2.アンジェリナは歌が好き

 

 アルティライト国は、シルビア海とドーリス山に囲まれた平野にある歴史と伝統のある大国だ。

 その歴史と伝統からアルティライト語は、他国でもよく学ばれ、現在は共通語として外交の席で広く用いられる。

 アルティライト語には、現在日常会話で使われている言葉と神々時代に使われていたとされる『古語エンシェント』と呼ばれる特殊な言葉がある。

 現在、古語は、古詩や古歌のほかに魔法の呪文などに用いられる。

 そして、ドラゴンのような伝説の獣が使うとされている。

 もっとも、ドラゴンも魔法も最近ではあまり見かけない。



『竜は鳴かぬ。

 竜は泣く。

 人には見せぬ、その姿……。


 人はしるさず。

 人はる。

 竜には教えぬ、そのことを……。


 竜の泣き顔見たならば

 王様、

 騎士様、

 勇者様、

 皆様まとめて一呑みよ。

 だから吟遊詩人はきません。

 だから吟遊詩人はしるしません。


 あなたにそっと歌うだけ……。』



 アンジェリナが、テラスでペットの火蜥蜴ひとかげに古語の歌を聞かせている。

 火蜥蜴とは、肩に乗るほどの小さな爬虫類のことで、容姿が竜にそっくりなので『竜もどき』などと呼ばれ、アルティライト国では、ペットとしても親しまれている動物だ。


 爪弾くリュートの調べは軽やかに弾み、姫の歌声はまるで春風のようだ。

  宮廷楽師のモーレン・ブーケも認める腕前だが、いささか元気すぎるのが難だとも言える。

「くすくす…ねえ、サラ。この歌って『皆様まとめて一呑みよ』の行が一番おもしろいと思わない?」

 おもしろいところは人それぞれ違うかも知れないが……。

 一般的には、竜がなくの行が韻を踏んでいて聞きどころであり。『吟遊詩人が王様や騎士より実は強いんだぞ』と言うところが一番、面白味があるとされている。

 楽しげに笑いながら、火蜥蜴のサラに問いかけるアンジェリナは歌の解釈など、どうでもいいらしい。

 そして、『そうだ』と言うように火蜥蜴のサラは『きゅる。きゅる』と二回鳴いた。 


 喜怒哀楽を歌で表現する上で、まだ彼女は『哀』を表現するにはやや幼い。

 明るく、健やか。アルティライト語で『輝く虹』の名が示す通り、悲しみ憎しみ憂いと言った感情とは縁遠く見える。

 しかし、悩みがないわけではない。

 国王である父が、ビュアル湖の魔女を討伐に行ったきり、長く連絡が跡絶えているのだ。

 そのことが、アンジェリナの心に影を落としていた。

 沈んでいた時期もあったのだが、持前の元気と明るさで母と国を支えていた。

『お父様の消息が分からないと言っても、死んだとは限らないでしょ? いつ戻ってくるか分からないなら、それまでしっかり国と国民を守るのが私の勤め。メソメソなんかしてられないわ。あー、忙しい!』

 そして、くるくると忙しく国王代理の仕事をこなすアンジェリナ。少女のか細い肩に国政がかかっていることを覚悟した家臣一同は、姫に忠誠を誓った。それが数ヶ月前のことだ。

 姫付きの護衛騎士隊長に抜擢されたばかりのアレクは、とりわけ強く姫を守らなければと思っていた。

(しかし、姫が元気になったのはうれしいが、元気すぎるのも考えものだ……)

 午後の予定を告げるため、アンジェリナの自室の前まで来たアレクは、扉越しに彼女の賑やかな歌声を聞き頭を抱えた。


 *


 アレクが姫に伝えようとしていたのは、急な謁見の知らせだった。

 謁見と言うのは、各地の領主などを定期的に宮殿に呼び情勢を聞くことだ。

 また、国民が直接宮殿に上がることがあるが、これには予約が必要で緊急の場合を除き大概二週間ほどかかる。

 本日は謁見の日ではなかったのだが、火急の件でフェザーワース侯爵ランドルクが、早馬で駆けつけ、午後一番の謁見となった。

(ランドルクほどの人が早馬だなんて……いったい何が起きているのだろう?)

 アレクは不安に思った。



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