人生で一番の勇気を出した

きょうじゅ

本文

 遠距離な上に片思いな恋愛も遠距離恋愛って言うんだろうか。


 片思いから始まる恋愛小説ってさ、「実は相思相愛でした」で終わるパターンがすごく多いじゃない? だって、あたしは大学にいたころ小説サークルの主宰をしていて、自分自身もよくそういう小説を書いていて、つまりそういう物語にきっと憧れていたのだ。


 でもこの恋が「実は両想いでしたエンド」で終わる可能性というのはほぼない。なぜって、彼はもともとあたしが創設した小説サークルの初期メンバーで、学部時代の友人で、いつも小説論とか恋愛論とかを交し合う間柄だったから、知っているのだ。彼の過去にすごく重い色恋の経緯があって、その相手のことを一生忘れられないって、そう言っていたから。何度も。何度も。


「もしも何かの間違いで、俺の人生が一千年の長さに渡ったとするだろ?」


 彼はいつもモスコーミュールのグラスを片手に、いつもそんなことを言っていた。


「きっと俺は一千年後も、何も変わらずにあの女のことを愛し続けてる。そういうものだから。そういうものだって、知っているから、あの作品を書いたんだよね」


 彼は学部の二年目のとき、ほぼ一年を費やして一作の長編小説をものにした。題して『僅かに百年あれば足りる』。平安時代に生まれた不死の妖怪の男が、その時代の貴族の姫に恋をして、それから一千年、現代まで生きて、永遠の愛と永遠の命という二重の呪いの中に苦しみ続ける。そういう話だった。ジャンルは伝奇時代小説。その妖怪は千年の間、何人もの女と関係を持つのだが、その誰に対しても、最初に愛した平安の姫君に対するほどの思いを向けることができない。そういう、話だった。


 学部の三年目、あたしは色々あって大学を辞め、実家に戻った。色々あった、というのは実は男がらみで、その小説サークルの彼とは別の相手との色々なのだが、それについては置いておこう。あたしの実家は大学のあった場所からは遠く、夜行バスで一晩がかりくらいの距離にあるのだが、彼はなぜか、大学を辞めたあたしに会いに来てくれた。あたしを慰めに来てくれたのか、ただ単に友達付き合いの延長なのかなんなのか、よく分からないけど、わざわざ会いに来てくれるってことの意味は、とても重たいと思う。だから、その重さは、あたしの心の中にじんわりと錘となって、垂れ下がっている。


 いつから彼のことを好きだったろう。あたしに恋人がいたころからか。それとも、彼に恋人がいた頃からか。彼に恋人がいた頃の彼とあたしは会ったこともないのだけれど、そんなサンチマンタリズムに浸りたくなるくらいには、彼が会いに来てくれたという事実が、あたしには嬉しかった。


 で、だ。それはいい。過ぎたことだ。彼が、また、来るという。ホテルをこれから選ぶ、とかなんとかいうメールが来た。だから、あたしは、こう書いて送った。


「二人部屋取ってくれる? あたしも一緒に泊まって、長い時間、一緒にお話ししたいな」


 断っておくがこんな言い方で男と寝室を一つにする誘いを、あたしの方から、付き合っているわけでもない男に持ち掛けたのはこれが始めてだ。当たり前だろう。こんなことを言う機会が、人生に二度も三度もあってたまるか。


 さて、そういうわけで、彼が選んだのは温泉旅館だった。あたしは部屋で彼と落ち合い、とりあえず温泉に向かう。肌を隅々までぴかぴかに洗う。それはいい。それは当たり前のことだからいいんだ。問題は、このあとどういう格好をしていって、どう……いや、それももういいや。とにかく。服を着よう。


 下着すら付けずに浴衣だけ纏っていくという方法をいちおう考えるには考えた。だけど、そこまでの勇気は出なかった。あたしはTシャツの上に浴衣を羽織り、二人で一夜を過ごすことになる寝室に戻った。


 これから朝まで、朝になるまでの時間をかけて、朝がやってくる。そのとき、あたしたちの関係はどうなっているだろう。


 さて、寝室でお茶を入れて、二人で茶卓を囲む。する話は、相変わらず小説の話。あたしは辞めてしまったが、あたしの作ったサークルを引き継いでくれたのは彼なので、いろいろ聞くべき話はあるにはある。しかし。茶飲み話をしたいんじゃないんだ。あたしは。あたしは、だな。


 と、ふと。


「もう、何言ってんだよお前ー」


 っていう、軽い突込みのノリで、彼は、あたしの肩を小突く真似をした。


 実際には触れなかった。触れる真似をしただけ。


 あたしはすっと肩を自分の方からその手に近付けて、触れさせてみたけど。


 その手は、すぐに引っ込んでしまう。


 そうか。それが、今夜の、君の、あたしに対する距離の取り方なのか。


 人生で一番の勇気、だったのに。


 あたしは可愛くないかな? その女の人よりも。


 あたしを愛してはくれないかな? その女の代わりでも、その女を忘れるためでも、何でもいいから。


 あなたは背を向けて、寝たふりをする。どうしてそんなに優しく、あたしを傷つけるの?


 そうして、朝が来る。


「おはよう。君の寝顔を見るのは初めてだったな」


 って言う声の優しさの、なんて残酷なことだろう。


 そして、彼は帰っていった。


 その数か月後、またメールが来た。行くから、会いたい、また同じホテルにするか、と。


 それで、あたしは、こう答えた。


「               」


 

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