世界の秘密そのものは、現実の生身の女性(ひと)の幻想だった

明鏡止水

第1話

 新海誠作品の、「言の葉の庭」が好きだった。

 

主人公の考雄が靴職人を目指し、独力で靴を作る話だ。ゴーヤの乗っかった冷やし中華も作れる。すごいと思った。美容師の学校になんとなく入った自分には、やりたいことを実践して、目指している考雄に、尊敬を抱いていた。

 

 アルバイト先には、二人の年上の大学生がいた。一人は素行の悪くもちゃんと「大学」の体をなしている、現実主義で暗い感情を持つ、ディズニーランド大好きなひとだった。

 もう一人は控えめに見えて銀行員を目指す、他の大学の経済学部の人。清楚の手前、楚々としているタイプだった。

 

 どちらも、世界の不思議そのものではなかった。

 

 でも二歳下の自分と対等に接してくれる。

 大学生って、こんな感じなんだ。

 高校を出て、友達にくっついて美容の学校に入学した自分には、眩しくはないけれど、羨ましくはないけれど。格差だってそんなに感じない。

 

 でも。

 俺と考雄は違う。

 

 フリーターの、四こ年上のお姉さんがアルバイト先に入ってきた。細くて、顔は普通で、髪型がユキノさんみたいだった。

 大人の女性が。それも結婚しているパートの人じゃない。

 なんの保証もない代わりに、自由に生きている。

 そんな女性(ひと)が、入ってきたと思って。

 その髪型。ショートボブかな。

 

 世界の不思議そのものは、


 俺には見つかるんじゃないかって。


 マックのポテトを親睦のかわりに差し出した。

 彼女は人から食べ物をもらうのを初めてのように感激して、ありがとう、と一つ遠慮がちに摘んだ。

 

 人形が好きで、自分で作ってる!

 

 彼女は言った。

 ああ、自分で何かを作り出す、何かが好きで、打ち込んでいる。ぼんやりと専門学校に入った俺なんかより。フリーターのこの人の方が。

 

 俺は、「世界の秘密そのもの」を見つけたかもしれない。

 

 彼女は飲み会でも、なんでも、人の車に乗らなかった。いつも、歩いて帰ってた。

 危ないなあ。

 襲われたらどうするんだろう。

 でも、特別すき、ってわけじゃない。

 話をするのも苦手みたいで、夏に人形の進捗を聞いたら、

 

 辞めちゃった!

 

 俺は笑った。結局、サイゴまでできない人なんだ。 

 

 美容師になりたいわけじゃない。友達の方がオシャレで顔も良い。大学に行くお金は奨学金ってやつを借りれば良かった。学費は、親が十分に払えてる。

 俺は大学生二人とこんにゃくパークに両手に花でドライブに行った。

 

 遊ぶことにした。女の子と。


 それでも、その人と休憩に入ると話してしまう。

 入野自由を知ってる話。ニートになったおそ松さんの話。部屋にエアコンがついてなくて、人形作ってたら死んじゃう話。

 惜しからざりし命さえ、ながくもがなとおもいけるかな、の和歌が好きな儚げな様子。死にたいけれど、命がながらえてほしいと思うことでもあったの。聞きたかった。

 

 なんでだろう。遊ぶって決めたのに。友達に見てもらった時も年上じゃん。って。ばばあ、だとは言わないやつだった。兄に見てもらったらなんていうんだろう。

 

 雷の和歌が聞きたくなった。

 

 ねえ。俺のことみんなどう思ってるの。

 

 たった一人に聞きたい。

 全員にも聞きたい。

 やがて、好きでもなく、憧れ。あくがれ、魂が隠れるほどの淡い想いしか抱かなかったけれど。

 

 就職でアルバイト先を辞めた。


 俺、自分ニ、三日でバイト辞めちゃうかと思ってました。

 私も、二ヶ月で辞めちゃおうかと思ってた。

 俺は笑顔で彼女を叱責する。もう、なんで年下の俺が叱ってるの?

 最後の一緒での休憩。マックのポテトを社交辞令も混ぜてまたどうぞ、と差し出す。


 ありがとう。いいよ。 


 とお姉さんは言う。

 無言が辛かった時もある。二人でスマホだけ見て会話しなかった時だって。

 この人は今、何を考えているんだろう。

 

 堀越さん、彼氏とどこに出かけたりしますか?

 

 彼女は世界の秘密そのものの笑顔で。

 微笑んで、言う。

 わたし、乗り物恐怖症なの。

 

 だから新幹線も、電車にも、飛行機にも、車にだって十分が限界。

 

 聞いたからってなんとも思わなかった。ただ。

 幼い少女が、車に誘拐されそうになる想像だけした。

 送別会でも、彼女は歩いて帰った。

 もう、何も思わない。二人の年上の女の子、大学生二人を乗せて家まで送った。俺の送別会だったのに。

 

 春だった。就職したばかり。あのお店へ、勤めてる美容室の。お店の備品を買いに行く。スプレー噴射器だ。

 お給料は月の手取り12万の、アシスタントで、正社員だった。周りのパートの人全員に声をかけて挨拶して、旧知の人にだけ相談したかった。辞めようとか、とかは、べつに、べつに、でも。

 ここでの給料の方が良かった。

 レジは堀越さんだった。

 

 お久しぶりです

 

 できるだけ大人になった様に言う。

 ああ!久しぶり!

 彼女は随分、会話ができる様になっていた。

 「お店のお遣いで、」

 女性が選ぶようなデザインの噴射器をレジのサッカ台に置いて言い訳する。

 「かわいい買い物だね」

 お姉さん。あの、

「あれから、ここ、出たけど、でも、就職して。お遣いも頼まれて、でも、でも、」

 お給料が

「でも!ここでの、方がお金がっ、ずっとツ・・・・・・、ッ」

 堀越さんがレジを打つ。バーコードをスキャンして優しい佇まいで

 

「そんなこと言って


 ほんとうは、


いろんな女の子、まいにち可愛くしてるんでしょう?」


ことばを、もてなかった。

そんな、そんな。


「もうッ、おばさんばっかだよ!!!」


 百均のレジの中心でお客の特徴を叫ぶ。左手に袋。右手に小銭。

 小銭を渡されながら、そんな言葉を言われたらっ!


 走ってエスカレーターを下り、急いで、店に帰ろう、いま働いている美容室へ戻ろう。

 戻る場所は、向かう先は、ここでもないし、別の店じゃない。

 今の美容室だ。

 店長補佐の中村さんにだけ、就職する美容室のお店を教えておいた。・・・・・・堀越さんにも言いかけた。ヤバかった。

 

 あの人。パニック障害で美容室利用できないから。いつか来てくれるなんて思ってない。むしろ来ないで欲しい。来ても良いけど。

 

 あれから自分は、お客さんのヘアスタイルを創造し続けている。計算しながら。観察しながら。整えながら。二十二で結婚して、子供がすぐ出来た。


 もう言の葉の庭は、自分のなかには広がっていない。本物の新宿御苑を、家族と友達と見たから。

 上げては落とす。落としては、無感動で。悩んでいる時に、自分が、誰かを綺麗にしていると小銭の重みと共に教えてくれた。

 

 七年後。あの人から、七年越しに、LINEのメッセージがくる。


 ご家族の誕生おめでとう。初めの頃セクハラ発言してごめんね。


 既読スルーした。なんのことかわからなかった。LINEのアイコンとホーム画像は子供との写真と、ディズニーで、まだ赤ちゃんだった頃の子供をベビーショルダーで抱っこしている写真。

 

 色んなお客様がいる。いろんな女の人に会った。初恋とかそう言うんじゃない。ただ。

 

 ただ、


 会ってしまうと、言われたら良いことも、思った方が楽な事も教えてくれた。言葉のちから。

 

 父が早くに結婚して俺が出来たから、俺もその記録を抜きたかった。子供は奥さんと大事に育ててる。

 恋じゃなかった。思い出しもしない。なんなら忘れたい。

 それでも好きな作品は「言の葉の庭」。

 うまく歩けなくなっちゃったの。


 そんな女性が歩けるように、女の人も、子供も、男の人もみんなが歩けるように毎日髪をカットする。

 人をかわいく綺麗にしている。かっこよくしている。

泥のように疲れた日もあった。ハマりこむように女の人を好きになった時もあった。


不意に思い出す。


「君がお父さんの二十二歳の時の子で、その記録抜きたいなら。いまから彼女作って、ッ、イロイロして子供作らなきゃ、無理じゃない?」


 セクハラでもなんでもない。セクシャルハラスメントだけどもう二十歳の時みたいにはいかない。


 家族を養う為、店を移って数年、カルテに目を通しながら。あの町を離れて。

 

俺はこの世界で、誰かやみんなの言葉を胸に。時には練習用マネキンの人形で遅くまで練習しながら。


 パニック障害や、長時間のカットも難しいお客様の対応もしている。


ハマりかけたことなんて、ないんだから。


 いらっしゃいませ。

 今日のお客様は。

「境原くんよろしく」

 憧れだった中村さんだ。

 丁寧にシャンプーしてあげる。本当はアシスタントの仕事だけど、俺がやることになった。

「いつもと一緒ですか?」

「うん。」

 中村さんと俺だからできる会話。お客様の気持ちがいつも同じとは限らない。毎日、学びながら接客してる。

「俺が担当でいい?」

「もちろん!ちょっとシャンプーされるのが恥ずかしいケド」

 

 中村さんは可愛い。俺を面接で百均に採用してくれた人だ。おかげで二年のアルバイト経験が評価されて、就職もうまくいった。そう思ってる。


「境原くんモテるでしょ」

「中村さん、俺結婚してるよ」

「え?!」

 知らなかった、とドライヤーで髪をブローされながら中村さんがいう。

「中村さんこそ、モテるでしょ」

 採用担当者で店長補佐の中村さんは優しくて人を見る目が養われてる。みんなに優しい。当然、イケメンのご主人とお子さんもいる。

「大人だね、境原くん」

 

 大人になったね、じゃないんだ、と俺は笑った。

自分はちゃんと、進路に迷う、二十歳の大人だったらしい。相談できる人にはみんなに、別に美容師になりたくて学校入ったんじゃない、と言って心配させた。

 もしも自分の子供が同じことを言ったら、同じ道を進んだら、やれるとこまででいいからやってみて、とか他になにがしたい?とか、

 今は、中村さんに集中する。 


「あの頃、男の子少なかったから、境原くん女子会参加しまくってたね」

 俺は吹き出す。飲み会でしょ。

「ほりこしさんが、」

 聞き覚えのない名前が出た。もう何年も聞いてない。ちょっと嫌だな。あの人偽物だもの。

「あの時、お給料のこと、言わせちゃダメだ、って思ったんだって」

 俺は無言で中村さんの髪を切る。最後の、仕上げに優しく整えた髪に触れながら、切った髪を風で散らす。


あの言葉があってもなくても、


俺は美容師で、子育て真っ最中で、奥さんも、家族もみんな幸せにしたい。うまくいかない時はある。

 お客様を最後まで気持ちの良い接客で、自信を持って見送る。

「じゃあね」

 俺も応える。

 好きになった人が、好きな人。

嫌いな人でも、苦手なお客様でも、俺の心が接客をする。俺の技術が必要とされる。お気に入りの人もいるけれど、だいたいのひとはみんな、すき。

 でもやっぱり嫌いな人は嫌いだ。仕事中にはそんなこと考えてない。


ただ、あのアルバイト先で、就職した美容室で、腹を割って話す、とき。


 いつも自分自身と誰かの思いが混ざったり、一人になる。


 いまハマってるのは職場の人と子供のことを話すこと。泥沼なのは産前産後の奥さんの気持ち。完全にぬかるんでる。だから俺は。

 引き上げたり引き上げられながら。なんとか地盤が固まるのを待つ。カリスマにはなれないけど。店長候補になるために学ぶこともある、独立はしない、かも。子供にお金、渡してやりたいし。


人たらし。チャラい。意外と一途。おばあちゃん子。人にどう言われてるかわからないけれど、雨降って地固まる。それまでは、いろんな人に、女に、男に、もがいて、沈む、浸かる。

 

「本物の沼ってもっと綺麗だよね!」

ドライブに行ったら、お嫁さんと子供に、家族に、友達にだってきっと伝える。


見られるだけでも、きっと贅沢だ。




 

 


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