遊詩人』だった。
ハッとするアレク。
「行きましょう!」
そう言い終わらないうちに、アレクはドラゴンのもとへ駆け出した。
*
ドラゴンの咆哮はまだ続いていた。
目の前で聞くと、耳が劈けそうだ。
白い満月を仰ぐドラゴン。
月を見つめるその瞳は悲しみが感じられた。
黄玉色≪トパーズ≫の瞳。体を覆うなめらか銀青色の鱗、煌めく白い角、広げた翼はしなやかなで優美でさえある。
城の城門程もある巨体をアンジェリナは恐ろしいとは思わなかった。
(なんて美しいの……!
雄大な建造物を見ているみたい。
けれど、このドラゴンはどうして悲しげなの……?)
アンジェリナは、はじめて見るドラゴンから目がはなせなかった。
伝説の幻獣ドラゴンは、その恐怖を忘れるほど美しかった。
姫が我に返ったのは、微かに聞こえたカチャリという剣の鍔なりのせいだった。
「アレク……? 何するの!?」
「決まってるでしょ。竜退治ですよ」
正眼に剣を構えドラゴンを見据えるアレクの姿を見て、姫はここへ来た目的を思い出しゾッとした。
よく見れば、後ろに控えたランドルクの私兵団も剣に手をかけている。
これから、このドラゴンと戦うのだ。
(私、本当に何も知らなかったのね。
こんな大きなドラゴンと戦ったら、全員死んでしまうかも知れない……)
アンジェリナは、急に不安になった。
「アンジェリナ姫、ご命令を!!」
ランドルクが、真剣な面持ちで姫を促す。
彼も姫の護衛騎士隊長を努めただけに、姫のことはよく知っていた。
初めて見たドラゴンに困惑するアンジェリナに、そんな命令は下せないことは承知している。
にも関わらず、語尾を強めて姫に命令を下すよう進言したのは、姫に戦場から離れてもらうつもりだったからだ。
「できないわよ、そんなこと! こんな大きいドラゴンを一人で倒せなんて言えないわよ!」
アンジェリナの青い瞳から、大粒に涙がこぼれる。
(私の責任の下で誰かが…アレクが命を落とすかも知れないなんて耐えられないよ!)
アンジェリナはうずくまった。
「アンジェリナ姫、ご命令を!」
それでも、ランドルクはアンジェリナに命令を強いた。
それは、アンジェリナを傷つけたくないゆえからの行動だ。
身の危険だけではない。
目の前で誰かが傷つくのを見れば、おてんばなアンジェリナでも心を痛める。
そこまで考えてのランドルクの厳しい言葉だった。
「ここにいる以上、姫が最高司令官です。命令ができないのならば、戦線を離れてもらわなければ困ります。この場から退いてくださいますね?」
ランドルクの提案に横に頭を振るアンジェリナ。
「そんなことしても同じでしょ? すぐにランドルクが変わりの命令を出すだけ。私が納得して命令を出さなきゃいけないのよ……」
アンジェリナは、よろと立ち上がった。
(泣いてちゃだめだ。
自分が無力だと思い込んでは、何もできない。
何でもいい、私にできることを探すのよ!)
アンジェリナは、目を閉じてゆっくりと息を吸い込む。
(妖精姫アルティ、聖騎士王ライトどうか私に力を貸して下さい!)
森の緑の香りとともに、爽やかな夜風がアンジェリナを包む。
一瞬、胸の奥にまぶしい光が見えた気がした。
「姫。私は大丈夫ですのでどうか、ご命令下さい」
アレクが、姫を気遣って優しく声をかける。
いくら親しいとはいえ、ランドルクにあれだけ強く言われては、さすがの姫も落ち込んでいると察したからだ。
しかし、アレクの心配をよそにアンジェリナはすでに立ち直っていた。
「いーや。命令はまだ出しません!」
アンジェリナが涙をぬぐいアレクを見た。
さっきまで泣いていたアンジェリナが別人のように……というかいつもの調子の元気すぎる口調になってる。
アレクは狼狽えた。
「アンジェリナ姫っ! 何を考えているんですか!?」
「うーん。いろいろ考えてるの~」
アンジェリナがにやにやと不適な笑みを浮かべている。
嫌な予感しかしない……。
ランドルクは額を押さえ黙り込み、アレクは眉根をよせて不安になった。
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